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「——…… 」
念の為にと、少しの間様子見でじっとしていたが、本当にちゃんと一人にしてくれたみたいだ。どんなに冷遇されていようと一応は私も公爵家の人間なのだが、普段はもう破棄された旧邸に追い払われている身なので、どうせ窃盗防止の為に部屋の前には見張りが立っているだろう。だけど大きな物音を立てなければ部屋の中にまでは入って来ないはずだ。
ふぅと一息吐き出し、ゆっくりベッドから体を起こして床に足を投げ出す。体に怪我がないか確認したが、手当をした形跡も無いし、幸いにして何ともなさそうだ。一週間も眠っていた割には体も自由に動かせる。『……むしろ、前よりもずっと調子が良いかも』と思えるくらいだ。
(ずっと眠っていた割には汚れていないっぽいけど、後で体を洗わせて貰おう。生活魔法でパッと綺麗にするより、やっぱりお湯でちゃんと洗った方がさっぱりした気分になれるんだよね。……さっきの雰囲気的にも、今回くらいなら用意してくれそうだったしお願いしてみようかな)
毎日体を拭いてくれていたのか、体から変な臭いはしていないけど髪は気持ちが悪い。流石にちょっとベタついているなと思いながら自分の髪を一束掴みしてみた、その時——
私は驚きと動揺により、絶句した。 掴んでいる髪が私の色とは全然違うからだ。
髪の束から一度手を離し、数回の瞬きの後に目を軽く擦って、もう一度自分の髪色を確認する。だけど目に不調は無いのか髪色の見え方に変化は無い。
……私の髪色は生まれてからずっと茶色だ。なのにこの色は、窓から差し込む光の影響をどう受けようが、“聖女の証”とされているストロベリーブロンドにしか見えない。『まさか』と思い、自分の顔にも触れてみる。すると、幼少期の頃に負った火傷が原因で感触が損なわれているはずの肌はつるりとしていて、ふにふにと柔らかだった。
(——え?な、な……何で?)
慌ててベッドから抜け出して部屋の中にあった鏡台に向かう。素材に高級感はあれども、やたらと華美なせいで微妙に悪趣味な装飾のされた鏡台の前に立ち、私はやっと、先程まで部屋に居た侍女達がとても優しかった理由がわかった。
「……コレは、“ティアン”の体だわ」
ふらっと足元が揺れ、ぺたりとその場に座り込む。椅子に手をついてすぐに立とうとしたが、動揺のせいか上手く力が入らない。
(ま、待って、待って!情報を整理しないと。早く、とにかく早く、この状況を理解しないと)
だけど焦ってしまって頭が全然働かない。それでもなんとか無理矢理その場で立ち上がり、改めて鏡を見る。私とティアンは一卵性の双子ではあるが、勘違いなんかじゃなく、どう見たってこの顔はティアンのものだ。ただ、いつもの姉との違いをあげるとすれば、今はやたらと顔色が悪い事と、目元が柔らかな雰囲気になっている部分だろうか。カーネに向ける姉の表情はいつも、眉間に皺を寄せて汚物でも見るみたいなものか、憎悪に染まっているか、優しい姉のフリをした偽善者の顔ばかりだったから鏡に映るこの顔には違和感しかない。
(で、で、でも、どうして私が、姉の体に?え?——待って、まさか……あの空間での出来事って、夢じゃ、ないって事?)
あの不可思議な体験が夢ではなかった事に気が付き、白い空間でのやり取りを必死に思い出そうとした。だけど思い出そうとするそばから、何故かボロボロと記憶が崩れていき、段々曖昧になっていく。
体格差のある黒と白の猫が二匹。真っ黒なキャミソールを着た姉。大きな天秤……。『どちらが現世に戻るか』みたいな質問と、それぞれの答え。何となく今はそのくらいまで思い出せても、どんどん自信がなくなっていくせいでモヤモヤした気持ちでいっぱいになった。
(きっとあの時の答えは、『残る』と言うのが正解だったんだ……)
あれは自己犠牲の精神の有無を確認する問い掛けだったのかもしれない。だから姉は戻れず、でもまだ鼓動している体は姉の方だけだったから、私の魂をそっちへ捩じ込んだのだろう。
(『自己犠牲』か……いかにも神様が好みそうなテーマだ)
推測でしかないけど、確信を抱いてしまう。だけど、そんなもの、今まで散々な人生を歩んで来たせいで私だって持ち合わせてはいない。生き残っておきながら、『それならばいっそ、どちらにも等しく死を与えてくれた方が良かったのに』と考えてしまった。
一旦ベッドに戻り、青空の描かれた天井画をじっと見上げる。
この先自分はどうしたら良いんだろうか?姉のフリをして生きるの?あの部屋での出来事が本当に起きた事ならば、その前に私は姉に絞殺されたはずなのに、何故いつもの様に死に戻りが発動しなかったんだろう?
