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先輩は、俺が座っている椅子とは反対側を向いて、布団を顔まで引き上げた。
「……」
さっきまで、別に気にしていなかった。
泣かれても困るし、
どうしていいか分からないし。
なのに。
(……あれ)
肩が、ほんの少しだけ揺れている。
呼吸が、妙に不規則で。
(……泣いてる……?)
そう思った瞬間、
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
声をかけるべきか。
それとも、触れない方がいいのか。
迷っている、そのとき。
「……ごめん、遅れて」
カーテンが大きく開いて、
元貴が入ってきた。
「部活、休み取ったから」
俺は反射的に顔を上げる。
「え?! 俺も?!」
「うん」
元貴は短くうなずいた。
「さすがにこれは……家まで送らないとだから」
その言葉に、
俺は何も言えなくなった。
視線を、ベッドの方へ向ける。
あの人は、
まだ顔を見せなかった。
布団の中に、全部を隠したまま。
(……そりゃ、そうか)
あんな姿を見せたあとで、
すぐに顔を上げろなんて、無理だ。
元貴は、ベッドの横に立って、
少しだけ声のトーンを落とした。
「涼ちゃん……大丈夫?」
返事はない。
でも、
布団の端が、ぎゅっと握られるのが見えた。
俺は、その光景を見て、
はっきり思った。
この人は、
“優しい先輩”でいることでしか、
自分を保てなかったんだ。
それが崩れた今、
きっと、どう立っていいか分からない。
(……元貴)
俺は、心の中で名前を呼んだ。
仲良くさせたい、なんて軽い気持ちで
俺をここに来させたんだろうけど。
これはもう、
そんな簡単な話じゃない。
元貴は、迷いなく涼ちゃんの向いている方へ回り込んだ。
そのまま、ベッドの横に膝をつく。
そっと、
本当にそっと、
布団をめくる。
俺は、反対側に立ったまま、
一歩も動けなかった。
「涼ちゃん」
元貴の声は、いつもより低くて、柔らかい。
「部活、休み取ったよ」
一瞬の間。
それから、
布団の中から、小さな声が返ってきた。
「……ありがと……」
かすれていて、
静かで、
無理に整えたみたいな声。
俺は、元貴の横顔を見る。
真剣で、心配で、
でもどこか、覚悟を決めた顔。
――なのに。
元貴が見ている、
涼ちゃんの“今の顔”が、
俺には想像できなかった。
泣き顔なのか。
申し訳なさで歪んだ顔なのか。
それとも、いつもの笑顔を必死に貼り付けているのか。
どれでもない気もした。
(……見れない)
俺は、無意識に視線を逸らしていた。
見たら、
きっともう、
「距離を取る」なんて選択肢はなくなる。
元貴は、何かを言おうとして、
でも言葉を探しているみたいだった。
保健室の空気が、重い。
涼ちゃんは、
元貴にだけ、ほんの少しだけ近づいていて。
俺は、
その輪の外で、
ただ立ち尽くしている。
(……ずるいな)
元貴は、
こういう場面で、
ちゃんと前に出られる。
俺は、
考えている間に、
一番大事な瞬間を逃す。
涼ちゃんの顔を、
今、見ていないこと。
それが、
後になって、
ずっと引っかかる気がした。
でもこの時の俺は、
まだ知らなかった。
この“見なかった顔”が、
先輩の秘密に一番近い表情だったことを。