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ビックス湾事件の後、
生き残った亡命軍の捕虜たちは、
いくばくかの医薬品と食糧の輸入を条件に、
アメリアへと返された。
ダレスとビッセルはこの事件の後、罷免された
アメリアは敗北の恥を飲み込み、
フィデロは勝利の余韻を押し殺した。
だが、戦は終わっていなかった。
フィデロは、ヴァンガルドの使者ニキータと、ある密約を結ぶ。
その一枚の羊皮紙が、
世界をあわただしく動かすことになる。
ヴァンガルド帝国では、
旗艦《雷帝》をはじめとするベルト海艦隊三百隻、兵員二万が、
センテペテロの軍港へ集結した。
それは演習ではない。
誰の目にも、そう見えた。
これに対しアメリアは、牽制の意味を込めて、
ヴァンガルド南方に接する同盟国ターキー、
そしてグラツィア国境へ軍を展開した。
ケルパの小さな湾で流れた血は、
いまや世界全体を揺らす火種となっていた。
やがてアメリアは、その密約の内容を察知する。
――アメリア本土侵攻計画。
報告を受けた白亜館は、凍りついた。
ケルパという小国が、
ついにヴァンガルドの剣となったのである。
そして、くしくも。
かつてダレスが口にした“最悪の予測”は、現実となろうとしていた。
「革命国家は、いずれ自らを守るため外へ向かう」
その言葉通りに。
もっとも――
それを生み出したのは、
他でもないアメリア自身だった。
ビックス湾で流した血。
追い詰めた外交。
終わることのない干渉。
それらすべてが、
フィデロをヴァンガルドへ近づけた。
そして。
エルネストは志願兵を募った。
「世界革命の第一歩だ」
そう語る彼の目には、
もはや迷いはなかった。
侵攻軍の先鋒。
最初にアメリアの地を踏む役目を、
彼は自ら望んだのである。
ヴァンガルドとケルパは、
幾度となく使者を往復させた。
航路。
補給。
上陸地点。
陽動。
そして――
アメリア本土へ至る攻撃計画の全容が、
少しずつ形を成し始めていた。
世界はまだ、
その危機の深さを知らない。
だが、確実に。
戦争は、
海の向こうから近づいていた。
フィデロは、この侵攻計画で終わることを望んでいた。
アメリアに刃を突きつけ、
二度とケルパへ手を出させぬための盾。
それが、彼にとっての答えだった。
だが。
エルネストは違った。
彼にとってこれは終着点ではない。
始まりに過ぎなかった。
アメリアへ革命を輸出し、
やがて世界そのものを燃やし尽くす。
その最初の狼煙。
彼は、本気でそう信じていた。
一方、アメリアとヴァンガルドの緊張は、
日を追うごとに増していく。
ヴァンガルド国境には、
アメリア軍に加え、同盟諸国の軍勢が続々と集結していた。
鉄騎。
補給隊。
#追放
13,434
攻城兵器。
街道は昼夜を問わず埋まり、
国境地帯は巨大な兵営へと変わっていく。
アメリア軍参謀本部では、
対ヴァンガルド侵攻計画が練り直されていた。
かつてカイル遠征で用いられた北方進軍路。
それに加え――
同盟国ターキーを経由し、
ヴァンガルド南部の重要都市を攻略する新たな進軍路が採用された。
二方向から帝国を締め上げる。
それが、アメリアの描いた戦略だった。
そして。
プレジデント・ジョン。
ヴァンガルド皇帝セヴィウス。
両国の指導者は、
積み上がっていく軍事的エスカレートに、
次第に神経をすり減らしていた。
誰もが剣を抜いている。
だが――
誰一人、
最初の一撃だけは避けようとしていた。
なぜなら。
その瞬間、
世界戦争が始まるからだった。
プレジデント・ジョンは、
あらゆる選択肢を検討した末に、
ひとつの決断を下した。
――ケルパ海上封鎖。
ヴァンガルド・ベルト海艦隊のケルパ入港を、
断固として阻止する。
それは宣戦布告ではない。
だが、
あと半歩で戦争へ踏み込む意思表示だった。
アメリア艦隊は海峡へ展開し、
臨検の準備を始める。
対するヴァンガルドも、
旗艦《雷帝》を先頭に艦隊を進発させた。
世界は、
両国の非難の応酬を固唾を呑んで見守っていた。
まるで巨大な賭博卓だった。
互いに軍を賭け金として積み上げ、
相手の表情の変化を探っている。
退けば弱さ。
進めば戦争。
その均衡が、
辛うじて世界を支えていた。
そして――動いたのはニキータだった。
ヴァンガルド使節団は、
白亜館へ一つの提案を持ち込む。
「ターキー国内にあるアメリアの城塞群――
あれを撤去し、国境軍を下げろ」
「そうすれば、
我々もケルパへ軍を入れぬ」
「ケルパからのアメリア侵攻計画も消える」
静かな声だった。
だが、その条件は、
世界の命運を左右するものだった。
くしくも。
アメリア側もまた、
ほぼ同じ条件を考えていた。
互いに、
相手が最も恐れているものを理解していたのである。
だからこそ。
誰も、
先に口にできなかった。
世界の平和は、
守られようとしていた。
アメリアとヴァンガルド。
二つの超大国は、
互いに一歩だけ退くことで、
世界戦争を回避しようとしていた。
だが――
その裏で。
二人の男が激怒していた。
交渉はすべて、
ケルパ抜きで進められていた。
ケルパの提案は、
ことごとく無視された。
まるで最初から、
存在していなかったかのように。
「……どういうことだ」
低い声だった。
だが、
怒気で空気が震えていた。
「あなたは降伏したんだぞ」
フィデロは、
ニキータの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄る。
対するニキータは、
まるで崩れない。
「これはおかしなことを」
平然としていた。
「私は皇帝陛下の忠実なるしもべ」
「皇帝陛下が平和を望まれるなら、
私は身を挺してその願いを叶えるのみです」
「皇帝の考えじゃない――」
フィデロが怒鳴る。
「これは、あんたの判断だろ!」
室内が震えた。
エルネストは、
そんなフィデロを黙って見ていた。
珍しかった。
彼が、ここまで感情を露わにするのは。
そして、
エルネストは悟る。
(……終わったんだな)
革命は、
ここで終わったのだと。
世界を変えるはずだった国は、
結局、大国同士の盤上の駒に過ぎなかった。
「アメリアにケルパ侵攻を断念させた」
ニキータは静かに言う。
「その礼くらい、
いただけると思っていたのですが」
その瞬間、
フィデロは今にも襲いかからんばかりだった。
だが。
「……もういい」
エルネストが口を開く。
静かな声だった。
「フィデロ」
ゆっくりと立ち上がる。
「終わったんだ」
その言葉は、
ニキータへ向けたものではない。
フィデロへ。
そして、
革命そのものへ向けられていた。
フィデロへ。
メキシカで君と出会い、
革命へ参加した日々を思い出している。
私はケルパ革命にすべてを捧げ、
君たちとともに戦った。
そして革命は勝利した。
だが今、
私にはまだ別の使命がある。
世界には、
いまだ抑圧と貧困に苦しむ人々がいる。
私はそこへ向かわねばならない。
そのため、
私はケルパ政府・軍・党でのすべての役職を辞し、
法的にはケルパとの関係も捨てる。
しかし、
革命の同志としての絆は消えない。
君には、
国家を導く力がある。
私は別の場所で、
自らの信じる革命のために戦う。
もし最後の時が来るなら、
私はケルパ人民と君たちを思い出すだろう。
勝利か、死か。
祖国か、死か。
——エルネスト
ー第2部完ー