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第157話 傷
【重なった中枢】
ヴェルニの爆風が、観測の穴の縁を叩いた。
白い数字と黒い煤が、穴のまわりで逆巻く。
そこから這い出ようとしていた巨大な塊
――警官、兵士、教師、社員、術師の
“役割”がぐちゃぐちゃに貼り付いた殻――
が、一瞬だけ動きを止めた。
それは人ではない。
人の顔や制服や肩書きだけを、無理やり貼り合わせた空っぽの殻。
中身は白い数列と黒い煤の渦で、顔はあるのに目の奥が空洞だ。
カシウスは、あれをわざと出している。
本物の人間に見える敵を前に出して、こちらに一瞬ためらわせる。
その間に、この重なった中枢の“押しつける向き”を維持し、二つの世界の融合を進める。
つまり、あの殻はただの雑魚ではない。
時間を稼ぐための壁だった。
「今だ!」
ヴェルニが吠える。
ハレルが前へ出る。
リオが右へ。
アデルが左へ。
主鍵。
右の副鍵。
左の副鍵。
三つの鍵が、部屋の中心を向いた。
サキのスマホが、激しく明滅する。
《MAIN KEY》
《SUB KEY R》
《SUB KEY L》
《SYNC CONDITION PARTIAL》
《DIRECTION REQUIRED》
「向き!」
サキが叫ぶ。
「まだ“向き”が足りない!」
セラが即座に答える。
「この部屋ごと、現実側と異世界側が押しつけ合ってるんです」
「ただ強く撃つだけじゃ駄目です。
カシウスが押しつけている向きを、逆に返さないといけない」
「分かるように言え!」
ヴェルニが穴を押さえながら怒鳴る。
「今は“向こうからこちらへ”流れているんです!」
セラの声が、珍しく強い。
「現実側の役割をこちらへ、こちら側の役割を向こうへ、無理やり混ぜて引っ張る向きです!」
「それを逆に、“戻す向き”へ返すんです!」
ハレルの主鍵が熱くなる。
リオの副鍵も、アデルの副鍵も、それに応じる。
だが、まだ足りない。
今のまま撃てば、ただ部屋を壊すだけだ。
それでは駄目だ。
匠が言った通り、この中枢は壊すのではなく、向きを戻す必要がある。
カシウスは、それを見てわずかに目を細めた。
「惜しいな」
「鍵が増えただけでは足りない」
「君たちはまだ、“戻す向き”を知らない」
「黙れ!」
ハレルが返す。
だが、その直後だった。
カシウスの右手が、静かに上がる。
大きな動きではない。
王が玉座から指を軽く動かすような、小さな所作。
それだけで、床の白い線が一気に震えた。
「まずは、その手を離してもらおう」
次の瞬間、白い制御線と石の魔術紋の間から、細い刃のような光が何本も走った。
槍ではない。
炎でもない。
白い線をそのまま細く伸ばしたような、鋭い“観測の刃”だった。
それは真っ直ぐ、ハレルとサキ、そしてリオへ向かう。
「サキ、下がれ!」
ハレルが叫ぶ。
サキが反射で身を引く。
だが間に合わない。
観測の刃は、距離を無視するように一気に詰めてきた。
その前へ、ヴェルニが飛び込んだ。
「通すかよ!」
両手に炎と風が巻き起こる。
だが今度のヴェルニは、ただ爆ぜさせない。
刃の進む線を真正面からずらしにいく。
「〈爆風・第四級〉――『散らせ!』」
爆風が白い刃へ横からぶつかる。
刃はその場で砕けない。
だが軌道が大きく逸れ、ハレルたちの頭上と足元へばらけて石床を裂いた。
石と白い床が同時に抉れる。
火花ではなく、白い数字と黒い煤が散る。
サキが息を呑む。
「今の……!」
「真っ直ぐ受けるな!」
ヴェルニが振り返りもせずに言う。
「こいつのは“切る”んじゃなくて、“位置ごと削る”!」
セラがすぐ補足する。
「当たると、怪我だけでは済みません!」
「その場所の役割まで削られます!」
つまり、ただの攻撃ではない。
身体を切るだけではなく、そこにいる人間の“立ち位置”そのものを不安定にする刃だ。
