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その姿に暫し呆然だった時雨だが、すぐに気付く。
「にっ……偽者ぉ!」
その叫びは先程と同様、再度悠莉の力によるものだと。
「えっ!?」
突然の事に琉月は、その紅き瞳を“キョトン”とさせている。そしてずかずかと近寄って来る時雨。
「もう騙されんぞ! 俺の目は誤魔化せない。良く出来ているが、その胸はシリコンか? ああっ!?」
「……はい? いきなり何を――っ!?」
時雨からの不明瞭な言動も束の間、琉月の豊満な胸元は鷲掴みにされていた。
「ほら見ろ! 偽物じゃないか? に、にせ……偽物って……あれ?」
強引に両手で揉みしだく時雨だったが、すぐに気付く――その感触と違和感に。
どう見積もって偽物ではない。その感触は紛れもなく本物。ならば目の前に居るのは――
「まっ……ままま、まさか?」
確信して尚、両手を離さないのはわざとなのか、それとも引っ込みがつかないのか。
途端に時雨の表情が、蒼白に染まっていく。
「貴方という人は……」
琉月と思わしき、否もう間違いなく御本人だろうその憮然とした表情が、吊り上がっていくのを目の当たりにしたのだから。
「――オブッ!!」
刹那響き渡る、気持ちいい迄に乾いた音。それと同時に冗談みたいに吹き飛び、仰向けに倒れる時雨の哀れに伸びた姿。
「何を考えてるんですか貴方は!? この様な場所で恥を知りなさい全く……」
胸元を両腕で覆いながら、琉月は伸びた時雨を罵倒する。
それにしても見事な平手打ちだった。皆がその瞬間に、唖然と立ち竦んでしまったのも無理はない。
それは『お見事』という、ある意味“魅入られた”が正しい。
「しっ……しどい」
目を回しながら呂律が廻らない時雨の頬には、その跡がくっきりと残されていた。
「ルヅキ~怖かったよぉ!」
伸びた時雨を飛び越えて、琉月へと駆け寄った悠莉は人目憚らず、その胸へと飛び込んでいた。
「怖かったわね悠莉。もう大丈夫よ私が来たからには」
「うん、うん……」
琉月もまた、安心したのか泣きじゃくる悠莉を包み込むように、その小さな身体を抱き締めていた。
「待って……俺の話も聞いて!」
誤解を解きたいのか、頬を押さえながら緩慢に時雨は立ち上がるが、その姿は失笑が洩れる位に滑稽だ。
「俺は悪くないんだよホント。悪いのはほら……そこの」
かなり言い訳がましいが、視線を向けられた悠莉はピクリと反応し、そさくさと琉月の背後へと身を隠す。これは図星を突かれたと云うよりは、彼女なりの自己防衛本能に近い。
どちらも悪い。それ処か、先に仕掛けた感のある時雨の方に明らかに非があるのだが。
琉月は背後へ回った悠莉を庇うように――
「聞かなくても大方分かります。また悠莉を馬鹿にしたか何かで怒らせ、更には逆ギレでもしたのでしょう?」
時雨へ向けてビシリと指摘。悠莉の力の事まで言わなかったのは、表に於ける暗黙の了解なのだろう。
「うっ!」
それでも見事な迄に図星だった。時雨には返す言葉も無い。
「全く……本当に貴方は仕様がない人ですね」
図星を突かれて固まっている時雨へ、琉月はつかつかと歩み寄り――
「痛っ! 琉月ちゃん耳、みみぃ!?」
その左耳を右指で摘まんでいた。
「さあ帰りますよ? 貴方にはこれから、沢山の“教育”が必要みたいですから」
時雨を引き摺るように引っ張っていき――
「もう安心よ悠莉。さあ、幸人さんの所に戻りなさい」
悠莉へ“この一連を突っ立って見てただけ”の幸人の下へ、戻るように促していた。
「ルヅキありがとう~。今日はね、幸人お兄ちゃんとお買い物に来てたんだ~」
すっかりと笑顔を取り戻していた悠莉は、やはり何処か小悪魔的だ。先程の事は、もう無かった事にしている。
「あらぁ? それは良かったわね。うん、今日は幸人さんに一杯甘えさせて貰いなさいね」
「は~い」
「痛いって痛たた――」
涙目な時雨を他所に、楽しく談笑する二人。それがまた、時雨の滑稽さも相まって微笑ましくもあった。
「――って事で幸人さん? この子の事、宜しくお願いしますね」
視線を幸人へと向けた琉月。
「あっ……ああ」
呆気にとられ、頷くしかない幸人。
「では皆さん、お騒がせしました」
「痛いぃぃぃ――」
琉月は周りに頭を下げながら、引き摺られ悲鳴を残す時雨と共に、この場を跡にしていた。
「ばいば~い」
幸人の下へ戻ってきた悠莉は、手を振って二人を見送る。
退場の際には、周りから自然と拍手喝采が沸き起こっていた。
“凄い女性だ”
“格好いい!”
“男の方は馬鹿だけど”
それは琉月への、見事な迄に場を収めた事に対する、称賛の嵐に他ならない。
各々が散々となっていき、モール内が何時もの喧騒へと戻る。食事の途中だった者、館内闊歩の途中だった者等、様々だ。
「……オイ幸人ぉ!」
それまで黙してた感のあるジュウベエが、突如として口を開いた。
「何なんだあの仲介人は!? 美人なんてレベルじゃねーぞ!」
“そっちかよ!”
