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「……2年くらいですかね」
梨沙がそう言うと、画面の向こうの丸山周平は目を丸くして驚いた。
「2年?!嘘でしょ」
言わなければよかった……。
梨沙はすぐに後悔した。
丸山の人懐こそうなキャラクターに油断してつい口を滑らせてしまった。
丸山は俄然、梨沙に興味を持った様子で画面越しに見ても前のめりになっているのがわかった。
「え、ご飯は?どうしてるの?」
「ネットスーパーとかで……」
「さすがに病院とかいくでしょ?」
「オンライン診断を受けて薬は郵送で送ってもらってます」
「え、じゃあ、綿貫さん、本当に一歩も家から出てないの?2年間も」
「えぇ…まぁ…」
丸山はポカンと口を開けたまま固まった。
はじめは冗談だと思ったのかもしれない。
それも仕方ない。
つい数年前なら梨沙も、家から2年も出ていないという話を人から聞いたら今の丸山と同じ顔をしたかもしれない。
だが、時代は変わった。
コロナをきっかけにリモートワークという働き方が一般的になり、世の中に広まった。
加えて、オンラインでどんな手続きも完結し、何でも手に入るようになった。
働きながら引きこもる。
そんな生活を送ることができる時代になったのだ。
梨沙はフリーランスのデザイナーとして働いている。
広告のバナー、WEBサイト、企業ロゴ、オリジナルキャラクター、およそデザインに関わる仕事ならなんでもする。
今のところ前職の広告代理店と、その当時の繋がりから業務委託でデザインの仕事を受注できており、なんとか生活は成り立っている。
仕事場は自宅。フルリモートワークだ。
発注者との打ち合わせも全てオンライン。
丸山もその中の1人で、前職からの紹介で何度かデザインの仕事を梨沙に振ってきてくれていた。
そのため、梨沙としても無下にできず、雑談につきあっているうち、つい口を滑らせてしまったのだ。
丸山はたっぷり5秒ほど固まって、「すごいな」とつぶやいた。
動物園で珍種でも見るような目つきになっている。
梨沙は何度もこういう目を見てきた。
だから、自然と人に身の上話をするのはやめるようになった。
今回は完全に失敗だ。人懐こい丸山にガードを下げさせられてしまった。
「何かきっかけがあったの?」
きっかけ……。
梨沙はチクリとした胸の痛みを感じた。
「いえ、特にないですね……では、3日後までに仕上げますので」
「あ、え、じゃあ、よろしく」
丸山は明らかになおも会話を続けたがっていたが、梨沙はピシャリと話題を変え、半ば強引にオンライン会議を終えた。
会議を終えると、思わずため息が漏れた。
変わっている自覚は自分でもある。
でも、梨沙は今の生活がとても気に入っていた。
いわゆる、”引きこもり”ではないと梨沙は自分では思っている。
必要があればいつでも外に出られる。
ただ、その必要が今のところないだけだ。
梨沙にしたら、自分なりの暮らし方を追求していたら2年間家を出ていなかったというだけのことなのだ。
オンライン会議用のヘッドフォンを外し、仕事部屋を出ると、キッチンに向かい、コーヒーマシンにマグカップを置いてスイッチを押した。
重低音を響かせてマシンが動きだす。
黒褐色の液体が機械から吐き出されるのを待ちながら、梨沙は1人で住むにはあまりに広すぎるダイニングを見つめた。
梨沙の住まいは両親が残してくれた築30年の一軒家だ。
4年前、母が病に倒れ、その翌年、母を追うように父もあっという間に逝ってしまった。
2人とも看取りはできたものの静かな別れだった。
梨沙の家は昔からそうなのだ。
振り返ってみると、母と父が会話らしい会話をしていた記憶がない。
いつも一言二言だけで意思疎通をしていた気がする。
そんな両親のもとで育った梨沙も必要以上に家族とコミュニケーションを取らない子供だった。
寂しくなかったといえば嘘になるが、それでも、梨沙は自分を不幸だと思ったことは一度もなかった。
たくさん愛情は注いでもらったと思っているし、こんな持ち家まで残してもらった。
ただ、互いに距離がある家庭だったのだと思う。
よくいえば干渉し合わないドライなところが梨沙の家族にはあった。
それも一つの家族の形だと梨沙は思っている。
両親ともに親族との付き合いは途絶えていたので、梨沙の縁故はもうなにもない。
これが天涯孤独というやつなのかとしみじみ思うが、案外、悪くはないものだ。
孤独と引き換えに波風のない生活を梨沙は手に入れることができたのだから。
コーヒーを飲んでいると、玄関の方からガサガサとビニールが擦れる音が聞こえた。
玄関の扉を開けるとスーパーの袋が3つ玄関脇に置いてあった。
……忘れていた。
ネットスーパーの置き配を頼んでいたのだ。
配達員と顔を合わせずに商品が受け取れるので、梨沙は必ず【置き配設定】をONにしていた。
便利な世の中になったものだ。
でも、チャイムも押さないで黙って置いていくなんて最近の配達の人は少しズボラな感じがした。
ネットスーパーのビニール袋を抱えてキッチンに戻り、商品を冷蔵庫や棚の中にしまっていく。
あっという間に冷蔵庫の中がパンパンになった。
まとめ買いするからなのだが、ボタン一つで購入できてしまうネットスーパーだと、ついつい余計なものまで買ってしまいがちだ。
今回も、1人なのにお寿司の詰め合わせはを2つも買ってしまっていたり、ウォーターサーバーがあるのに聞いたこともないメーカーのミネラルウォーターを買っていた。
(……こんなもの買ったっけ?)
