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第165話 補助層
【現実世界・湾岸方面/移動中の車両・明け方前】
車両は、止まらずに走っていた。
止まれば、そのぶんだけ錆が追いつく。
金属のきしみはまだ消えない。
車内のどこかで、小さく擦れるような音が時々鳴るたびに、
全員の視線が一瞬だけそちらへ向く。
だが今は、それでも読まなければならなかった。
日下部は中枢ログのケースを固定したまま、
ノートパソコンへ新しい線を重ねていた。
佐伯と村瀬が、その左右から画面を覗き込む。
木崎は窓の外を見ながらも、時々画面へ目を戻す。
城ヶ峰は前方の導線と隊列を確認し続けていた。
「……ここ、変です」
日下部が言った。
「何がだ」
城ヶ峰が聞く。
日下部は、画面の中央より少し外れた白い線の束を拡大した。
外周。
杭。
中継。
反転。
そのどれとも少し違う、細い層が何本も折り重なっている。
「これ、最初は“予備線”かと思ってました」
「でも違う。
ただの予備じゃない」
佐伯が小さく言う。
「補助層……?」
「たぶんそれです」
日下部が頷く。
「しかも、思ってたよりずっと重要です」
村瀬が聞く。
「“道”じゃないんですか」
日下部は少しだけ考え、それから分かりやすく言い換えた。
「道でもある」
「でも、それだけじゃない」
「たとえば細い橋を渡る時、そのままだと重さに耐えられないことがあるでしょう」
「その時、揺れを逃がすための支えや、横から張る補助の縄がいる」
「補助層は、それに近い」
木崎が低く言う。
「帰るための本線じゃなく、揺れを逃がす支えか」
「はい」
日下部が答える。
「主鍵と副鍵二つで最後の反転をかけた時、世界の重なりはたぶん一気に揺れる」
「その揺れを逃がす層がないと、本線ごと裂ける」
城ヶ峰が短くまとめた。
「補助層が弱いと、帰還そのものが折れる」
「そうです」
車両の中が、また少し静かになる。
今まで“細い道”とだけ思っていたものが、
実は“最後まで道を持たせるための支え”でもあった。
つまり、補助層は後回しにできない。
むしろ、最後の実行に耐えられるかどうかの要だ。
その時だった。
日下部の画面の端に、今までなかった細い行が走った。
《AUX-STABILIZER / LOCAL PATCH》
《SOURCE UNKNOWN》
「……何だ、これ」
日下部が手を止める。
村瀬が息を呑む。
「今、増えましたよね」
「増えた」
佐伯も言った。
「この線、さっきまでなかった」
木崎が画面へ身を乗り出す。
「外から入ってきたのか」
日下部はすぐには答えなかった。
ログの流れを追う。
白い線の中に混じる、わずかに別の癖。
それはカシウス側の整いすぎた線とは違う。
もっと人の手で急いで書き足したような、しかし意味は正確な線だった。
そして、画面の下端に、短い文字が現れる。
《揺れを逃がせ》
《本線を太くするな》
《先に補助を三層》
全員が、その文字を見た。
木崎が最初に言う。
「……匠だな」
日下部も頷いた。
「たぶん」
「この補助線の癖、ログ本体とは違う。
でも意味は噛み合ってる」
城ヶ峰が短く聞く。
「信用できるか」
「今のところは」
日下部が答える。
「少なくとも、ログを壊す方向じゃない。
むしろ“最後の反転時の負荷をどう逃がすか”を補ってる」
木崎は窓の外を一度見てから、低く言った。
「見てるな、あいつ」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校舎内・明け方前】
学園では、まだ蛍光灯の白い光が頼りだった。
体育館での尋問のあと、ハレル、サキ、リオは校舎の一室へ移っていた。
机を寄せて簡易の作業台にし、紙とスマホと学園の地図を広げている。
イヤーカフの向こうでは、ノノとセラがまだ繋がっていた。
サキが、さっきレアから出た言葉を紙に整理していく。
* 急いで出口を作るとズレる
* 先に広げると戻る場所が死ぬ
* 静かな層を選ぶと帰れなくなる
* 鍵のない誰かが、あっち側を歩いていた
「……やっぱり、レアの言ってたことも“順番”の話なんだね」
サキが言う。
「そうだな」
リオが答える。
「向きと順番を間違えると終わる。
中枢ログと同じだ」
ハレルは主鍵へ触れたまま考えていた。
戻る。
そのためには、ただ強く願うんじゃなく、
どこを残してどこを切るか決めなきゃいけない。
それは前より分かってきた。
でも、“補助層”だけはまだ、自分の感覚では掴みきれない。
『ハレル』
イヤーカフの向こうで、ノノが言った。
『現実側で、新しい補助線が出た』
「補助線?」
ハレルが顔を上げる。
『うん。
中枢ログの中へ、あとから書き足すみたいに入ってきた』
『匠さんの可能性が高い』
サキが息を呑んだ。
「お父さん……?」
セラの声が静かに続く。
『内容は、“揺れを逃がせ”“本線を太くするな”“先に補助を三層”』
『つまり、補助層はただの道ではなく、
最後の揺れを逃がすための支えだということです』
リオが小さく舌打ちした。
「また先に一手打ってくるな、あの人」
けれど、その声に本気の不満はなかった。
むしろ助かっていると分かっているからこその反応だ。
ハレルはしばらく黙ったあと、低く言った。
「……見てるなら、出てくればいいのに」