ハレルはそこでようやく理解した。
カシウスは、こちらを殺すだけならもっと早くやれた。
そうではない。
鍵を持つ三人の立ち位置を崩し、同期をほどくことが狙いなのだ。
「……わざと、三人を狙ってる」
ハレルが低く言う。
「当然だ」
アデルが即答する。
「三点が噛み合うのを止めたいんだ」
◆ ◆ ◆
【重なった中枢/現実側】
現実側でも、同じ現象が起きていた。
カシウスの右手が動いた瞬間、
白い制御室の床から細い観測線が跳ね上がり、城ヶ峰たちの足元を狙って走る。
隊員が飛び退く。
日下部が端末を庇う。
木崎が咄嗟に村瀬の肩を引く。
刃が床を掠めた瞬間、その場所の白い線が一拍だけ消えた。
削れた。
ただ床が傷ついたのではない。
そこにあった“制御線の役割”が剥がされたのだ。
日下部が叫ぶ。
「これ、物理攻撃じゃない!」
「観測の位置を削ってる!」
木崎が舌打ちする。
「本当に性格が悪いな」
城ヶ峰は短く命じる。
「散るな。中心を見失うな」
その時、日下部の端末に、中心部の拡大図が出た。
白い線と石の紋様が重なっている中心。
そこに、小さく薄い板のようなものが浮いている。
「出た……!」
日下部が息を呑む。
「何がだ」
城ヶ峰が聞く。
「中枢ログです!」
◆ ◆ ◆
【重なった中枢】
サキが現実側の声を聞き返す。
「中枢ログ?」
セラが即座に説明した。
今はもう、隠している場合ではなかった。
「この重なった中枢が、どういう順番で二つの世界を押しつけているか」
「どの線を先に繋ぎ、どの向きで捻り、どこを支点にしているか」
「その“設計図兼、記録そのもの”です」
ハレルが眉を寄せる。
「設計図……」
「そうです」
セラが頷く。
「ただ壊すだけなら要りません。
でも、元に戻すには必要なんです」
日下部の声が、現実側から重なる。
『中枢ログは、この部屋の操作記録です!』
『どの外周から流れを入れて、どの杭で支えて、
どっち向きに捻って、今どう重ねてるか――それが全部入ってる!』
『これがあれば、後で“戻す順番”を読めます!』
木崎も現実側から叫ぶ。
『逆に言えば、これがないと勘で戻すしかない!
そんなことしたら二つの世界ごと裂ける!』
サキが息を呑む。
つまり中枢ログは、ただのデータではない。
「カシウスがどうやって世界を重ねているか」
「どの順番で何を使っているか」
「どこをどう戻せば安全か」
それを知るための、奪い返すべき証拠であり設計図なのだ。
だから必要。
だから、ここまで危険を冒して取りに来ている。
「じゃあ、あれを取れれば……」
ハレルが言う。
「戻るための手順が、一段見える」
セラがはっきり言った。
カシウスは、その説明を聞いても表情を崩さない。
だが、その目は明らかに冷えていた。
「そこまで理解したか」
「なら、余計に渡すわけにはいかない」
◆ ◆ ◆
【重なった中枢/現実側】
日下部の端末の中央に映っていた“中枢ログ”は、板のように見えた。
薄い。
白い。
だが固体ではない。
透明な板の中へ、無数の線と文字と座標が流れている。
地図のようで、回路図のようで、日記のようでもある。
まるでこの中枢そのものが、
自分のやったことを一枚の記録板へ吐き出しているみたいだった。
佐伯が低く言う。
「記録だ……」
「施設の中に入ってたのは、人じゃなくて場所の記憶だったんだ」
村瀬も見入ったまま呟く。
「だから“ログ”……」
城ヶ峰が短く言う。
「取れるか」
日下部は即答しなかった。
端末を見つめ、白い板のまわりを走る線を読む。
それから、強く頷く。
「中心の捻りを一瞬でも逆にできれば、剥がれます!」
「でも短い! 本当に一瞬です!」
「一瞬で十分だ」
城ヶ峰が言う。
木崎がカメラを構え直す。
「その一瞬を作るために、向こうが鍵を噛ませるんだな」
「そうです!」
日下部が叫ぶ。
「異世界側で三点が噛み合った瞬間、この部屋の捻りも揺れる!