黙っていたのは単に、これまで白い仮面に覆われた琉月の姿しか知らなかったから、初めて見るその素顔に固まっていたという訳だ。
「何を言ってるんだ、お前は……」
相変わらずの猫らしかぬ思考に、幸人は呆れるしかない。かくいう幸人も琉月の素顔を見るのは初なのだが、特に感慨は無さそうだ。寧ろ興味無し。
「でしょでしょ? もうルヅキは凄くカッコいいの」
何時の間にか幸人の傍らで、賛同するのは悠莉だ。話はばっちり聞こえたらしい。
彼女は背伸びしながら、ジュウベエを抱き抱え――
「優しくてかっこよくて凄く綺麗で、ルヅキはボクの憧れなんだ~。もう理想の女性像だよ」
そう本当に嬉しそうに。まるで自慢の姉を、自慢気に捲し立てる。
それは本当の姉以上に、琉月の事を尊敬している節があった。
そして琉月もまた、悠莉の事を本当の妹以上に――
「ボクも大人になったら、ルヅキみたいなカッコいい女性になれるかなぁ?」
彼女達の間に、何があって今に到るのかは分からないが、あの二人には家族の血以上に、本当の絆が深く感じられた。
「うん、なれるなれる! お嬢が大人になったらもう、男共は平伏し懺悔し、幸人なんてプロポーズまでしてくるかもしれん」
「ホント? きゃは、お嫁さん!」
幸人は彼女等の想いを耽りながら、ジュウベエと悠莉のやり取りを微笑ましく見ていた。
「――って事で幸人お兄ちゃん?」
悠莉が上目遣いで見上げてくる。
「ん?」
幸人は想いに耽っていた感があったので、二人のやり取りの全貌までは聞き取れてないし、悠莉の期待感に満ちた表情の真意が分かる筈も無い。
「ボクが大人になったら、幸人お兄ちゃんのお嫁さんにしてね」
「ああ分かった……って、えっ?」
何気無く返事をしたはいいが、すぐにその浅はかさに気付く。
「やったぁ! 約束だからね幸人お兄ちゃん?」
「ちょっ……ちょっと待って――」
幸人はようやく呑み込めたが、もう遅かった。
************
――夕刻前、モール内のスーパー内。幸人の傍らでベッタリと腕組み寄り添いながら、上機嫌の悠莉が生鮮コーナーを物色中。
振り回されている感のある表情の幸人。その片手には買い物カゴが。
『今日はボクが夕御飯を作るからね』
――あの後も悠莉の買い物は膨大な数に及び(勿論全て後日配達の形だが)、ようやく全てが終了する迄、殆ど今日一日を費やし、購入費用は軽く七桁を越えていた。それでも悠莉の膨大な資金は、補って余りあるが。
後は帰宅するのみなのだが、とどのつまり、この締めの買い物である。
幸人としては夕食等、外食で軽く済ませて早く休みたいものだが、悠莉の好意を蔑ろにする訳にはいかない。ここは黙って従っていた。
悠莉としては、これも花嫁修業の一環のつもりなのだろう。(ちなみ“お嫁さん発言から幸人の否定に対し、悠莉は舞い上がって完全に話を聞いていなかった)
着々と築かれつつある、“間違った道”。もはや反論するだけ無意味。幸人は気疲れが絶えない。
――二人は青果コーナーで暫し物色中。
「何を作るかはナイショ。楽しみにしといてね~」
買い物カゴに次々と入れられていく商材。
“人参、メークイン、玉葱”
もうこの時点で幸人には、悠莉が何を作ろうとしているのかが分かってしまった。
内緒になっていない気もするが、ここは敢えて突っ込まない。
「幸人お兄ちゃん、次はお肉のコーナーに行こ」
寧ろ期待通りとも言うべきか。彼女のその年相応さが微笑ましいというか、なんというか。
こんな“普通”の事が、随分と久しぶりな気もする。
そんな“当たり前”の事さえ、忘れていた日常を――
「はいはい……」
振り回されて、疲れていた筈だった。
だが何時の間にか、その険しかった表情を綻ばせながら、幸人は共に精肉コーナーへと向かっていた。
――買い物カゴには一通りの商材が詰まれた。
前記の野菜に加え、豚バラ・カレールウ(甘口)。つまりカレーである。
ちなみに幸人は肉じゃがだと思っており、見事に宛が外れた形となった訳だ。
後はレジで清算して帰宅するのみ。
「いらっしゃいませ~!」
途中、店内で呼び込み中の従業員から、幸人達に向けて威勢の良い掛け声が上がった。
その威勢の良さに、二人はつい立ち止まる。
中肉中背で短髪の、黒縁眼鏡を掛けた従業員。
だがよく見ると、他の従業員とは服装が違う。
ネームプレートには――
“店長 中村 照男”と記されていた。
「兄妹でお買い物ですか? ごゆっくり見ていってくださいね」
年季の入った中年店長が、にこやかな笑みを二人へと向け、深々と会釈する。
サービス業務に携わる者らしい、実に爽やかな笑顔だった。
相当な年配の筈だが、実年齢以上に若く見えたものだ。
「良い店ですね。活気もあって――」
「ありがとうございます。光栄です」
幸人は店長らしきその人物に、正直な感想を述べていた。
「…………」
だが悠莉は違った。彼女は無言で幸人の腕を、きつく抱き締める。
それはまるで人見知りの構え。
長々と世間話をするつもりはない。一言二言のみで済ませ、レジへと向かう。
「どうした? 珍しく大人しいな……」
悠莉の大人しさに、幸人は怪訝に思う。てっきり『将来のお嫁さんです』とでも言い放つと思っていたばかりだ。
やはり表に疎いのか。否寧ろ、しがみついて離さないその密着感は、何かに脅えている類の自己防衛の顕れに近い。
「ねえ……幸人お兄ちゃん?」
「うん?」
黙っていた悠莉が、恐る恐る口を開く。
突然黙してしまった、その訳を――
「さっきの人……サイコパスだよ。良心が無かったの」