背面には首筋からお尻まで一直線に伸びたファスナーがあるから、恐らくそれを下ろそうとしての行動だろう。
「着てるもの破るのもビジュアル的にはありなんだけどね、やっぱ余りに酷い格好にしたら悪目立ちしちゃうじゃん? 今からすることは俺たちだけの秘密だし、ここはやっぱ綺麗に脱がしてやんねぇと駄目だよな?」
見るからに襲われたことがバレバレの状態にしてしまったら、脅せなくなると考えたらしい。
尽からもらった大切なワンピースを引き裂かれたりすることはないと分かったけれど、それでも服をはぎ取られようとしていることに変わりはないのだ。
博視にだって良い抱かれ方はしてこなかった天莉だけれど、もちろんこんな風に無理矢理どうこうされたわけではない。
痛かったし好きになれない行為だったけれど、曲がりなりにも博視はそのとき天莉の彼氏だったから、全て合意の上でのことだった。
でもいま自分を手籠めにしようとしている男たちは違う。
尽とだって最後の一線は越えていないと言うのに、こんな訳の分からない相手にどうこうされるのは絶対に嫌だと思って。
なのにどうしてこんなに身体が自由に出来ないんだろう!
「ゃ……め、て」
拒絶の言葉すらはっきりと紡げない恐怖と悔しさに、天莉の瞳にぶわりと涙が盛り上がって頬を伝った。
「あー、髪の毛すっげぇ邪魔」
肩口を少し超えた天莉の髪は、今日はハーフアップにしてある。
ひとつにまとめていない髪が、ファスナーの上に掛かってザキの邪魔をしているらしい。
乱暴に髪の毛を掴み上げられる感触に、恐怖心が最高潮に達して。
[尽くんっ、お願い、助けてっ!]
直樹にすらSOSを出せていないのに、尽が自分のピンチを察してくれるとは思えない。
ましてや今日、尽はとても忙しくしている予定で。
もし仮に、会場に天莉の姿が見えないことに気付いたとしても、すぐに探しに来ることは出来ないはずだ。
そんなことは分かっているのに、天莉はどうしても尽に助けて欲しいと懇願してしまう。
ポロポロと涙を零す天莉に、背後の男たちは逆に興奮を覚えたらしい。
「嫌がる女の子を無理矢理襲うの、ダメって男も結構いるんだろうけどさ。俺は彼女とかには出来ねぇことが出来んの、すげぇ興奮するんだ。――玉木さん、だっけ? 襲い掛かったのが俺みたいな最低な男でごめんね?」
ザキがわざとらしく天莉の耳元に唇を寄せてククッと笑うから、天莉は気持ち悪くて堪らなくて。
なのに何の抵抗も出来ないのが本当に心許なくて怖い。
「あとね、さっきオッキーと話してたんで大体分かったと思うけど……一応教えといてあげるね? 俺さぁ普通にセックスするのあんま好きじゃねぇの。――玉木さんはケツの穴って使ったことある?」
布地越し。
そろりとお尻の膨らみを撫でられた天莉は、全身に鳥肌が立つのを感じた。
「こら、ザキ、あんまり玉木さんを怖がらせるなよ。すっげぇ泣いてるぞ?」
言葉とは裏腹。自身も物凄く楽し気に天莉の泣き顔にスマートフォン搭載のカメラレンズを寄せると、沖村が天莉の頬を伝う涙を指の腹で拭う。
それすら、天莉には不快でたまらないのだ。
「じ、ン……く、……っ」
まともに出ない声で一生懸命恋人の名を呼ぶ天莉に、「くくっ。声もちゃんと出せないとか……ホント怖いよねぇ?」と、カメラ越し、沖村がいやらしい笑みを浮かべて問いかけてくる。
「ねぇ、玉木さん。キミはいま、身をもって実感してると思うけど……その薬、すっげぇ効くでしょ? それさぁ、実はうちから出向してるお宅の常務さんが作った薬なんだわ。若いのに恐ろしいモン作ると思わない? 俺ねぇ、こんなことしでかしてっけど、ホントはあの人のこと、めちゃくちゃ尊敬してるんだ」
「ぶはっ。オッキー、お前、それ、尊敬してる人間にすることかよ」
「まぁなー。好き過ぎて壊したい、みたいな感じ? ザキなら分かんだろ?」
「まぁなー」
含み笑いを浮かべたザキに、ファスナーを下げられる感触が背中を伝う。
だけど、天莉はいま沖村が告げた言葉に囚われていて、そのほかのことが全て停止してしまっていた。
だって、『株式会社ミライ』には、常務はひとりだけしかいないのだ……。
そうして、それは天莉が良く知っている人物――高嶺尽に他ならない。
(どういう……こと? いま私を苦しめているのは尽くんが作った、薬……なの?)
