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時雨は固まったまま、二人の姿を交互に見回す。幸人も固まっている。
「…………」
「…………」
お互い交わす言葉は無い。
「ああっ!? 変な頭の人だ~」
ハンバーガーに夢中だった悠莉だけが、今更ながらに時雨の存在に気付き、声を上げた。
しかし周囲が喧騒の中、幸人と時雨だけの沈黙――
「ぷっ……ぷはぁっははは!」
先に破ったのは時雨だ。堪えきれず噴き出した。
「ちょっ! おまっ! 幾らなんでも手ぇ出すの早過ぎじゃね? ギャハハハハ!」
時雨はセットも床に落として、笑い煽り続ける。愉快で堪らないのだ。予想に違わぬ、否それ以上の事に。
「ちっ……違う! これは只の……そう、買い物だ!」
焦りながら反論する幸人のそれは、あながち間違ってはいない。普通ではないにしろ、本当に只の買い物なのだから。
「買い物っ! いやどう見ても……くくっ!」
だが時雨から見たら、幸人と悠莉のそれは“デート”以外の何者でもない。しかも年の離れた、傍目には危険な――
“援助交際”
時雨以下、見る者にとっては、そう映ったとしても致し方無い組み合わせだろう。
「これ琉月ちゃんに言ったら、どうなるかなぁ? 雫さん降格です! ギャハ」
時雨の脅しとも取れるそれに、幸人は青ざめてしまった。
「まっ……待て! 勘違いするな」
しかもあやふやな言い訳が、更にドツボにはまっていく気もするが。
『何あれ~?』
『喧嘩か?』
通行人や周りの好奇の目が、彼等に集まっていく。
このままでは、引っ込みがつかなくなる。一刻も早く、時雨の口を塞がねばならない――
幸人は右掌を鳴らした。
先ずは煽り続けるその口を塞ぎ、引き摺ってでもこの場から離れる。
それが幸人が瞬時に組み立てた、最善と云うより、それ以外に無いだろう策。
「黙っ――」
踏み込んで手を伸ばそうとした――その時だった。
「幸人お兄ちゃんを苛めるな~!」
ハンバーガーに夢中だった悠莉が、何時の間にか二人の間に割って入っていたのを。
その姿はまるで、幸人を庇うかのように両手を拡げて通せんぼ。時雨をきつく睨んでいた。
これには流石の幸人も、戸惑い立ち竦むしかないが――
「幸人お兄ちゃん? ぶはぁ! やっぱお前ら……ギャハハハハ!」
時雨は二人のその状況に、更に声を張り上げて笑いだした。滑稽で仕方無いのだろう。
周囲は既に騒然。一体何事かと、次々と野次馬が集まって来る。
これは不味い状況だと、幸人は悠莉を引っ張ってでも、この場から立ち去りたいが――
「笑うな変頭ぁ~! 幸人お兄ちゃんをこれ以上馬鹿にするなら、ボクが相手になるからね!」
悠莉はファイティングポーズの構えで、遣る気満々の模様。
その構えは可愛らしさに満ち溢れてはいても、脅威足る威厳は皆無。それがまた時雨の、笑いの涙腺へと触れた。
「もっ……もう駄目! 俺を笑い殺す気なんだな、そうなんだな!?」
既に時雨は腹部を押さえながら、涙混じりの表情で堪えきれないでいる。
「俺はガキんちょは相手にしないよ。シッシッ」
いきり立つ悠莉を軽くかわし、追い払うかのような手のジェスチャー。
「またガキって言ったぁ~!」
禁止事項に触れた。即ち悠莉を子供扱い。
「ああ~はいはい、ガキんちょガキんちょ」
時雨は全く意に介さない。彼は昨夜の事を、もう忘れている。
「全く……何事かと思えば、また貴方という人は――」
「あん?」
不意に背後から聞こえた声に、時雨は訝しげに振り返った。
瞬間――時雨の表情が蒼白に染まっていく。
「ななななっ――何で此処にぃ!?」
「何でって……私が買い物に来る事が、そんなにおかしいのですか?」
突然の事に尻餅を着いた時雨を見下ろす人物。
「いやいや全然おかしくないよ! ――琉月ちゃん!」
焦りで口ごもる時雨の言う通り、何時ものビジネススーツ着用こそ変わらないが、裏のトレードマークである白い仮面の無い、琉月の“表”の姿が其処にあった。
常に白い仮面で覆い、その素顔を晒す事はなかった琉月だが、今は表である。彼女にも表の生活が在るのが当然。
「でも琉月ちゃん……何でまた?」
だが時雨がうっかりなのか定かではないが、悠莉と同様琉月も、裏と表の名は同一なのかもしれない。その問い掛ける名は、余りにも“自然”に浸透していたから。
