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月影
――なぜ、選ばなかったのか
最初にそれを見たのは、
社内ポータルのトップだった。
「持続的安定利用層の発見」
広報用に整えられた特設ページ。
柔らかな色味。
利用者の匿名コメント。
滑らかなグラフ。
そして中央に、
はっきりとした文字。
> 外部からの意味付与を行わない状態が、
持続的安定を生む傾向が確認されました。
「確認されました」
月影は、そこで止まる。
(……確認は、していない)
少なくとも、
彼はしていない。
その直後、
通知が入る。
> 【再依頼】
意味付与回避率の定義策定
安定層に関する再分析
担当:月影 真佐男
想定内だった。
だが、
早い。
会議室は、小さかった。
佐伯と、運用責任者、
それに月影。
資料は既に印刷されている。
佐伯が口を開く。
「広報資料は見ましたか」
「はい」
「問題はありますか」
質問は穏やかだ。
否定も、
責めも、
含まれていない。
月影は答える。
「確認された、という表現は
強いと思います」
佐伯は頷く。
「だから、確認する」
その言葉は、
柔らかく、
しかし逃げ道を塞ぐ。
「前回の報告では、
“特筆すべき変動なし”とありました」
佐伯は資料をめくる。
「仮説はあったのでは?」
沈黙。
部屋の空気は乾いている。
月影は、
ゆっくりと言う。
「仮説は、ありました」
「なぜ書かなかった」
責める口調ではない。
純粋な確認。
だが、
核心。
月影は、
一度だけ目を伏せる。
「制度に組み込むべき段階ではないと
判断しました」
「理由は」
「再現性が、
まだ見えなかったからです」
それは半分、本当。
もう半分は、
言葉にしない。
佐伯は、静かに続ける。
「再現性は、
検証して初めて見える」
正論だ。
制度は、
そうやって進む。
「安定が自然発生的なものであれば、
なおさら定義が必要です」
佐伯の声は揺れない。
「管理できない安定は、
異常と区別がつかない」
その言葉に、
月影の胸がわずかに締まる。
(異常)
その語を、
彼はもう使っている。
「あなたは、
何を懸念しましたか」
逃げ道のない問い。
月影は、
正確な言葉を探さない。
正確にすると、
制度語になる。
「……固定されることです」
「何が」
「意味が」
沈黙。
佐伯は、
彼をまっすぐ見る。
「意味は、
常に固定されます」
「ええ」
「だが、それが仕事です」
月影は、
それを否定しない。
否定できない。
この会社は、
かつて「丸徳技術研究所」だった。
曖昧さに苦しみ、
管理に生き延びてきた。
「再分析をお願いします」
佐伯は言う。
命令ではない。
依頼でもない。
確定だ。
会議が終わる。
月影は、
資料を抱えたまま席を立つ。
廊下は静かだ。
端末を開く。
ログが並ぶ。
赤も黄もない行。
「特記事項なし」
あの静かな利用者。
入力欄が開いている。
> 意味付与回避率:__%
安定寄与度:__
カーソルが点滅する。
(月影は理解している)
ここで定義すれば、
未選択は消える。
だが、
拒否すれば、
自分の立場が揺らぐ。
彼は、
深く息を吸う。
そして、
まだ数値を入れない。
代わりに、
別の項目を追加する。
> 備考:
安定要因の断定には
追加観測が必要
曖昧。
だが、
まだ止める。
送信する前、
一瞬だけ、
あの文言が頭をよぎる。
「意味を与えないことが――」
誰の言葉か、
知らない。
だが、
確かに誰かのものだ。
(私は、まだ選ばない)
そう決めて、
送信する。
しかし、
月影は分かっている。
次は、
もっと具体的な数値を求められる。
「なぜ選ばなかったのか」は、
もう一度問われる。
そのとき、
同じ答えでは済まない。