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『何かあったか?』
ちょうど会社に戻った時、雄大さんからメッセージが入った。
ポップアップで確認して、既読をつけなかった。
ホテルを出て帰りの車を断り、歩き出した時、雄大さんから着信があったが、出なかった。
繕える気がしなかったから。
わかっていたこととはいえ、面と向かって反対されてしまうのは、想像よりダメージが大きかった。
「馨?」
肩に手を置かれ、我に返った。
「部長、今日帰って来るんじゃないの?」
真由が心配そうに覗き込む。
ハッとして正面のパネルに掛けられたデジタル時計を見る。パソコンのディスプレイを見つめたまま、一時間も経っていた。
終業時刻を十五分過ぎ、数人が帰り支度をしていた。
「大丈夫?」
真由には、雄大さんのお母さんとの会話をざっと話した。
部長に全て話すべきだ、と真由は言った。
隠しておけることではないのは、わかっている。けれど、気が重かった。
「ご飯食べながら、さくっと話せばいいのよ。『出張、どうだった? 私はあなたのお母さんに会ったわよ』って」
思わず笑ってしまった。
「うん」
今日の夕飯は、今朝のうちに軽く煮込んでおいたビーフシチュー。帰ってもうひと煮するだけ。
私が帰ると、部屋は明るかった。
「お帰り」と、雄大さんが玄関まで出迎えてくれた。
「ただいま。早かったね」
「早く帰って来いって言っただろ?」
雄大さんが私の腰を抱き寄せて、キスをくれた。
ビーフシチューの香りが、玄関まで漂う。
「温めてくれたの?」
「ああ」
「ありがと」と言って、今度は私からキスをする。
「何かあったか?」
「え?」
「お前からキスしてくれるの、珍しいから……」
ドキッとした。
「そういうこと言うなら、もうしない」
「俺がいなくて、少しは寂しかった?」
今度は、深いキス。舌を絡ませながら、私たちはしっかりと抱き合った。
雄大さんの手が腰から背中に上昇し、方向を変えて胸までたどり着くと、私に容赦なく叩き落とされた。
「お腹空いた!」
「はいはい」
ビーフシチューは任せ、私は着替えに部屋に行く。
私がお母さんに会ったと知ったら、雄大さんはどうするのだろう……?
お母さんを責める?
勝手に会いに行った私を責める?
雄大さんが望むなら別れると言った私を、責める——?
たった四日前の、人生最上のプロポーズが夢のよう。
ちゃんと、話さなきゃ。
私は意を決して、キッチンに向かった。
ダイニングテーブルには、ビーフシチューとサラダ、ご飯が並んでいた。
「酒、飲むか?」と、雄大さんが冷蔵庫を開けながら聞く。
「お水でいい」
雄大さんはビールの缶とミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。
私はそれを受け取って、グラスに注ぐ。
「出張、どうだった?」
「ん? ああ。今回は副社長のお供だからな。作り笑いで疲れたよ」
「お疲れ様」
「お前は? 何かあったか?」
「うん……」
私はグラスを持って、自分の席に座る。
「雄大さんのお母さんに会ったよ」
何でもないことのように、言ったつもり。
「は……?」
「きれいな人だね。澪さんはお母さん似だね」
手を合わせ、いただきます、と言ってスプーンを持つ。
「何で、母さんが?」
スプーンを入れると、牛肉がすんなり割けた。いい、柔らかさ。
「私たちの結婚は認めないって」
今朝、味見した時よりコクがあって、美味しい。
「勝手なことを——!」
雄大さんは眉間に皺を寄せ、ガタンッと勢いよく立ち上がると、リビングのテーブルの上のスマホを手にした。
「雄大さん!」
お母さんに電話しようとしているとわかり、雄大さんの手からスマホを奪う。
「俺の知らないところでこんな嫌がらせして——」
「そんなんじゃない」
「どんなんだよ!」
雄大さんが私の手からスマホを奪い返そうとし、私は両手でしっかりと抱えた。
「落ち着いて!」
「落ち着けるかよ!」
「雄大さんから連絡しなくても、お母さんから連絡来るから!」
「なんで——」
言いかけて、やめて、私の顔をじっと見る。
「何を言われた?」
「結婚は認めないって……」
「それは、俺と別れろってことだろ。お前は何て言った?」
私が別れを受け入れたと思ったのだろう。
雄大さんが私の肩を掴む。痛いくらいに力を込めて。
「何て言ったんだよ!?」
「……雄大さんが……望む通りにするって……」
反応が怖くて堪らないのに、目を逸らせない。
「お母さんは……あの写真を……持ってたよ……」
『あの写真』がどの写真のことかは、すぐにわかったようで、雄大さんは私の肩から手を離した。
「ごめ——」
スマホを抱き締めたままの私を、雄大さんが抱き締める。
「ごめんな?」
私はぶんぶんと首を振る。
「うちの親には、俺からちゃんと話すから」
今度は、小さく頷く。
「俺が望むのは、馨との結婚だから——」
私は、大きく、頷いた。