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約10分ほどの待ち時間。時計を見てはいないのに、やけに長く感じた。
沈黙がじわじわと部屋を圧していく。
緊張しているのはオレだけじゃないはずなのに──
何故、誰も話さないんだ……。
手持ち無沙汰で、ついキーホルダーの鹿を指先で揺らす。
視線を落としたまま、黙ってその揺れを眺めていた。
「お待たせ〜!」
ぱっと、明るい声が沈黙を破った。
佐久間が両手で硝子の器を抱え、向かい側からテーブルにそっと置く。
そして滑らせるように、正面に居るオレの近くまでスッと寄せた。
「一口チョコレートと、クッキー! 岩本先生っ、食べて!いっぱい持ってきたら結構重たかった〜」
透明なガラスの器には、銀色のキャンディー包みの小さな四角形チョコと、個包装されたクッキーがぎっしり入っていた。
場の空気がいっきに柔らかくなる。
「大変お待たせいたしました。こちらもどうぞ」
遅れて、トレーにカップを載せた佐久間の母親が部屋に入ってきた。
まず深澤先生の前へ丁寧に置く。
ふわりと立ちのぼるコーヒーの香り。
飲む前から、香りだけでうまいのがわかる。
オレは飲み物を断ってしまったので、
目の前のチョコレートにそっと手を伸ばした。
包みを開けて口に放りこむ。
カリッ、と噛むとアーモンドの香ばしさが広がった。
美味しい。
次は、会長の前にもカップを置いてから一言。
「冷めないうちにどうぞお召し上がりください」
柔らかい声で勧めながら、深澤先生の向かいの一人掛けソファに腰を下ろすのを見届け、
佐久間も同じように反対側の一人掛けソファにすっと座った。
「遠慮なくご馳走になります」
深澤先生は、丁寧な所作でカップとソーサーを持ち上げた。
すぐには飲まず、ゆっくりとコーヒーの香りを鼻先に寄せる。
「……とてもいい香りですね」
柔らかく目を細める表情は、まるでプロの鑑定士みたいだった。
「気に入っていただけたようで何よりです」
母さんもほっとしたように微笑む。
「知ってますか? コーヒーって、イントネーションの違いで標準語だと思っていたら、実はなまりだったって話を同僚から聞いたことがあるんですよ」
深澤先生が、ふっと肩の力を抜いたように話し出す。
「へぇ、そうなんですか?」
佐久間の母親は、興味深そうに相づちを打った。
「標準語ですと前半と後半を平坦に発音するか、後半をやや強く発音するのが当たり前なんですけど…」
間を置いてから続けて深澤先生は、身振りをつけ加えながらも、にこやかに話を続ける。
「同僚は【コ】にアクセント強くを付けて、後半は下げるんです。イントネーションを」
「まぁ、そうなのねぇ」
驚いたように目を丸くする母親
「標準語だと思い込んでいたら実は違った……
人の先入観って恐ろしいですよね」
深澤先生は、苦笑を含んだ表情で続けた。
「思い込んでいたせいで、危うく騙されそうでしたよ」
静かに、しかしどこか含みを持たせたトーン。
柔らかく会話しているはずなのに、言葉の奥に
もう一段深い意味が潜んでいるように感じた。
俺がなんとなく感じるくらいだから、頭のいい会長はもっと理解出来ているんだろうな。
そう思いながらチラリと様子を伺った。
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