「そんな事より……」
琉月はその質問には答えず、だらしなく尻餅を着いたままの時雨を、素顔であるロードライド・ガーネットを思わせる紫みの赤色の、切れの長い瞳をきつく吊り上げて見下ろす。
その幻想的な宝石の如き耀きと異彩を放つ瞳は、明らかに日本人離れ処か人間離れにも近いが、毛髪と呼応していない事から、どうやら異彩色魔眼ではなさそうだ。
「貴方という人は、また悠莉を侮辱してましたね?」
更には両拳を合わせ、はっきりと辺りに響き渡る程、指を鳴らす。
つまりは、これ迄の一部始終を垣間見た琉月は、時雨の悠莉への態度に対して、怒りを顕にしているのだ。それでも彼女の表情は、その美しさが些かも損なわれてはいないが。
“怒った顔も美しい”とは、正に琉月の為に在るとはこの事か。
「そんなそんなっ! 誤解だよ誤解だって」
迫り来る美しき魔の手に、後退りながらの時雨の言い訳。何が誤解なのか、焦りで意味不明になっていた。
この事態に野次馬が集まり――
『そうだそうだ! 男の方が悪い』
『女の子の方、可哀想……』
群集は悠莉寄り。時雨を野次りながら、事の成り行きを囃し立てていた。
「見苦しいですよ言い訳等。謝りなさい……誠意をもって」
「謝れって……んな無茶だよ琉月ちゃん!? こんな処で俺がそんな事……」
突然の謝罪への促しに、当然時雨は言葉を濁す。
只でさえプライドの高い彼が、こんな場所で謝罪等、出来よう筈が無い。
「そうですか……じゃあ、もう付き合ってあげな~い」
『ならこれ迄です、さよなら』とばかりに、琉月はそっぽ向いてしまった。しかも小悪魔的なその態度は、どうやら“地”も少々出てしまっている。
「そっ……そんなぁ!」
怒らせた。呆れられた。これは由々しき事態だ――時雨にとっては。
“ア-ヤッマレ!”
“ア-ヤッマレ!”
一体何故に、こんな事態になってしまったのか。周りからは一斉の“謝れ”コール。当の御本人は、そっぽ向いてしまっている。
「ぐっ……ご、ごめん琉月ちゃん! 俺が悪かった……ホントに悪かった!」
この状況では最早、後には退けない。少々、否かなり理不尽感も有るが、琉月とのこれからの拒絶関係よりはましだと。
「だから許してくださ~い!」
時雨は恥も外見も捨て、両手を併せ深々と頭を垂れ、琉月へと謝罪する以外になかった。
“アハハハハ”
その姿に失笑の野次が飛ぶ。これは屈辱だ時雨にとって。
「ぐっ……」
だがこれで許して貰えるだろうと、苦虫を噛み潰しながらも耐えた、耐えきった。
「……“誠意”が足りませんね」
「……はい?」
しかし予想だにしなかった琉月の一言に、時雨の間の抜けた疑問の声が洩れる。
これ以上、何の誠意が足りないと言うのか。時雨は顔を上げ、その表情を伺うが、琉月は依然として憮然とした態度を崩さない――と云うより。
「もっと額を床に擦り着けなさい」
妖艶で悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「そ……それって!?」
とどのつまり――
“ドッゲッザ”
“ドッゲッザ”
野次馬が琉月を代弁するかのように、囃し立てる。
時雨の誠意が足りないとはつまり、土下座して謝れと琉月は暗に言っているのだ。
「そんな! 何でそこまで……」
どう見立てても、そこまでする必要は無い気もするが、琉月が本気の態度を崩さないのは一目瞭然だからこそ、時雨は本気で戸惑っていた。
二人っきりの時なら、幾らでも土下座しよう――だが、こんな状況では避けたかった。幾ら懇意の女性でも。
「出来ないのですか? それならそれで構いません。さよならですね……」
「まっ……待って琉月ちゃん!」
本気だ。琉月の性格上、このままでは本当に縁切りになってしまうだろう――
「申し訳御座いません! 許して下さい許して下さい許して下さ~い!」
時雨にとって、プライドより琉月との関係が何よりも優先する。彼は立ち去ろうとする琉月の前で、あっさりと土下座して謝罪していた。
これは時雨が琉月の事を、本気で惚れているからこその、証の行動でもあった。
『クスクス』
『何やってんのかしら、あの人?』
哀れむような蔑むような、洩れる周囲からの失笑。それもそうだろう。このような公共の場所で土下座する姿は、さぞかし滑稽に映るに違いない。
「ぢぐじょぉ――」
“煽っておいて何言ってやがる!”
