テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
大王国の調査隊と、不滅公ラーガと、再会した辻で再び別れた。ベルニージュは何度か振り返り、山影の向こうに消える一行を見送った。
「そもそもここで何してるんだろう?」とユカリが呟く。「大王国の調査隊って、何を調査してるの? というか調査してるの?」
「クヴラフワと同じく巨人の遺跡じゃない? ガレイン半島はクヴラフワより更に多くの巨人の逸話が残ってるからね」とベルニージュは解説する。「母なるヴィンゴロ。救いなき鎖状峡谷。名も無き摩天者、巨人の女王」
「それより一国の王子自らこんな所までやってきて調査隊を率いていることの方が不思議」とグリュエーが疑問を呈する。「今更だけど」
「ライゼンとはそういうものですわ」と今度はレモニカが答える。「大王自ら頻繁に遠征に出向き、先陣を切っておりますから」
「国の興り。竜を征し、霊峰ケイパロン以西を平らげた頃より、『逃げず隠れず』がライゼンの遺風として重んじられてきたのだ」とソラマリアが教師のように解説した。
街道をたどってやって来たのは主なき廃れた古城を丘の上に擁する街、反旗を翻した街。古くは銀と呼ばれた王国だったが、ずっと昔に民主制に移行し、しかし大王国には早々に恭順した植民市だ。丸太組みと石造りが混在した不思議な街だ。中には一つの建物が二つの要素を兼ね備えている。とはいえ窓は小さく、壁は分厚く、北国の建築に漏れることはない。
ベルニージュたちは一泊を経て、ある噂を耳にしていた。今ドーロアゴールの人々にとって空いた時間に語るのに丁度いい不思議さの噂だ。
「動く彫像ね」とベルニージュはあまり気乗りしない様子で呟く。「確かに封印っぽい話だけど。彫像を動かす魔術なんてごまんとあるから怪しいものだよ」
まだ確度の低い噂に過ぎないので、ベルニージュとユカリだけが目撃談を求めて街に繰り出し、他は引き続き宿で体を休めたり、日々の用事を済ましたりすることにした。
街は冬を迎えた穴熊の巣穴のように平和そのものだ。ライゼンの植民市だが、ライゼンの人間らしき者は全く見当たらない。通りを行き交う人々は秋風に身を震わせ、日々の生活に追われながらも活き活きとしている。
「ここら辺では珍しいトバール人の格好をしていたって話だけど」とユカリは昨夜聞いた噂を思い返して言う。
「酔っ払いの話だからなあ」ベルニージュは噂をあてにはしていないが、その視線は鋭く、しかし虚無を見つめるように中空を漂っている。
「でもいたんでしょ。馴鹿の毛皮を着ている人がこの街に一人だけ」
見守る者の持つ魔法であらかじめこの街のあらゆる場所に視界を行き渡らせたのだった。おかげで馴鹿の毛皮を着る人物は発見された。ただしその中身までは分からない。
「もうすぐだよ。あの角から出てくる」
見守る者の視点を借りたベルニージュが指さした先で、馴鹿の毛皮に身を包んだ人物が現れる。ベルニージュたちは丁度背中を追う格好となった。
分厚い毛皮の衣に包まれたその人物が彫像かどうか、どころか体形も全く分からない。毛皮の塊が歩いているかのようだ。
ユカリが呪文を行使する。空よりも高い空を飛んでいたという古の鷹の『顕現』を意味する言葉、地下を根城とする暗闇の種族が隠していたという『暴露』を意味する呪い、最も古く最も力ある語群の一つ『開示』を意味する文字、それらを舌の上で巧みに束ね、透視の魔術を織り成す。観る者に力を借りてなお、複雑極まる呪文だがユカリは無事に達成した。
「見えた。けど一番外の毛皮しか透けて見えないよ。中にも着込んでるし」とユカリは不平を零す。「あ! でも札は見つけた。この肌は、艶々で、陶磁みたいな、確かに人間じゃないね。右手の甲に貼ってる。星型の札。羽根付きの帽子をかぶった星、いや、海星かな?」