そこで中枢ログが露出する!」
◆ ◆ ◆
【重なった中枢/異世界側】
観測の穴から、さらに大きな殻が這い出ようとしていた。
兵士の鎧。
警官の帽子。
教師の顔。
社員証。
術師の袖。
全部を無理やり縫い合わせた、これまでで一番大きな“役割の塊”。
それはもう、人の形にすら見えなかった。
いろんな役割を押し固めた、巨大な空の人形だ。
ヴェルニが前へ出る。
「こいつ、邪魔だな」
「時間稼ぎです!」
セラが言う。
「カシウスはこれでこちらを止めて、中枢ログを剥がせないまま向きを戻すつもりです!」
目的が、ようやく全員の中で一つに繋がった。
カシウスは観測の穴を開いた
そこから“役割の殻”を出した
こちらにためらいと足止めを強いる
その間に部屋の捻りを維持し、中枢ログを守る
つまり、ログを奪われないための防衛だ
アデルが短く言う。
「なら、やることは一つだ」
「殻を止めて、向きを返して、ログを剥がす」
リオが頷く。
「三点をもう一回通す」
ハレルは主鍵を握り直した。
怖い。
でも、今は迷わない。
サキのスマホが赤く明滅する。
《MAIN KEY》
《SUB KEY R / SUB KEY L》
《ROTATION OFFSET DETECTED》
《REVERSE POSSIBLE》
「左!」
サキが叫ぶ。
「白い線が右に捻ってる! 逆に返すなら左!」
日下部の声も、現実側から重なる。
『左へ! 今なら支点が見えてる!』
アデルが左腕の副鍵を上げる。
リオが右腕の副鍵を前へ出す。
ハレルが中心へ主鍵を向ける。
だがその瞬間、カシウスがもう一度手を動かした。
今度の観測の刃は、ハレルだけではなく、サキへ真っ直ぐ伸びる。
「サキ!」
ハレルが叫ぶ。
サキは避けようとする。
だがスマホを持っている分、一歩遅い。
その前へ、またしてもヴェルニが割り込んだ。
「二回も通すか!」
今度は炎だけではない。
風と炎を細く束ね、観測の刃そのものへぶつける。
「〈爆裂・第四級〉――『散れ!』」
白い刃が、真正面から砕けた。
砕けたというより、細い火花みたいに散って、サキの横を抜けていく。
サキが息を呑む。
「ヴェルニさん……!」
「礼は後!」
ヴェルニが叫ぶ。
「今は前見ろ!」
それで十分だった。
ハレルが前へ。
リオが右へ。
アデルが左へ。
三つの鍵が、中心の床を同時に指す。
◆ ◆ ◆
【重なった中枢】
白い線と石の魔術紋が、中心で噛み合う。
今度は、ただ光るだけではない。
“捻り”そのものが変わる。
ハレルの主鍵が中心を押さえる。
リオの副鍵が右から差し込み、アデルの副鍵が左から噛む。
三つの光が中央でねじれ、右へ押しつけていた向きを、ほんの少しだけ左へ戻した。
その瞬間、観測の穴が大きく歪む。
穴から溢れていた役割の殻が、一斉に止まる。
顔がぶれる。
制服が裂ける。
名札が数字になって剥がれる。
今までこちらへ湧いていたものが、逆に穴の中へ引かれ始めた。
「効いてる!」
セラが叫ぶ。
リオがさらに押し込む。
「〈穿光・第四級〉――『貫け』!」
今度は殻ではない。
中心そのものへ。
白い線と石の紋様の、噛み合わせの継ぎ目へ。
アデルも同時に動く。
「〈断界・第四級〉――『重なりを切れ』!」