(うちから出向って……尽くんは……元々『アスマモル薬品』の人ってこと?)
身動きが出来ない状態で服を脱がされながら、大量の情報が一気に押し寄せてきて、天莉には処理しきれない。
涙が一瞬で止まってしまうくらい、沖村から告げられた言葉は天莉にとって衝撃的で。
肩に手を掛けられて、ワンピースを割り開くように腕から抜き取られそうになるまで、天莉は現状から束の間意識を切り離されていた。
でも、さすがに肩に触れるザキの手の感触に、一気に心が連れ戻されて――。
「い、ゃっ」
声にならない声で抗議したと同時――。
「お前たち、私の部下に何をしている?」
扉が開く音とともに聞き慣れた男の声が響いて。
ザキと沖村が、「見張りの男、何してんだよ!」と舌打ちする声がした。
***
「直樹、すまないが頼みがある」
檀上から降りるなり尽がすぐそばへ控えていた直樹に呼び掛けて。
直樹は言われるまでもなく、尽が言わんとする内容を先んじて理解していた。
何故ならば会場に着いてからずっと……玉木天莉の姿を見かけないのだ。
親睦会のため収容人数一五〇〇名の大宴会場を貸し切っているとはいえ、実際今日ここへ呼ばれている人数はその半数の七百人足らず。
収容可能最大数の半数以下とは言え、その中から天莉一人を探し出すのは確かに至難のわざに思えた。
だが、だからこそ逆に――。
天莉の方から絶対に尽の目に付くところを選んで歩み寄ってくれているはずだという確信があった直樹だ。
天莉の性格からして、目立つ立ち位置にいるはずの尽を見損ねるような場所にいることは考えにくいからだ。
なのに、どこにも天莉がいないのはどう考えてもおかしいではないか。
実際尽の懸念もそれで。
直樹に、動けない自分の代わりに天莉を探して欲しいと言ってきた。
「俺は今日、天莉になるべく俺の目に付くところへいてくれと頼んだんだ。なのにどこにも天莉の姿が見当たらない。もちろんただの杞憂ならそれで構わないが……嫌な予感がしてならない。俺の方は自分で何とかするから。頼む、直樹、天莉を探し出してくれ」
尽の言葉に、直樹は静かにうなずいた。
***
一通り会場内をうろついた直樹は、場内に天莉の姿はおろか江根見紗英や横野博視、そうして風見斗利彦の姿が見当たらないことにも気が付いた。
もしかしたらどこかですれ違ったのかも知れないが、営業部や総務部の集まりの中にも彼らの姿を見出すことが出来なかったのはどこか違和感があって。
仲の良し悪しに関わらず、大抵の場合同一部署の人間は親睦会の際は一塊になっていることが多いのに、社内で浮いている紗英はともかくとして、横野や風見がそうしていないのは何だか妙ではないか。
直樹は一旦会場の外へ出て、来場者名簿の出欠席を確認させてもらおうと思って。
室外へ出たと同時、会場から少し離れた部屋の前で、スーツ姿の二人の男と揉める横野博視の姿に気が付いた。
(あれは……確か『アスマモル薬品』の……)
横野が、いま直樹らが在籍している『株式会社ミライ』の親会社に当たる『アスマモル薬品工業』の人間に囲まれているのを見て、直樹はその組み合わせのアンバランスさに眉をひそめる。
ミライの営業の横野が、アスマモの営業と接点があるのはまぁ分かる。
だが横野と話している者達は、確か一人は営業だが、もう一人は開発の方の人間ではなかったか。
故あってアスマモル薬品の方の社員たちのこともある程度把握していた直樹は、パッと見てその異様な組み合わせに不信感を抱いて。
気配を消して三人に近付いた――。
***
「お前たち、私の部下に何をしている?」
そんな声とともにザキと沖村を牽制するようにこちらへ歩み寄ってきた足音に、自分のすぐそばからならず者二人の気配が遠ざかるのを感じながら、それでも天莉は絶望的な気持ちを拭えないままでいた。
だって、この声の主は――。
「ああ、風見課長。べ、別に僕たちは彼女に変なことをしていたわけじゃなくてですね――」
「そう。ちょ、調子悪そうにしてらしたからここへお運びして……ふ、服を緩めて差し上げていただけなんです」
ザキの言い訳に、沖村が乗っかる形で苦し紛れの弁明をする。
そうしながら、沖村が天莉を撮影していたはずのスマートフォンをスーツのポケットへ無造作に突っ込むのをぼんやり眺めながら、天莉は泣きたくなった。
途中経過までとはいえ、あの中には自分の恥ずかしい姿が残されている。
今すぐにでも奪い取ってデータを抹消してしまいたいのに――。
それに、天莉にとってはザキもオッキーも……それからたったいまこの部屋へ入ってきたばかりの風見課長も、皆等しく自分にとって嬉しくない存在に変わりはなくて、現状が打開出来たようには到底思えないのだ。
何故風見斗利彦が天莉を庇うような物言いをしながらここへ乱入してきたのか、それが分からなくて余計に怖い。
ワンピースの下には下着を身に着けた状態とは言え、かつて自分のことをいやらしい目で見てきた風見課長に、こんな無防備な姿をさらすことは絶対に避けたかったのに。
(尽くん……!)
