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―あの人にもう一度会いたい―
「・・・長・・・会長!」
ハッと鈴子は自分を呼ぶ増田の方を向いた
「どうしたんだ?ボーッとして?」
「ごめんなさい、報告の続きをどうぞして頂戴」
「君が聞く気があるんならね」
それから増田はある投資家グループの最新型クリニックビル建設事業の計画書を読み上げた
「貧しい住民相手に比較的安値で手に入る台湾製バリネック製薬の医薬品を揃えて薬を安く買えるようにしようと思うんだ、処置やレントゲン、会計を全てセルフサービスにすると診察料は今の半額で・・・―」
また鈴子は上の空になった
・:.。.・:.。.
あるホテルの会合に参加した鈴子がふとロビーで足を止めた、そこの掲示板に貼られた「姫野浩二」の選挙ポスターに目がいった、『兵庫を西日本の中心に!』のロゴにガッツポーズをしている、笑顔が素敵だった
何となく鈴子はそのポスターをいつまでも見つめていた
・:.。.・:.。.
鈴子は最上階の会長オフィスでデスクに座り、広々とした神戸の景色を眺めていた
部屋の中央には艶やかなマホガニーの会長デスクが鎮座し、その前には豪華な商談用の黒革のソファーが柔らかな光沢を放ち、ガラス製のコーヒーテーブルには整然と書類が並んでいる
―一週間前は・・・あの人がそこに座ってランチボックスを食べていたっけ・・・―
今はソファーに腰掛けているのはアシスタントの榊原で、彼はノートパソコンを膝に置き、パチパチとキーボードを叩いていた
テーブルの上には小型の感熱紙専用プリンターが置かれ、シュッ、シュッと軽快な音を立てながら書類を吐き出している。彼の手元には、鈴子のために用意した資料が丁寧にまとめられ、几帳面な性格をうかがわせた
榊原はスーツの上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をたくし上げ、眉間にシワを寄せて集中した面持ちで作業に没頭していた
「ねぇ、榊原君、今度の知事選で彼は勝つかしら?」
鈴子の声が部屋の静寂を破った、彼女はデスクの背もたれに体を預け、長い髪を指で軽く巻きながら、窓の外を眺めていた
榊原はキーボードを叩く手を一瞬止め、プリンターから出てきたばかりの書類を手に取りながら答えた
「姫野候補のことですか?難しいかもしれませんね、現職知事もまだ相当な人気がありますから、いくら敏腕でも、姫野候補はこの街では新人ですから」
彼の口調は冷静で、データに基づいた分析を思わせるものだった、書類を揃えながら、ちらりと鈴子の表情を窺った
鈴子はふんと鼻を鳴らし、デスクの上で腕を組んだ
「現職知事はもう60過ぎのおじいちゃんでしょ?」
「じじぃだろうとボケようと、現職知事に祭り上げておかないと都合が悪い人間達が沢山いるんですよ」
彼の声には、世の中の仕組みを冷ややかに見透かすような響きがあった、プリンターが最後の紙を吐き出し、静かな機械音が止まる、鈴子はくるりと椅子を回転させ、榊原の方を向いた
彼女の目がキラリと光り、決意に満ちた声で言った
「決めたわ、当社はZ党の姫野浩二候補を県知事に応援します、私の名前で一千万の小切手を切って彼の事務所に寄付してちょうだい」
榊原は一瞬、動きを止めた、ノートパソコンの画面から目を上げ、鈴子の顔をまじまじと見つめた、拍子抜けした表情が彼の普段の冷静さを崩していた
「・・・政治に興味がおありなんですか?知らなかった」
鈴子は頬をほのかに染めて言った
「最近、興味を持つようになったの」
・:.。.・:.。.
鈴子はその日一日そわそわして姫野浩二のことが頭から離れなかった、そしてその日の夕方、内線電話で受付嬢の花田美咲が連絡してきた
『姫野兵庫県知事候補と言う方から電話です、こちらで用件を伺いましょうか?』
「いいの、つないでしょうだい」
鈴子は受話器を取り上げた
『もしもし・・・姫野です・・・本当にこの度はなんてお礼を言っていいか・・・』
「いえ・・・支援者として当然の事をしたまでです・・・」
鈴子の心臓はドキドキしていた、こんなときめきなど梅田の一等地のビルを競り落とした時でも感じたことがなかった
『それで土曜日に神戸メリケンパークオリエンタルホテル -のグランドホールで特別な支援者のための私の政策をかねた晩餐会があるのですが、ぜひ会長をご招待したいのですが・・・急な申し出でご都合が悪ければ・・・』
慌てて榊原の作った予定表が書き込まれている、パソコンの画面を覗き込んだ、その夜はニューヨークから来る銀行家との投資会議があった、鈴子がわざわざ呼びつけたのだ、しかし彼女は迷わず言った
「ええ、喜んでお伺いします」
『本当ですか?それではあなたの席を特別仕様にしますね、あとはお連れの方は何人ですか?』
「同行者は折り返し私の秘書から連絡を入れさせていただきます」
『楽しみにしています、その時にもう一度お礼を言わせてくださいね、僕がどれほど驚いているか―』
それから2~3分、姫野浩二と世間話をして電話を切った、受話器を置くとはぁ・・・と思わず熱いため息を吐いた
鈴子は彼の姿を頭から払いのける事が出来なかった、子供の頃にこっそり読んで想像していたハーレクィン恋愛小説に出て来るヒーロー像に彼はそっくりだった
背が高くて、逞しくて、顔は飛び切りハンサムで・・・頭が良く、機転に飛んで、ユーモア溢れ、何があってもヒロインを守ってくれる・・・
鈴子は首を振った
馬鹿みたい、初恋に身もだえる女学生ではあるまいし、もう私は40過ぎ・・・これはビジネスよ、少し地域を良くしてくれる人を応援するだけ・・・
そう思おうとしているのに、頭の中はどうしてもハーレクィン物語のヒーローと姫野浩二を重ねずにはいられなかった