テラーノベル
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#切ない
荒れ狂っていた海は、嘘のように静まり返っていた。
残されたのは、破壊の痕跡だけだった。
砂浜には、船体の残骸が横たわる。
かつて波を切っていた船は竜骨をさらし、腹を裂かれた獣のように沈黙していた。
砕けた帆柱が斜めに突き刺さり、裂けた帆布が風に引きずられて、かすかな音を立てる。
潮の匂いに、木と鉄の臭いが混じる。
波が静かに寄せては返し、そのたびに破片が軋んだ。
砂の上には、無数の足跡と引きずられた痕。
だが、その先に人影はない。
遠く、水平線には嵐の名残が垂れ込めていた。
ただ一つ――
砂に半ば埋もれた手が、波打ち際へと伸びている。
波がそれを洗い、また引いていく。
「ここはどこだ……」
サイラス・イシスはよろめきながら立ち上がり、あたりを見回した。
見慣れぬ造りの家々。湿り気を含んだ風。遠くに揺れる木々の影。
そのとき、馬に乗ったサムライがこちらへ駆けてきた。
後ろには護衛と思しき二人が慌てて追ってくる。
サムライはサイラスの前で馬を止め、不思議そうに顔を覗き込んだ。
「ソチは何者じゃ」
(……まずい。頭が、朦朧とする)
返事の代わりに、サイラスはかすかに笑った。
遠のいていく意識の底で、彼はひとつの確信を得る。
――ここが、ジャポーネであることを。
目が覚めた。
木の柱。紙でできた扉。
鼻をくすぐる、乾いた木の匂い。
「……天井は、板か」
思わず声が漏れた。
その声に、そばに控えていた女中がびくりと肩を震わせる。
看病をしていたのだろう。彼女はサイラスの顔を見るなり、慌てて部屋を飛び出していった。
やがて、重い足音が近づく。
障子が開き、大柄なサムライが姿を現した。
「気が付かれたか」
低く、よく通る声だった。
「拙者、ウジサトと申す」
サイラスを見下ろしながら、男は静かに名乗る。
「若が気にしておられる。目覚めたと、お伝えせよ」
背後の女中にそう告げると、ウジサトは改めてサイラスに向き直った。
その声を聞きながら、サイラスの意識は嵐の前へと引き戻されていった。
事の始まりは――
エスカミオのカルド王の来訪だった。
「こんな田舎に来られるとは」
サイラスは茶を差し出しながら、静かに腰を下ろす。
「ウイーム会議のついでだ。気にすんな」
カルド王はいつもの調子で湯呑みを受け取った。
(この人は、本当に王様なのか)
卓上に置かれているのは、一振りの日本刀。
「……これは?」
カルドはあくびを噛み殺しながら答える。
「ジャポーネの剣だ」
サイラスは目を細めた。
「この剣を持った軍勢が、海を渡ってくる」
湯呑みが、わずかに揺れる。
一拍。
「――らしい」
カルドの目が細くなる。
「まさか」
「ノブナガという男が、この島国を掌握しつつある」
部屋の空気が、わずかに冷えた。
カルドは口元だけで笑う。
「カルド商会の、取引相手だ」
そして、さらりと言う。
「頼まれてくれないか?」
「……何をですか」
「ノブナガという男が、本当にそこまで考えているのか――それを知りたい」
サイラスは、その真意を読み取れなかった。
「おれは仮にも国王だ。動くわけにゃいかねえ」
カルドは肩をすくめる。
「そこで――こいつを連れていけ。ウイリアム・アダムス」
部屋の隅にいた男が、一歩前に出た。
異国の顔立ち。長く海を見てきた者の目。
「ジャポーネには詳しい」
カルドは軽く言う。
「皇帝も将軍もいる国だがな――」
一度、言葉を切る。
「今、一番力を持っているのはノブナガだ」
サイラスの視線が、わずかに動いた。
「会って、確かめろと?」
カルドは机を、トン、と叩く。
「――お願いだよ」
その声音は軽かったが、目だけは笑っていなかった。
(お願いされちゃったよ)
サイラスは苦笑しながら、洋上でアダムスと並んで海を見ていた。
「ジャポーネは――ノブナガが、いずれ統一するでしょう」
アダムスは迷いなく言った。
「あの国は、サムライという兵で成り立つ軍事国家です」
波は穏やかで、空は高い。
「とはいえ、すぐに海を越えて侵攻するとは、私は考えていません」
サイラスは横目でアダムスを見る。
「……根拠は?」
「海です」
アダムスは短く答えた。
「彼らは陸の民だ。海を越えて戦うには、まだ時間が要る」
一拍、置いて続ける。
「むしろ――問題は別でしょう」
「別?」
「ノブナガが海へ出てくるかどうか。
そして、我々と“富の奪い合い”を始めるかどうか」
サイラスは小さく息を吐いた。
「……そんなところだろうね」
(でも――なんで俺なんだ?)