確かに今自分を苦しめている薬は、尽が作ったものかも知れない。
でも――。
他のことが何ひとつ分からない状況のなか、天莉は尽を信じることしか出来ない、と思って。
現状を打開出来たなら……その時ゆっくり説明してもらえばいい。
今はとにかく何とかしてこの場を逃げ出すことが先決だとそう思ったのだけれど。
天莉の焦りとは裏腹。
ザキと沖村は「とりあえず後で連絡するから帰らず待機しているように」と風見に告げられて部屋を出て行って。
天莉は身動きの出来ないまま、今度は風見斗利彦と二人きりにされてしまった。
「さぁ邪魔者は排除したよ、玉木くん」
そう告げるなりむき出しにされたままの肩にツツツ……と指先を這わされた天莉は気持ち悪くて全身が粟立った。
「や……っ」
懸命に身じろいで風見の手から逃れようと頑張る天莉に、風見が言い募る。
「ホント、江根見部長も人が悪いよね。そう思わない?」
髪を一房掴み上げられる気配に、天莉はうつ伏せの状態のまま、風見が次にどこへ触れてくるのか分からなくて不安でたまらない。
これ以上もう、誰にも触れられたくなんてないのに。
「さ、……わら、な……ぃで」
か細い声で拒絶の言葉を懸命に吐き出すけれど、風見は天莉の言葉を黙殺して話し続けた。
「江根見部長が言ったんだよ。今回の計画では私にキミの味見をさせてやるって。なのに――あの小娘め! 薬を盛るだけの役割のくせに勝手に順番を入れ替えやがって! 貢献度から言って……あいつらは私の後だろう!」
ひどく憤った様子で話す風見に、天莉は懸命に活路を見出そうと頑張ったのだけれど。
「ああ、キミがあいつらの毒牙にかかる前に助けられて本当によかった。怖かったね」
ススッと耳殻を撫でられた天莉は、助けられただなんて思っていないと、動けないなりにも懸命にイヤイヤをした。
「何だ、その反抗的な態度は。キミは本当に私を苛立たせるのがうまいよね。――けど、どうだね、玉木くん。婚約者の作った薬でこんなことになってる気分は?」
突然ぐるっと身体をひっくり返されて仰向けにされた天莉は、自分の上に馬乗りになって間近から天莉を見下ろしてくる風見課長の顔に激しい嫌悪感を覚えた。
「高嶺常務のこと、恨んでもいいんだよ? あの男がこんな薬を作らなければ、キミも今こんな目には遭っていないのだし……もっと言えば江根見部長や私に目を付けられることもなかったんだからね。――自分のせいで婚約者が酷い目に遭わされたと知った時の高嶺の心中を考えると、愉快で笑いが止まらなくなりそうだ」
どうやらそれこそが、眼前の下劣男の目的らしく――。
「さぁ、おしゃべりはこのくらいにして、お楽しみタイムと行こうか」
風見がいやらしく口角を上げたのと同時。
扉が壊れんばかりの勢いで開けられて、天莉は今度こそ恋焦がれた尽の声で「天莉!」と名を呼ばれた。