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meyu0530
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◇
そのあとも近くを観光し、予定より早く宿に到着した。瓦製の床材が敷き詰められたガラス張りの長い廊下を通り、離れの部屋へと案内される。
部屋で出されたお茶と共にお着き菓子をいただきながら、まったりとした時間を過ごすつもりが、ちらちらと視界に入る白い靄が気になって仕方がない。
「夕食まで少し時間があるけど、先に温泉でも入ろうか」
「えっ!」
平然と言われ肩を震わせる。温泉にでも入ろうかって……。
伊織さんが予約してくれた宿は、全室に客室露天風呂付きの高級宿。私としては神花リゾート所有のホテルでも問題ないといったが、彼がそれでは面白くないとこの宿をとってくれたのだ。
通常であれば二人用にしては広すぎる部屋も、目を見張る巨石の露天風呂も、非日常空間を演出するすべてに気分が上がるだろう。こんな豪華な部屋に泊まる機会などないのだから。けれど、部屋に露天風呂がついていたことで緊張が勝ってしまう。まだ初夜すら迎えていないのに一緒に入るのか、と。
何も言わない伊織さんに戸惑っていると、やがて彼は小さく笑みをこぼした。
「ごめん、冗談だよ。ちゃんと中からは見えないようにできるから、先に入っておいで」
「でも、伊織さんは……」
「俺もあとからゆっくり入るから、気にしないでのんびりしてきて」
私の気持ちを汲んでくれてほっとするが、同時に普通の夫婦なら一緒に入るのかと思い、少し寂しい気持ちになる。
促されるまま入浴の準備を始めようとすると、伊織さんが「でも」と付け足した。
「あとで一緒に入ろうか。夜にでも」
「っ、うん……」
やけに艶っぽい声で告げられ、心臓が早鐘を打つ。夜というのは”事”の前なのか後なのか。冷静に考えれば後だろうけれど。どちらにしても、急なことに動揺を隠しきれない。
この調子で、本番まで持つのか――不安に思いながらも、準備を整えたのだった。
◇
つい長風呂をしてしまい、伊織さんがお風呂から上がるころには、夕食時を迎えていた。部屋に運ばれてきたのは、旬の食材を使った懐石料理。先付けに始まり、中でも中頃に出された山の幸を贅沢に盛り込んだ八寸は、味はもちろんのこと見栄えまで洗練されていて、もはや料理というより芸術だ。また癖で盛り付けの参考にしようなんて考えていたら、伊織さんに微笑まれて恥ずかしくなった。
昼も夜も贅沢すぎる食事に舌鼓を打ちながら、料理に合わせて出してもらった地酒がまた美味しく、普段飲まないお酒が進んでいく。おかげで宿に到着したときの緊張は幾分薄れていた。
「こんなにゆっくりしたのは久しぶりだな」
夕食後、窓辺の椅子で酔いを醒ましながら、伊織さんがしみじみと呟く。病院から呼び出しもなく、のんびりできる時間はそうそうない。その横顔はやけに穏やかで、彼も心から寛げているのだと感じた。
「ありがとう。時間作ってくれて。仕事休みもらうの大変じゃなかった?」
「大丈夫。それに、俺が来たかったんだ。新婚だっていうのに、緋真との時間もなかなかとれなかったから」
「……うん、そうだね。私も伊織さんと一緒に旅行できて嬉しい」
素直な気持ちだった。けれど、伊織さんは探るようにこちらを覗き込む。
「本心で言ってくれてる?」
先ほど温泉から上がった時も思ったが、あらためて温泉浴衣を身に纏った彼からは溢れるばかりの色気が感じられて、どくんと胸が飛び跳ねた。本当に、こんなに素敵な人と夫婦として旅行に来れたなんて夢みたいだ。
「……当たり前だよ。嘘なんかつかない」
「そっか。ごめん、疑って。ちゃんと確かめておきたくて」
「何を?」
「この間言ったこと、覚えてる?」
この間、と言われてもヒントが少なすぎる。しかしながら、伊織さんが「ちゃんと抱かせて」と言った言葉が不意に蘇ってきた。それもあって旅行の話になったのだから。
伊織さんと私が考えていることは、同じなのだろうか……。
頷くべきか迷っていると、不意に伸びてきた彼の腕が私の手に重なる。
「……緋真が嫌なら、いつも通りに寝るよ。だから無理はしなくていい」
「あ……」
意味がはっきりとわかり、伊織さんへと視線を移す。彼の瞳は微かに揺れていて、私の本心を探るかのように真っ直ぐにこちらを見つめていた。
先日、自ら抱いてほしいと言ったくせに、ここまできて怖気づく。心臓の音がうるさくて、どうにかなってしまいそうだ。それでも嫌だと断る理由はなくて、小さく、だけどしっかりと頷いてみせた。
「……嫌なわけない」
言葉でもきちんと伝えると、伊織さんは安堵したように口元を緩める。そして、「そろそろ寝ようか」と私の手を引いた。
コメント
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読了しました。お預け感がじわじわと効いてくる回でしたね。伊織さんの「冗談だよ」からの「でも、あとで一緒に入ろうか。夜にでも」という流し方が絶妙で、読者としては「どっちやねん!」とツッコミつつもニヤニヤが止まらない(笑)。緋真さんの職業柄の癖で盛り付けを分析しそうになるシーンも、キャラのリアリティが効いていて好きです。温泉浴衣の色気描写も含めて、旅先の甘くて苛々する空気感、とても丁寧に描けていました。次が待ち遠しいです!