波は穏やかだった。
風も、まだ優しい。
その夜――嵐に遭った。
「気が付かれたか?」
先ほど“若”と呼ばれていた男が、静かに部屋へ入ってきた。
「ありがとうございます。命を救っていただき、感謝いたします」
サイラスは一礼する。
「気にせずともよい。地元の漁師どもが、南蛮人が打ち上げられたと大騒ぎしておってな」
男は肩の力を抜いたまま言った。
「興味があったので、儂が出向いたまでよ」
「……私のほかには?」
「おらぬ。そなただけじゃ」
「そうですか」
わずかに視線を落とす。
「異国の船が出入りするのは、この辺りでは――サカイか」
若は思案するように続けた。
「送ってやろう」
「何から何まで、お世話になります」
「しかし……どこから参った?」
「グラツィアという国からです」
「ほう……」
若はわずかに笑みを浮かべた。
しばし、異国の戦の話に花が咲く。
「面白いな。異国の戦は」
湯呑みを置き、ふと呟く。
「父上も、聞かれればさぞ喜ばれよう」
サイラスは顔を上げた。
「お父君も、こちらに?」
「いや――一足先に都へ入られた」
若はあっさりと答える。
そのとき、傍らのウジサトが一歩進み出た。
「この御方は、ノブタダ様と申される」
一拍。
「父君は――右大臣、ノブナガ公にてございます」
その名が、空気を変えた。
サイラスの目が、わずかに見開かれる。
ジャポーネ統一に燃えるノブナガは、
本城ギフを離れ、都に近いアヅチに巨大な城を築いた。
そこを起点に、四方へ刃を伸ばす。
北――カツイエ率いる第一軍団。
西――ヒデヨシの第二軍団。
東――イエヤスの第三軍団。
南――ミツヒデの第四軍団。
それぞれが、各地のダイミョーを呑み込み、あるいは討ち滅ぼしていた。
そして――中枢。 ノブタダには、第五軍団とギフ城が任されようとしている。
それはすなわち、 “後継”の証でもあった。
「……ここはギフなのですか?」
サイラスは静かに問いかけた。
「いや、ここはオオサカという土地だ」
ノブタダはあっさりと答える。
「我らも、明日には都へ入る」
サイラスはわずかに間を置いた。
そして、姿勢を正す。
「大変、不躾を承知で申し上げます」
視線をまっすぐ向ける。
「私は、グラツィア国の大臣を務めております」
部屋の空気が、わずかに張りつめた。
「しかし――親書も船も失い、いまはそれを証明する術がございません」
一呼吸。
「サカイのカルド商会にお問い合わせいただければ、私の身は保証されるはずです」
ノブタダの反応を待たず、続ける。
「――ノブナガ公に、お目通り願うことはかないませんでしょうか」
沈黙。
サイラスは、表情を崩さない。
(はったり半分……だが、引くわけにはいかない)
大乱三日前の昼日中の話である。
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