時雨はこの場に居る、全員の“口封じ”をしたい衝動に駆られたが、ここは琉月の為にも必死で耐えた。
「もう許して琉月ちゃん……」
何時までこうしていればいいのか。時雨は業を煮やして許しを乞う。
「まあいいでしょう。許してあげます」
それは救いの一言。
「あっ……ありがとう琉月ちゃん!」
ようやく許されたと、時雨は額を上げようとするが。
「これに懲りて――“もうボクを馬鹿にしちゃ駄目だからね?”」
見上げた視線の先に在ったのは、小さい胸を誇らしげに張って勝ち誇る悠莉の姿。
「――ってオイ! 琉月ちゃんは? あれ……」
先程迄罵っていた筈の琉月の姿は、何処にも見当たらない。
周りには眼前に悠莉の姿と、その背後でジュウベエと共に、唖然とした表情で突っ立っている幸人の姿。
『クスクス』
そして失笑する野次馬連中だけだ。
「…………」
床に膝を着いたまま、暫し呆然の時雨。そして遅蒔きながら気付いたのだ。
“メモリアル・フェイズ・メタモルティ ~深層侵慮思考鏡界”
悠莉の持つ、その能力に――
「こっ……こ、このガキャァ!!」
キレた。つまり、最初から琉月は存在して居らず、傍目には悠莉に必死に土下座する時雨の姿が展開されていたのだ。彼が怒るのも無理はない。
「きゃあ! 幸人お兄ちゃん助けてぇ!」
掴み掛からんばかりの勢いの時雨に、悠莉は立ち竦む幸人の背後に回り込んで、助けを乞う。その姿は本気で怯えていた。
それにしても時雨も、そして幸人も、悠莉が何時能力発動したのか、その瞬間すら分からなかった。
“やはり彼女は対人戦に於いて――”
「退けや幸人! このガキもう勘弁ならねぇ!!」
しかし今はそれ処ではない。
「まっ……待て、落ち着け時人! 此所は公共の場だぞ?」
幸人はいきり立つ時雨を、何とか諌めようとする。どちらにも否が在るにせよ、このような場所で本気になっていい訳がない。
「幸人お兄ちゃん……怖いよぉ!」
悠莉は幸人の腰にしがみつき、恐怖で本当に震えている。幸人は立場上、彼女を守らない訳にはいかない。
「まあ落ち着け時人。大人げないぞ? お前とも在ろう者が」
裏と表では情勢が違う。幸人はなるべく穏便に事を済ませようと、穏やかに刺激しないよう時雨へ諭していた。
「あぁっ!? 邪魔する気かよテメェ! じゃあ二人纏めて消してやんよ!」
しかし時雨は聞く耳持たず。その勢いの度合いは、コードネーム『時雨』としての顔へ変貌しかねない程。
「……あぁ?」
そしてそれは、表の顔を崩さない筈の幸人も同じ。
時雨の挑発を受け取ったのか、幸人の口調も俄に変わる。
やはり天敵同士。このままでは御互い、表舞台で本気で殺りかねない。
それは当然、禁忌中の禁忌。もし万が一、そんな事態が起こってしまったのだとしたら、どちらが勝つにせよ、どちらが悪いにせよ、両者は“粛正”という形で闇に葬られ、その他目撃者はおろか、この敷地内全ての痕跡を消す処置を取るだろう、狂座上層部は。
「やめてぇ! 二人共やめてよ、ボクのせいだ……ごめんなさ~い」
少々“おいたが過ぎた”のは自覚しているのだろう。悠莉が二人の間に割り込み、謝りの構え。終いには泣き出してしまった。
「うっ……」
「ぐっ……」
悠莉のそのいじらしい姿に、二人は揺らぎそうになるが、今更止められそうもない。
『何だ何だ?』
『痴話喧嘩?』
ただならぬ雰囲気を感じ取り、周囲も騒然としてくる。
このままで本当に良いのか、迷いの境界線――
「全く……騒がしいと思って来てみたら、何をやっているんですか貴方達は、この様な場所で」
「――っ!?」
その咎めるような、聞き覚えのある口調に二人は即座に反応。
「あっ……」
モーゼの十戒の様に、群衆を自然と割って歩み寄って来る人物。
「なん……で?」
それは先程と全く変わらぬ、表と思わしき琉月の姿だった。