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放課後、校舎の裏庭にあるベンチに座っていた。光は柔らかく、風は静かで、
まるで時が少しだけ緩んでいるような午後だった。
「……ひとり?」
声に気づいて顔を上げると、
すみれがいた。
制服の袖に陽が当たって、透けるようだった。
私は少しだけ空けた隣のスペースを、目で示した。
すみれは何も言わず、すとんとそこに座った。
しばらく、お互いに何も話さずにいた。
遠くで体育の授業の声が聞こえるけれど、ここには届かない。
ふいに、すみれがつぶやいた。
「今日、理科の授業でスミレの話が出てた」
「……うん。聞いてた」
「なんか、変な感じ。
自分の名前を黒板で見たような、見てないような」
私は小さく笑った。
「でも、あの名前、やっぱり似合ってると思う」
すみれはこちらを見て、目を細めた。
「まだ、私の本当の名前、知らないんだよね?」
「……うん。教えてもらってない」
「聞かないの?」
私は少しだけ首を振った。
「“すみれ”で、いい。
私は……そう呼びたくて、呼んでるから」
すみれは、しばらく何も言わなかった。
でもそのあと、ほんの小さく笑って、
陽の差す方へ視線を向けた。
「……じゃあ、そうして。
その名前で、呼び続けて」
私も同じ方向を見た。
春の光が、ふたりの間に落ちていた。
名前じゃない何かが、静かに育っていく気がした。