「流離う者だね」既にベルニージュは封印の意匠を全て除く者に教わって覚えていた。「大した抵抗はできないはず。そっと近づいてさっと剥がそう」
まるで掏摸かこそ泥のように、二人の少女は毛皮を着こんだ人物、あるいは像に近づく。ベルニージュは左から、ユカリは右から。
ベルニージュが先に追いつき、これ見よがしに顔を覗き込む。ご丁寧に防寒の目出し帽まで付けていて像だとは分からない。しかし、じろじろと見つめる少女に毛皮の人物はすぐに気づく。と、同時にユカリが動く。その毛皮の袖を捲り上げ、星型の札を剥がす。
「あ!」それは女の高く澄んだ声だった。
その声はユカリの行為を咎めるものではなく、ベルニージュに向けられていた。なおかつ、札を剥がしてもその像は動き、ユカリの方を振り返った。
「ユカリさんも!」とその女は続けて言った。
ベルニージュもユカリも困惑する。像の知り合いは一人しかいない。
目出し帽と毛皮の頭巾が取り払われて真珠質の顔が現れる。
「アギノアさん!?」ベルニージュとユカリの声が揃って響く。
丁度アギノア座の昇った時節のことだった。
二人には随分久しく感じられたが、実際のところアギノアとベルニージュたちがシグニカはビンガの港で別れてからまだ三か月と数週間ほどしか経っていない。
真珠質に包まれて魂が封じ込まれた古い時代の巫女アギノアは、青銅像に憑依した男ヒューグと共に昇天するための旅をし、しかしシグニカでの旅の果てにヒューグの魂だけが像の中から消え失せたのだった。アギノアはヒューグの手がかりを求め、元々青銅像があったというカウレンの城邑の墓地を訪れるためにベルニージュたちと別れたのだった。
「しかしヒューグさんの手がかりは何も掴めませんでした」アギノアの海の底に沈みそうな重々しい声が響く。
真珠質の友人と共に宿屋に戻ってきたベルニージュとユカリは除く者に軽く事情を説明し、これまでのことを語り合っていた。
アギノアは寝具に沈みこむようにして、天鵞絨の敷き布に据えられた極上の宝玉のように鎮座している。
「途方に暮れていた私ですが、あることに気づいたのです」とアギノアは続ける。「ヒューグさんを攫おうとしたヘルヌスという男のことを」
そういえば、とベルニージュも思い返す。ユカリにそのような話を聞いた。
「ああ、奴が秘密裏に授かっていた任務ですか」とソラマリアも合点がいった様子で頷く。
「何かご存じでしたら教えていただけませんか?」とアギノアが縋るようにソラマリアを見上げる。
「いえ、大したことは。私も皆の話から推測しているに過ぎません。あの時、魔導書とは別にレモニカ様を探し求めていた私と同様に、ヘルヌスはヒューグを探していたようです。つまり十中八九ラーガ殿下の思し召しということですが、どういう意図なのかは皆目見当が尽きません」
ヘルヌスはクヴラフワで呪いとの融合によって変身させられ、ベルニージュたちに襲い掛かってきて、相手をラーガに託して以来見かけていない。大王国の調査隊にもいなかった。となるとラーガに聞くのが順当だ。ヒューグの魂を持ち去ったのがヘルヌスならば今はラーガが所持していてもおかしくない。
「ライゼン大王国のラーガ王子ですか」
アギノアのその声には絶望が含まれていた。対立するにはあまりにも強大な相手だ。
渦巻く感情に真珠質の顔が歪むが、その陰影なき表情を読み取るのは難しくとも葛藤が窺える。ヒューグを諦めきれない気持ちはさざ波のようにベルニージュの心へ打ち寄せて震わせる。
そして「丁度、大王国のラーガ王子、その調査隊と別れたばかりなんです」と口走っていた。
ユカリたちの不思議そうな眼差しを受け止める。確かに言う必要のないことだ。仮にアギノアを手伝うにしても下手な希望を与えるべきではない。ラーガ王子が第一の騎士をシグニカに派遣してまで得たかったものをそう簡単に手放すはずがないのだから。
