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第7話:未来の絵日記
午前十時、笹波駅のホームはまだ人が少ない。
赤みがかったグレーのジャケットに、ゆったりとした生成り色のズボン。深緑のニット帽から白髪がのぞき、眉は濃く、目尻には笑い皺が深く刻まれている。背筋は少し曲がっているが、足取りは穏やかで確かだ。
名前は石野健介(いしの けんすけ)、七十二歳。杖代わりに木製の折りたたみ傘を手にしていた。
ベンチに腰を下ろすと、足元に落ちていた薄い冊子に気づく。表紙にはクレヨンで描かれた太陽と、ぎこちないひらがなで「ゆうたのにっき」と書かれていた。
中を開くと、ページいっぱいに色とりどりの絵と、短い日記の文章。
——その中の一枚に、見覚えがあった。
水色のベンチに腰かける自分と、小さな男の子。背景には笹波駅の時計と、今日の日付。
ページ下には、たどたどしい文字でこう書かれている。
「おじいちゃんと でんしゃをまった。すごくたのしかった」
健介は喉の奥が熱くなるのを感じた。
孫のゆうたはまだ五歳。来週、久しぶりに遊びに来る予定だ。
——これは、来週描かれるはずの未来の絵日記。
指先で紙のざらつきをなぞりながら、健介は笑みを浮かべた。
「じゃあ、ちゃんと楽しい日にしてやらないとな」
絵日記をそっとベンチに戻し、傘を手に立ち上がる。
冬の陽射しがニット帽の影を長く伸ばし、ホームに温かな光を落としていた。
その影の先に、まだ見ぬ孫の笑顔が、確かに続いているような気がした。