その言葉は、誰に向けたものか自分でもはっきりしなかった。
補助層を強化している匠に向けたものでもあり、
まだ会えないことへの苛立ちでもあり、
それでも助けられているという事実への戸惑いでもあった。
サキは紙の上に新しく線を書き足した。
「本線を太くするな、ってことは」
「帰る道を無理に広げると危ないってことだよね」
『そう』
ノノが答える。
『“たくさん通れる太い道”を先に作ろうとすると、そこに負荷が集中する』
『だから、まずは細くても切れない道を作る。
そのための補助層』
セラも続ける。
『レアの言っていた“先に広げると戻る場所が死ぬ”とも一致します』
ハレルはそこでようやく少しだけ整理がついた。
補助層は、帰るための裏道ではない。
最後に道そのものが折れないための、見えない支えだ。
それなら、匠がそこを先に強化している理由も分かる。
「……次に会えたら、聞くことがまた増えたな」
ハレルが言った。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/北西区画・明け方前】
王都の北西では、まだ戦いが続いていた。
猪型の影獣が石畳を砕きながら突っ込む。
狼型が結界の外縁を試すように左右へ跳ぶ。
牛型の残骸は崩れたが、その奥では新しい黒さが地面から持ち上がり始めている。
王都軍兵は、まだ線を保っていた。
槍兵が前列。
その後ろに術師。
さらに後ろに治療班。
イデールは光を回しながら負傷兵を立たせ、また線へ戻していく。
アデルが前を見たまま命じる。
「第二列、右へ半歩!」
「前列、深く刺そうとするな!
押して戻せ!」
ヴェルニはその横で、風と炎を交互に使っていた。
倒し切るより、押し返す。
街の奥へ入れない。
そのための戦い方へ完全に切り替わっている。
崩れた石壁の上では、ジャバがそれを見ていた。
肩幅のある体。
乱暴な立ち姿。
黒い影の脈動。
そして、壊せるものが増えるほど機嫌が良くなる顔。
「いいな」
「そうやって守れ」
彼の狙いは街そのものを消すことではない。
守る場所を増やし、兵を走らせ、術師を散らし、治療班の手を足りなくさせること。
広く薄く守らせれば、どこかで必ず綻びが出る。
だが、アデルもそれを見抜いていた。
「狙いは散らすことだ!」
「欲張るな!」
「ここを抜かせなければいい!」
その一言で、兵たちの動きが少しだけ整う。
広く守ろうとして崩れるのではなく、
守るべき線を明確にして保つ。
今の王都には、それが必要だった。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・明け方前】
ノノは、現実側と学園側と王都側の情報を同時に追っていた。
現実側では、補助層に新しい線が加わった。
学園側では、レアの証言とその整理。
王都側では、北西区画の赤い揺れがまだ消えていない。
その全部が、細い光路の上に乗っている。
『学園側、聞こえる?』
ノノが言う。
『現実側の補助線、かなり大きい』
『これで“最後の実行には補助層の安定が必要”ってのが、ほぼ確定した』
「つまり」
サキが言う。
「お父さんは、今そこをやってる」
『そういうこと』
ノノが答える。
セラは、その横で静かに言った。
「匠さんは、まだ直接は出てきません」
「でも、やっていることはもう十分前へ出ています」
「今の補助線がなければ、最後の反転は危うい」
ハレルは、その言葉を黙って聞いていた。
怒りがないわけじゃない。
聞きたいことが消えたわけでもない。
それでも今は、匠が“いないまま助けている”ことを認めざるを得ない。
『北西区画、まだ持ってる』
ノノが言う。
『だから今のうちに、学園側はレアの証言と補助層の話を繋げて』
リオが短く答える。
「分かった」
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/移動中の車両・明け方前】
車両の窓の外では、空がわずかに白み始めていた。
だが状況が明るくなったわけじゃない。
むしろ、見えるようになるぶん不気味さが増している。
ガードレールの継ぎ目。
仮設ラックの脚。
車両の金具。
気づくたびに、どこかが鈍く赤茶けている。
木崎は窓の外を見ながら、低く言った。
「……顔はまだ出さないか」
誰に向けた言葉でもなかった。
見えない何かへ向けた言葉だ。
城ヶ峰が短く聞く。
「追ってくるか」
「来る」
木崎が答える。
「じわじわな。
今はまだ導線を削る段階だ」
日下部は、そこへは口を挟まなかった。
画面の中の補助線を追いながら、ただ一つだけはっきり言った。
「でも、先に読めばこっちの勝ち筋も見える」
「向こうが削り切る前に、こっちが繋げればいい」
木崎は、その言葉に少しだけ笑った。
「いい顔になってきたな」
日下部は画面を見たまま答える。
「取ったからには、使います」
◆ ◆ ◆
補助層は、ただの細い道ではない。
最後に帰るための、本線を折らせない支えだった。
そして、その支えを匠は今もどこかで強くしている。
現実側では、見えない錆が導線を削り始めている。
異世界側では、王都軍兵がその時間を作るために線を守っている。
帰還の光路は、まだ細い。
だが、もうただの希望ではなかった。
支え方まで含めて、形になり始めていた。
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