「ヘルヌスはいませんでした」とユカリがすかさず補足する。「それに今から追える距離ではないです。良ければ私たちと一緒にいましょう。何にしても魔導書を集める過程でまたいずれ大王国の調査隊に接触するはずですから。その時は――」
「わたくしが口添えいたしましょう」とレモニカが引き継ぐ。「アギノアさまにはお伝えしていませんでしたわね。わたくしがライゼン大王国の王女、ラーガ王子の妹であることは。正直なところ、わたくしの言葉でお考えを変える方とは思えませんが。できる限りのことは致します」
アギノアは果て無き洞窟を彷徨う末に光を見出したように笑みを浮かべる。
「ありがとう。ありがとうございます」と喉をつまらせて感謝の言葉を繰り返した。
「私、てっきり……」と言ってユカリが言葉を濁す。
ベルニージュは夕食の後、宿屋の小さな裏庭でユビスの毛を梳くユカリに付き合っていた。身繕う者の力は絡まりに絡まるユビスの体毛に久方ぶりの自由を与えている。
「何? どうしたの?」
「見直した、って言うと失礼か。てっきり、アギノアさんことじゃなくて流離う者のことを考えているかと思ってたよ」
ラーガのことをすぐに伝えたことをユカリは不思議に思っているのだ。
それはそれとして「流離う者? 何の話?」とベルニージュは問う。
流離う者について思い悩むことなどあっただろうか、と思い返すが何も出てこない。
「ほら、アギノアさんに貼られてたじゃない?」
「うん。……それがどうしたの?」
「え? いや、アギノアさんが言ってたでしょ? 右手の甲に貼られていることに気づいてなかったって」
アギノアと再会し、宿屋に戻るまでの会話だ。
「ああ、覚えてるけど、……それが、何?」
ユカリが毛繕いの手を止めて振り返り、ベルニージュの青白い顔の赤い瞳を見つめる。
「大丈夫? ベル?」
そろそろ面倒になってきてベルニージュは苛立ちを覚える。
「勿体ぶらないで何を言いたいのか言って」
「アギノアさんは流離う者に支配されてなかったんだよ」
気づいていなかった、というより、ベルニージュはそれについて考えてもいなかった。
「……それは、かわる者が命令を与えなかっただけでしょ。あいつは使い魔を自由にしてるだけだからその必要はないし、でもアギノアさんはただの像ではないから人間に貼った時と同様に命令を受けていない使い魔には抗える」
「流離う者の話を聞いてなかったんだね」
流離う者と話した覚えすらなかった。
「何て言ってたっけ?」
「そもそもアギノアさんに貼られていた時に意識はなかった。何にも貼られていない時や白紙文書に貼られている時と同じ状態だって」
ようやくその特殊性にベルニージュも気づく。
「アギノアさん自体が特殊な存在だけど、魔導書の力に抗えるとなると、その特殊性は際立つね。いや、でも憑依に関しては前に、ユカリにも似たようなことがあったんだよね? シグニカでアンソルーペに憑依しようとして、でも拒まれたって」
「ああ、あったね。そっちのことは忘れてた。え? 同じ現象だってこと?」
「それはまだ分からないけど。そっか。そうかもしれないんだ」
ユカリのベルニージュを見つめる表情は熱を出した子供を見守る母親のようだった。
「難しい顔をしてたから、私はてっきり、ベルニージュのことだから、魔導書について考えているのかと」
話が戻ってきた。
「失礼な」と言ってベルニージュはユカリを心配させまいとにやりと笑う。「ワタシだってひとの心配くらいするよ」
「やっぱり見直した!」ユカリもくすくすと笑う。
だからといって、他者の恋路、アギノアとヒューグの運命を案じるなど自分らしくないことだ、とベルニージュは心の内で靄に囚われる。