テラーノベル
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そう言って、俺の肩を掴んで、体を正面から見つめるように引き離す。
彼の瞳が、まっすぐに俺を射抜いた。
そのまなざしは、強くて、真剣そのものだった。
そこに、一切の嘘や偽りはないと俺の心が告げていた。
「俺は、りゅうの、誰にも言わねぇで何でもひとりで抱え込むとこが嫌なんだよ。……親友の俺にくらい、言ったっていいだろ」
「……ただ、ひでぇこと言ったのはマジで悪かった。だから…もう泣くなって」
その言葉の一つひとつが、胸の奥にじんわりと染み込んでいった。
誤魔化しじゃない。
圭ちゃんが本当に嫌だと感じていること。
そして、あの時の言葉は、俺の存在そのものを否定するものではなかったこと。
ちゃんと、全部本音だった。
だから、信じたかった。
いや、信じることができた。
「本当……?」
まだ完全に安心しきれないまま、小さく尋ねると、圭ちゃんは力強く頷いた。
「あぁ……だから、もっと頼れ。俺のこと好きなら、頼れよ」
「好きなら」という言葉が、じんわりと心に響く。
それは、俺の想いを間接的に肯定してくれているようにも聞こえた。
「うっ、うん……っ」
涙声で返しながら、そっと彼の胸に頭を預ける。
圭ちゃんの腕が再び回って、俺をしっかりと抱き寄せた。
今度は、もう抵抗しなかった。
その温かさが、痛いほど心地よかった。
やがて自然と、お互いの腕が解けて
顔を近づけたまま見つめ合う形になった。
至近距離
息がかかるほど近くて、思わず目を逸らす。
まだ涙の跡が残る顔を見られるのが恥ずかしくて
俯いた俺を見て、圭ちゃんがククッと喉を鳴らした。
「な、なんで笑うの……?」
不安になって問いかける。
またからかわれたらどうしよう、という緊張が走る。
「いや……ひでぇ顔だなと思って」
「なっ……元はと言えば圭ちゃんのせいじゃん!圭ちゃんが“気持ち悪い”とか言うから、ご飯も喉通らないし、寝れないしで…」
普段なら絶対言わないような悪態を、思わず口にしてしまった。
「わ、悪かったって……つか、まさかそれで今日倒れたのか?」
心底驚いたような顔で聞かれ、俺は曖昧に視線を逸らす。
「……わ、分かんないけど……多分…?」
圭ちゃんは呆れたように、でもどこか優しさを含んだ声で笑った。
「くくっ……重症すぎだろ。マジで」
そして、くしゃっと俺の髪を撫でる。
その手つきは、まるで幼い子供をあやすようで。
「う……っ、だって、圭ちゃんが、あんなこと言うから……っ」
未だ少し拗ねたように口を尖らせると、また彼の手が頭に伸びてきて、髪を軽くかき乱された。
「……可愛いかよ」
「え……?」
不意に漏れたその言葉に、胸が跳ねた。
それは、まるで独り言のようだったが
俺の耳にははっきりと届いた。
思わず聞き返すと、圭ちゃんはハッとしたように手で口を覆って、顔を背けた。
「あ……いや、なんでもねぇ」
照れたように言いながら、すぐに立ち上がって背を向けた。
その耳が、わずかに赤くなっているのが見えた。
その行動は、明らかに動揺を隠そうとしているようだった。
「ほら、早く帰るぞ。もう時間ねぇし」
あたふたと保健室を出ていく彼の背中を、慌てて追いかけながら
俺の頭の中は「可愛い」の一言でいっぱいだった。
(……可愛い? 俺が?)