記憶も曖昧だ。
梨沙はミネラルウォーターの蓋を開け、グビリと水を飲み込んだ。
ーーー4日後。
梨沙はオンラインミーティングで再び丸山と顔を合わせた。
本来は納品物の修正会議だったが、今回は修正なしで一発オッケーだった。
内心、丸山は梨沙のプライベートを根掘り葉掘り聞きたいのかもしれないが、そんな気持ちをおくびにもださず淡々と仕事を進めてくれた。
それが、丸山の気遣いなのかどうか、梨沙には判断がつかなかった。
一通り仕事の話を終えると丸山がふいに言った。
「綿貫さん、体調大丈夫?」
「え?」
「なんか、声の調子とか、体調悪いのかなって」
「そうですか?」
言われてみたら、ここ2日くらい、いつもより身体が重かった気がする。
自覚はなかったが本調子ではないのかもしれない。
しかし、こんな画面越しにそれを見抜くなんて。
やはり丸山は気遣いができる人なのかもしれない。
梨沙はずいぶん久しぶりに異性に対して好感を持った気がした。
丸山との会議を終えると、いつも使っているオンライン診療のサービスにアクセスした。
診療希望を出すと、すぐに、何度か診察をしてもらったことがある原田という女医の先生とつながった。
原田先生は、ふくよかで何人も子供がいそうな母親の雰囲気がする女性だ。
実際、会話の節々からお子さんが複数いるのだろうとは思っていた。
症状を話すと滋養強壮の栄養剤を郵送してもらえることになった。
その後、他愛ないことを数分話してオンライン診療を終えた。
理由はよくわからないが、繋がりが薄い人の方が、なんでもない雑談ができる。不思議だなと梨沙は思った。
予想に反して、それから数日、梨沙の体調は戻らなかった。
風邪ではなさそうだが身体が熱っぽくてダルい。
遠くから救急車のサイレンの音が聞こえた。
最近毎日のように緊急車両の音を聞いている気がする。
脳を揺さぶるようなサイレンの音は、万全ではない体調にはこたえるものがあった。
けど、こんな簡単に体調を崩しているようではフリーランスとして働くには先が思いやられる。
梨沙は不甲斐ない自分が情けなくなった。
(……太陽の光にあたってなさすぎるのかな?)
できあいの惣菜ばかりでなく自炊して栄養をとった方がいいのかもしれないし、
いい加減、少しライフスタイルを見直すべきなのかもしれない。
そういうことを相談したくて梨沙は再度オンライン診療を受診することにした。
馴染みの原田先生の顔がパソコン画面にあらわれると、梨沙はここ数日の不調について説明をした。
すると、原田先生は少し考え込んで、柔らかい表情を作って言った。
「生理は予定通り?」
「……いえ、少し遅れてます」
「もしかしたら、おめでたってことはないかしら?」
梨沙は言葉を失った。
……オメデタ?
急に異国の地に迷い込んだかのように、原田先生の言葉が意味をなして頭に入ってこない。
梨沙が返事をしないでいると原田先生は続けた。
「一度検査してみたらどう?」
バカらしい。ありえないですよ、先生。
だって私は2年間家から一歩も出てないんですから。
そう一蹴してしまえばよかった。
オンライン診療を終えた後、梨沙は後悔した。
見当違いにもほどがある。
怒りにも似た気持ちになった。
でも、梨沙の体調は、それからも一向に回復の兆しを見せなかった。
ネットで調べると梨沙の症状は妊娠初期のそれに合致していた。
そんなまさか……。
ありえないとわかっていても不安で仕事が手につかなくなり始めた。
余計なことを吹き込んで不安を煽った原田先生を梨沙は恨めしく思った。
このままではまずい。
得体の知れない何かに飲み込まれそうな感覚だった。
そう思って妊娠検査薬をネットで購入することにした。
安心するためには何もないことを確認するしか方法がない。
そう思ったのだ。
次からは別のオンライン診療サービスを使おう。
梨沙は心に決めた。
翌日、キットが届くと、手順通り検査を進め、検査キットを水平にして結果を待った。
何も線が現れるはずなんてない。
じっと検査キットを見つめていると、すぐに変化が現れ始めた。
判定表示部分にくっきりと赤い線が現れ出す。
結果は………陽性。
梨沙は言葉を失った。
2年間一歩も自宅から出ず、人との接触を絶っていたにも関わらず、梨沙のお腹に新しい命が宿ったというのか?
うまれる?
………一体なにが?