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レッスン室に入ってきた瑠衣の表情が、心なしか曇り気味のように見えた。
『響野先生、こんにちは。……よろしく…………お願いします』
一礼をし、顔を上げた彼女は、最後のレッスンなのに何故か困惑している表情を浮かべている。
時折、顔を背け、何かを言いたげにうっすらと唇を開くが、口元をキュッと引き締める。
その仕草に、彼女の唇の右横にあるホクロが微かに動き、侑は妙な気持ちに襲われた。
門下生には、立川音大で教えるのは三月いっぱいで終わりだという事を、この日のレッスンの学生には今日で教えるのは最後だという事を既に伝えてある。
『レッスンの前に、九條に伝えないとならない事がある』
恩師の言葉に、瑠衣は警戒するように少し顔を顰める。
侑は顔を逸らして一旦大きくハアッとため息を吐き切り、再度彼女と視線を交えた。
苦し紛れな面差しではあるが、やけに落ち着き払った声音で彼は言葉を繋げた。
『俺が立川音大で教えるのは…………今日で…………最後だ』
『え…………?』
予想すらしなかった師匠の言葉に、彼女の丸い濃茶の瞳が、更に大きく見開かれた。
『お前もニュースで知っていると思うが、俺の両親がオーストリアで事故死した。手続きがまだ完了していない事と、演奏活動の拠点を、両親が大好きだったオーストリアの地に移すと決めたからだ』
『そう…………だったん……です…………ね……』
瑠衣が唇を小さく震わせ、時折グッと引き結ぶ様子を見た侑は、こんな状態では楽器を吹く事すらままならない、と考える。
『…………お前の今の状態だと、レッスンにならんな。ひとまず座れ』
侑は瑠衣に椅子に腰掛けように促し、彼女は鼻を啜りながら着席した。
彼は何かに思いを馳せるように、少しの間、遠くに視線をやった後、ゆっくりと弟子に顔を向ける。
『俺はこの四年間のレッスンで、お前に相当キツい言葉を投げたと思っている』
侑は長い脚と腕を組み、瑠衣に眼差しを向けながら訥々(とつとつ)と話し始めた。
『九條。以前俺が進路をどうするか、と聞いた時、お前はどう返答したか覚えてるか?』
『はい……覚えてます』