なんだそれ。意味がわからない。
圭ちゃんは、俺のことをどう思っているのだろう。
でも──その一言のおかげで、さっきまで止まらなかった涙が、嘘みたいに引っ込んでいた。
身体に残っていた重い澱も、少しだけ軽くなった気がした。
保健室を出ると、廊下はもう生徒の姿もまばらで
放課後の静けさに包まれていた。
窓の外からは、運動部活動の声が微かに聞こえてくるが
それもどこか遠い世界の音のように感じられる。
授業が終わった喧騒は遠い過去のようで、時間が止まったかのような錯覚に陥る。
倒れてからの出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡り
まるで長い夢を見ていたような気分だった。
圭ちゃんの少し広い背中を追って歩く。
彼の制服の肩越しに見える背中は、いつもよりも頼もしく、そして少しだけ大きく見えた。
さっきまであんなにも取り乱していた自分が嘘のようだ。
顔の熱はまだ完全に引いていないけれど、
胸の奥には、どこか甘く、温かい何かがじんわりと広がっていた。
あれほど苦しかったはずの涙の跡が、まるで幻だったかのように消え去っていた。
「おい、ゆっくり歩けよ、まだフラつくか?」
俺の足音が遅いのに気づいたのか、圭ちゃんが振り返って声をかけてきた。
その声には、心配と、そして確かに以前よりも増した優しさが滲んでいる。
その瞳が、俺の顔色を窺うようにじっと見つめてくる。
「うん、もう大丈夫……ありがと、圭ちゃん。ずっと、一緒にいてくれて」
素直な感謝の言葉が、喉からこぼれた。
彼は小さく頷き、その表情に少し安堵の色が浮かんだのが分かった。
そして、再び前を向いて歩き始めた。
彼の制服から、微かに洗剤の匂いがする。
普段は意識しないような、ごく普通の匂いのはずなのに
今はそれが圭ちゃんの温もりと結びついて、妙に心地よかった。
昇降口に着くと、生徒はほとんど残っていなかった。
夕暮れの光が、下駄箱の奥まで差し込んでいる。
自分の靴に履き替えながら、俺はちらりと圭ちゃんの横顔を見た。
彼は何も言わず、ただ俺が靴を履き終えるのをじっと待っていてくれる。
その、当然のように寄り添ってくれる彼の存在が、今の俺にはたまらなく心強かった。
校舎を出て、いつもの帰り道を並んで歩く。
夕暮れのオレンジ色の光が、俺たちの影を長く長く伸ばす。
頬を撫でる風が少しだけ涼しく、まだ少し汗ばんだ肌に心地よかった。
圭ちゃんの視線が時折、ちらりと俺の方を向くのを感じる。
「その、圭ちゃん」
「ん?」
「俺もごめんね」
「…別にいいって。それより、お前が無事でよかった。マジで焦ったんだからな。あんな倒れ方、心臓に悪ぃつーの」
彼の言葉に、胸がじわりと温かくなる。
本当に、圭ちゃんは俺を心配してくれていたんだ。
その言葉の節々から、彼の本心が伝わってくる。
「つーかさ、俺の言葉に影響されすぎなんだよ、お前」
からかうような口調で圭ちゃんが言う。
けれど、その目はまっすぐに俺を見ていた。
俺が本当に「可愛いかよ」の真意を尋ねたかったことを、彼は知っているかのように。
「う……だって、圭ちゃんが『気持ち悪い』って……」
俺が再び口を尖らせると、圭ちゃんは
「へいへい」
とでも言うように、俺の頭をまたくしゃっと撫でた。
その手つきは、まるで小さな子供をあやすかのようだ。
「もう言わねぇって。つか、あれはそういう意味じゃねぇんだって、分かっただろ?」
俺は少し拗ねたように言い返す。
「……うん。でも、びっくりしたんだもん。すごく、傷ついた。圭ちゃんに嫌われたら、って……」
「そりゃ悪うございました」
すると圭ちゃんは、また小さく笑った。
その笑顔は、普段の彼からは想像できないくらい
柔らかくて、どこか安堵しているようにも見えた。
「ったく、手のかかるやつだよな、りゅうは」
そう言いながら、圭ちゃんは俺の肩に、ごく自然に腕を回した。
「それは圭ちゃんでしょ…」
その温かい腕が、俺の体を包み込む。
拒否する理由など、どこにもなかった。
むしろ、その心地よさに身を委ね、彼の体温を感じ取った。
肩を組んで歩く俺たちの影が、夕暮れの道を並んで伸びていく。
風が、二人の間をすり抜けていった。
その風に乗って、遠くから部活動の掛け声が聞こえてくるが
俺たち二人の間には、まるで別の時間が流れているかのようだった。
「な、りゅう」
不意に、圭ちゃんが俺の名前を呼んだ。
その声は、いつもより少しだけ低く、耳元で響く。
「なに?」
俺は彼の顔を見上げようとするが、彼は視線をそらしたままだった。
「……いや、やっぱなんでもねぇわ」
彼はそう言って、すぐに言葉を濁した。
けれど、その頬が、ほんのりと赤くなっているのを俺は見逃さなかった。
まるで、さっきの「可愛いかよ」の続きを言いかけたかのように。
あるいは、もっと別の
もっと踏み込んだ言葉を、寸前で飲み込んだかのように。
俺の心臓が、またトクンと音を立てる。
もしかして、圭ちゃんも、俺と同じように何かを、考えてたりする……?
俺に対する感情が、友情だけではない
もっと複雑なものへと変化している可能性が、ふと頭をよぎる。
そんな淡い期待が、胸に芽生える。
それは、あの保健室で彼に抱きしめられた時よりも
ずっとはっきりと、俺の心に輪郭を描き始めていた。
夕日がゆっくりと地平線に沈んでいく。
空の色が、オレンジから紫
そして深い藍色へと、刻々と変化していく。
俺たちは言葉を交わさなくても、ただ隣にいるだけで、お互いの存在を確かめ合っているようだった。
肩に回された圭ちゃんの腕の温もりが、確かにそこにある。
この関係が、一体どこへ向かうのか
俺にはまだ分からなかった。
明日のことも、来週のことも、まるで白紙のようだ。
けれど、圭ちゃんの温もりの中で、このままずっと、この曖昧な関係に浸っていたいと、強く願っていた。
そして、その願いが
いつか、形になる日が来ることを
密かに、けれど熱烈に期待していた。
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