結界の線が十字に走り、中心の捻りを固定する。
日下部が現実側から叫ぶ。
『出た! 中枢ログが剥がれる!』
中心に浮いていた薄い白板が、ほんの少しだけ持ち上がった。
「木崎!」
城ヶ峰の声。
「見えてる!」
木崎がカメラを向ける。
中枢ログの輪郭が、今だけはっきりしている。
透明な板の中を、線と文字と座標が走っている。
これが奪えれば、戻すための順番が見える。
現実側の隊員が走る。
ただし真っ直ぐではない。
日下部の指示に従い、左へ一歩、前へ、また左へ。
揺らぐ床の“正しい位置”を選んで、中心へ飛び込む。
隊員の手が、中枢ログへ届く。
専用ケースへ叩き込む。
次の瞬間、カシウスの右肩から胸元にかけて、白い亀裂が走った。
「――っ」
初めて、はっきりと苦鳴が漏れる。
血ではない。
だが、今まで完全に整っていた輪郭に、初めて“壊れ”が入った。
白い数列が、傷口から漏れている。
サキが息を呑む。
「……入った」
ハレルも、それを見ていた。
届いた。
初めて、カシウスそのものに。
カシウスは崩れない。
倒れもしない。
だが、その目から余裕が一段消えていた。
「匠……」
低い声。
それは独り言に近かった。
「やはり、ここまで残すか」
◆ ◆ ◆
【重なった中枢】
観測の穴は、まだ開いている。
だが、さっきまでの勢いではない。
役割の殻の湧き出しも、明らかに遅くなった。
現実側の隊員は、中枢ログの破片を確保したまま後退する。
日下部がそのケースを受け取り、端末へ繋ごうとする。
佐伯と村瀬がその手元を支える。
異世界側では、ハレルたちがまだ三つの鍵の向きを維持していた。
止めれば、また捻りが戻る。
だから止められない。
ヴェルニが荒い息のまま笑う。
「やっと傷ついたな」
アデルは油断しない。
「まだ終わってない」
リオも、副鍵を強く握ったまま言う。
「でも、届くのは分かった」
セラは中央を見据えていた。
「中枢ログが剥がれた」
「これで、戻すための設計が一段見えるはずです」
カシウスは、重なった中心の向こうで静かに立ち直る。
右肩から胸に走った亀裂は消えていない。
その傷は、血の代わりに白い数列をわずかに漏らしていた。
それでも、その目はまだ折れていない。
「……なるほど」
カシウスが低く言う。
「君たちは、ここまで来るんだな」
その声には、怒りと、そしてわずかな認識の変化があった。
今までは“使えるかどうか”を見る目だった。
だが今は、初めて“敵”を見る目に変わっている。
ハレルは主鍵を握り返した。
ここまで来た。
届いた。
傷を入れた。
中枢ログも奪った。
なら、もう十分だ。
今ここで倒しきれなくても、次へ繋げられる。
アデルが低く言う。
「取るものは取った。
ここからどう抜けるかだ」
その言葉に、現実側も異世界側も、一瞬だけ息を呑んだ。
勝ったわけではない。
ここはまだ敵の中枢だ。
奪った中枢ログを持ち帰って初めて意味がある。
観測の穴が、また不穏に脈を打つ。
カシウスもまだ立っている。
だが、初めてこちらは――
戻すための具体的な手がかりを、敵の中枢から奪い返したのだった。
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