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低気圧
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コメント
1件
うわああ今回もめっちゃ良かった…!!😭💕 嶺刃くんが植物魂の世話しながら「分からないものには触れない」って学んでいくの、照遠くんへの想いと重なってエモすぎる…!教官との掛け合いも相変わらず絶妙で、「卒業してから本人に言え」って何度も出てくるたびに胸がぎゅってなるよ…。最後の「分かってる」呟き、誰も怒らなかったの優しすぎて泣ける🥺 次回も楽しみにしてるね〜!Hp2さんありがとうございます🌸
第2話 分からないまま、触れない
中へ入ると、外よりもさらに湿度が高かった。
土の匂いが濃い。葉が重なり合う音がどこかでずっと続いている。
「では、まずこちらをお願いします」
渡されたのは、小さな記録板だった。
拍子抜けした。
「運ぶものはないのか」
「ありますよ」
職員が笑う。
「でも最初に、こちらの区画を一周してください」
「見るだけか」
「見るのも仕事です」
日照庭には、様々な植物魂がいた。
地面へ根を下ろしたまま動かないもの。
低い鉢床の中で葉を広げているもの。
蔓を支柱へ絡ませているもの。
人の形を取る者はほとんどいない。
そして、喋らない。
「何を見ればいい」
「昨日の記録と違うところがあれば教えてください」
「俺は昨日を知らない」
「ですから、記録板があります」
なるほど。
頁を開く。
日照時間。
葉の向き。
水香量。
土床の湿度。
香粉量。
書かれている内容と、目の前の植物魂を見比べながら歩く。
最初のうちは、何も分からなかった。
植物は植物にしか見えない。
だが、二周目。
一つだけ気になった。
「……おい」
「はい?」
「こいつ」
庭の端にいる植物魂を指す。
細い茎に、青い葉が何枚もついている。
「記録には、午後まで日照を好むとある」
「ええ」
「だが、葉が閉じている」
職員が近づいてきた。
「触りましたか?」
「いや」
「なぜ?」
「分からなかったからだ」
日が強すぎるのか。
水が足りないのか。
場所を変えてほしいのか。
俺には判断できない。
「勝手に動かして悪くなったら困る」
職員は植物魂を確認した。
それから俺を見る。
「それで正解です」
「……何もしていないぞ」
「分からない時に、分からないまま触らない。それも支援です」
妙な言葉だった。
何かあれば、動く。
危険なら前へ出る。
困っている者がいれば、手を貸す。
俺はそうしてきた。
照遠が訓練器具を抱えていれば、持った。
書類が多ければ、半分取った。
困っているなら、俺が何とかしたかった。
けれど。
助けたいと思うことと。
相手が、俺の手を必要としていることは。
同じではない。
「……そうか」
「はい?」
「いや。なんでもない」
俺は記録板へ、葉の状態を書き込んだ。
*
午後になる頃には、仕事が増えた。
日が傾き始め、庭全体の緑が少し濃く見える時間だった。
遮光幕を動かした。
土床を運んだ。
水香槽を入れ替えた。
これは得意だった。
「それ、一人で持てますか?」
「軽い」
「二人用です」
「軽い」
「……ではお願いします」
ようやく役に立っている気がした。
だが、力仕事だけではなかった。
朝に葉を閉じていた植物魂は、日照位置を調整されると、午後には少しずつ葉を開き始めた。
俺はその前にしゃがんだ。
喋らない。
礼も言わない。
こちらを見る目すらない。
「……よく分からんな、お前」
当然、返事はない。
それでも。
少しだけ、香が柔らかくなった気がした。
気のせいかもしれない。
俺は勝手に意味を決めなかった。
「じゃあな」
立ち上がる。
それだけでいい気がした。
*
夕方。
人型化準備区域へ戻ると、教官が壁際で待っていた。
「遅い」
「仕事が残っていた」
「初日から残業するな」
「途中で帰れるか」
「帰れ。明日もある」
「…………」
「その顔はなんだ」
「いや」
照遠なら、たぶん同じことを言う。
無理をするな。
明日もある。
できることと、続けていいことは違う。
胸の奥が、また少し揺れた。
教官の目が細くなる。
「嶺刃」
「なんだ」
「香、朝よりましだな」
顔を上げた。
「分かるのか」
「教官舐めんな」
「…………」
「仕事はどうだった」
「植物はよく分からん」
「そうか」
「だが、一体、葉がおかしいのがいた。俺には原因が分からなかったから職員を呼んだ」
「勝手に触らなかったか」
「ああ」
「よし」
それだけだった。
「……それだけか?」
「何がだ」
「いや」
教官が俺を見る。
数秒。
口元がわずかに歪んだ。
「褒めてほしいのか?」
「違う」
「なら帰れ」
「違うと言ってるだろう」
「明日も日照庭だ」
「分かった」
教官の横を通り過ぎる。
数歩進んだところで、呼び止められた。
「嶺刃」
振り返る。
教官は記録板の端を、また二度、指の腹で叩いていた。
「今のお前なら、そのうち戻る」
「何が」
「香だ」
胸の奥を見透かされた気がした。
教官は、それ以上何も言わなかった。
俺も聞かなかった。
「……教官」
「なんだ」
言葉が喉まで上がる。
照遠のこと。
卒業したら、答えを聞かせてくれと言ったこと。
あの人が、照遠として答えると言ったこと。
まだ半年近くある。
長い。
会えば、話したくなる。
名前で呼びたくなる。
触れたいと思う。
だが。
「俺は――」
「卒業してから本人に言え」
言葉が止まった。
「…………まだ何も言ってない」
「顔に書いてある」
「何が」
「知らん」
「知らないのか」
「恋愛相談は俺の担当じゃない」
どこかで聞いたような言い方だった。
「なら、勝手に決めるな」
「決めてない。卒業してから本人に言えと言っただけだ」
「だから何をだ」
「それも本人に言え」
「…………」
腹が立つ。
だが。
少しだけ、笑いそうになった。
「明日も遅れるなよ」
「ああ」
「返事が小さい」
「ああ!」
「よし」
教官は満足そうに頷き、記録板の端をもう一度叩いてから、職員室へ戻っていった。
一人になった廊下で、俺は自分の手を見る。
今日、この手で土床を運んだ。
遮光幕を動かした。
水香槽を替えた。
そして。
分からないものには、触れなかった。
照遠にも、今は触れない。
それは、何もしないことではない。
待つと決めて、その間に自分の場所へ進むことだ。
俺はもう一度、歩き出した。
明日も日照庭へ行く。
卒業までに、やることはまだある。
言いたいことも。
聞きたい答えも。
全部、そのあとだ。
――卒業してから、本人に言え。
「……分かってる」
誰もいない廊下で呟いた。
今度の返事は、小さくても誰にも怒られなかった。