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【代償】
病室は、音が少なかった。
機械の規則正しい音と、夜灯のかすかな唸りだけが、時間を刻んでいる。
カチ、……カチ。
僕は、時間の流れを極限まで薄くして、そこに立っていた。
ベッドの上。
眠るように横たわる——駿の、親しい人。
魂は、もう遠くに行きかけている。
でも……完全には、離れていない。
「……見つけた」
小さく、そう呟く。
命は、糸みたいなものだ。
切れたように見えても、
稀に、ほんの一瞬だけ、結び直せる時がある。
「……九尾さん」
声は出さず、心の奥で呼ぶ。
『……覚悟は、あるか』
「ある」
即答だった。
『代償は大きいぞ』
「知ってる」
時間を操る力。
存在の輪郭。
——そして、“戻れなくなる可能性”。
全部、分かってる。
僕はベッドの横に立ち、そっと手を伸ばす。
触れた瞬間、命の温度が伝わってきた。
「……駿はさ」
誰にも聞かせない声で、話しかける。
「強いけど、優しすぎるんだ」
だから、
失うときは——自分を責める。
「……それは、俺が見たくない」
時間の針を、逆には回さない。
代わりに——渡す。
僕の中にある、余白の時間。
存在を保つための、核心の一部。
「……俺の命で、足りるなら」
指先が、淡く光る。
「それでいい」
痛みは、後から来た。
輪郭が、少しずつ薄れていく感覚。
世界が、遠くなる。
『……愚かだな』
九尾さんの声が、どこか悲しそうに響く。
「うるさい」
僕は、かすかに笑う。
「弟子は、師匠に似るもんだろ」
光が、ベッドの上に溶ける。
命の糸が、静かに結ばれていく。
——鼓動。
——呼吸。
世界が、再び“進む”。
僕は、その場に立っていられなくなって、膝をついた。
視界が揺れる。
時間の音が、遠い。
「……これで、いい」
駿が悲しまないなら。
駿の大切な人なら。
「……悔いは、ない」
病室の外。
止めていた時間が、ゆっくり動き出す。
カチ、……カチ。
——そして。
僕は、駿の元へ戻る。
姿は、まだある。
でも、前と同じじゃない。
それでも。
「……駿が笑うなら」
それだけで、
代償としては、十分だ。
————————————————————
神社の境内。
夜はもう深くて、灯りも少ない。
駿は、さっきより少し落ち着いた顔で、石段に座っていた。
泣き疲れたせいか、肩は重そうで、目も赤いまま。
僕は少し離れた場所に立っていた。
……立っては、いたけど。
足元の感覚が、どこか曖昧だった。
時間の流れが、以前よりも掴みにくい。
「……」
駿は、ぼんやりとスマホを握っている。
画面は暗いまま。
その時——
ピロン
静かな境内に、不釣り合いな電子音。
駿が、びくっと肩を震わせる。
「……」
画面が光る。
病院の名前。
僕は、息を止める。
駿は、すぐには触れなかった。
まるで、その通知を開いた瞬間に、
何かが決定してしまうのが怖いみたいに。
「……駿」
名前を呼びそうになって、やめる。
駿は、ゆっくり指を動かして、通知を開いた。
「……え」
声が、かすれる。
もう一度、画面を見る。
何度も、文字をなぞるように。
「……?」
駿の表情が、困惑に変わる。
「……そんな……」
立ち上がる。
足が少しもつれて、それでも必死に画面を見つめている。
「……容体が……」
喉が鳴る。
「……安定?」
その言葉が、夜に落ちた。
「……さっきまで……」
震える声。
信じられない、という顔。
僕は、駿のすぐ後ろに立っていた。
手を伸ばせば、触れられる距離。
でも——触れない。
駿は、次の通知も確認する。
《呼吸が確認されました》
《医師が経過を観察中です》
「……生きて……?」
声が、途中で途切れる。
駿は、スマホを胸に押し当てて、
その場にしゃがみ込んだ。
「……なんで……」
嬉しさと、混乱と、恐怖が混ざった声。
その背中を見ながら、
僕は、静かに目を閉じる。
——間に合った。
代償は、確かに払った。
身体の奥が、じんわりと冷たい。
それでも。
駿が、顔を覆って、小さく息を吸う。
「……よかった……」
その一言で、全部が報われた気がした。
僕は、かすかに笑う。
「……だろ」
声は、駿には届かないくらい、小さく。
カチ、……カチ。
時間は、確かに進んでいる。
でも、もう前と同じ音じゃない。
それでも——
「……それで、いい」
駿が、生きている時間を取り戻したなら。
僕は、
その少し後ろを歩ければ、それでいい。
#時間操作
#人外