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第6話:捨てられた指輪
昼下がりの笹波駅。冬の陽射しがホームの端を照らし、金属の手すりが冷たく光っている。
改札を抜けた女性が、足元で小さなきらめきを見つけた。
ベージュのロングコートに黒いロングブーツ、細いベルトで締められたウエスト。髪は艶のある黒で、ゆるく巻かれ肩にかかっている。淡い桃色の口紅が、冬の空気の中でよく映えていた。名前は柏木綾香(かしわぎ あやか)、28歳。左手の薬指には、プラチナの婚約指輪が光っている。
拾い上げたそれは、小さな銀のリング。内側には見覚えのあるイニシャルと日付が刻まれていた。
——自分の婚約指輪と、同じ文字。
ただし、日付の下に小さく刻まれた文字がひとつ増えている。
「廃棄 2032.07.04」
綾香の手が震える。金属は冷たく、まるで拒むように指先から逃げる感触。
その日付は、二年半後の七月。結婚式の一年後にあたる。
ベンチに腰を下ろし、リングを光にかざす。指輪の縁には、細かい傷がいくつも走っていた。新品のはずなのに、どこかで何年も使われたような疲れた輝き。
「……私たち、本当に大丈夫なのかな」
ポケットの中で、自分の今の婚約指輪が温もりを持っていた。
ホームに電車が近づく音。綾香は迷った末、拾ったリングを自分の指に試しにはめてみる。サイズはぴったり——それが、かえって怖かった。
電車が停まり、ドアが開く。綾香はリングをそっとベンチに置き、代わりに自分の指輪を強く握りしめた。
「捨てられる未来なんて、いらない」
車内に足を踏み入れると、窓ガラスに映る自分の顔がわずかに笑っていた。
笹波駅は、またひとつ未来を置き去りにした。