(……まぁ、どう考えたって、私達が『審判の部屋』に引き込まれたせいだよねぇ……)
——などと、ぐだぐだ色々な事を考えては、何度も何度も深いため息をついた。
この十八年間。何処をどう思い返しても、散々な目にしか遭っていなかったが、それでも『ティアンとして生きたい』と思った事は一度も無かった。多分姉には姉の苦労があるだろうと考えていたし、無いものねだりをするのは性に合わないからだ。
私達が双子だったとはいえ、人様の人生を代わりに生きるだなんて、先行きに不安要素しか見出せない。こんな状況では、しばらくの間は溜め息をつく事をやめる事は無理そうだ。
——コンコンッ。
しばらくした後、扉をノックする音が聞こえてきた。『もしかしてヌスク叔父様が顔を出しに来てくれたのかも』と思い、「どうぞ」と返事をする。するとすぐに扉が開き、先程まで静かに掃除をしてくれていた侍女の一人が嬉しそうな顔をしながら部屋に入って来た。
「体調は大丈夫ですか?お嬢様」
「は——」とまで言って、「えぇ、大丈夫よ」と言い直す。この体が“ティアン”であると知った以上、今の私は“姉”を演じておいた方がお互いの為だろうと思ったからだ。
「もうすぐ医療師様が来て下さいますから、きちんと診てもらって下さいね」
「悪いわね、私の為に……。ありがとう、嬉しいわ」
優しく声を掛け、ニコッと微笑む。出来るだけ自分からはティアンとは顔を合わせない様にしてきたけれど、遠くからなら何度も見た光景なので、何とか真似出来たと思う。
「い、いえ!当然の事をしたまでですから!」
顔を赤くして俯いている。彼女の名前がわかればもっときちんと声掛けしたい所なのだが、流石にそれは無理なので、いずれはボロを出してしまいそうで心配だ。
(『心配』……そうだ——)
「……ねぇ、一つ訊いてもいい?」
「はい!何なりとどうぞ」
「……妹は、“カーネ”は無事なの?」
多分……いや、間違いなく、死んでいるとは思う。だけどその事を私が知っているのは不自然だと思って、『無事なのか』という問い掛けにしてみた。
この体は傷一つ無かったが、カーネの体には首を絞めた跡が残っているはずだ。そうなると、『じゃあ誰が首を絞めたのだ?』という疑問が発生する。早々にいなくなった御者を疑うには無理があるから、きっとティアンが疑われるはずだ。『まさか、ティアンがカーネを殺したのでは?』と疑われる可能性があるだなんて、不利な状況なのにちょっと笑えてくる。
「あ……えっと……」と言い淀み、侍女は視線を落とした。
「あの方は、亡くなりました……。発見までに時間が掛かったせいもあってか、遺体の損傷が激しかったので、もう埋葬済です」
埋葬済みだと聞き、驚きを隠せない。眠っていた一週間のうちに本来の自分の体はもう墓の下なのだと聞かされても正直ピンとはこなかった。
「……も、もう、墓に……?」
だけど心は既にダメージを負っているのか、自然と声が震えた。本物のティアンなら内心物凄く喜んでいるだろうから今の私の態度は不自然かもしれないけど、役者ではない私には本心を隠すのなんて、どうしたって難しい。
「もしかして、叔父様が指示したの?」
ヌスク叔父様が対応してくれたのなら、きちんとやってくれていそうだ。だけど執事や他の親族達が対処したのだとしたら、私の遺体は『埋葬』なんて名ばかりに、その辺の森の中へ無造作に捨てられていてもおかしくはないから不安でしょうがない。
「あ、いいえ……。それが、その……えっと、何故か、セレネ公爵様が遺体を引き取り、葬儀から埋葬まで取り仕切ったそうです……」
「メンシス様が?」
「あ……はい」
申し訳なさそうに侍女が体を縮こませる。その理由は何となく想像出来たので、私は軽く息をついて、「……そう」と答えた。
「きっと、あの子が『私の妹だから』よね。本当にお優しい方だわ」
「——はい!そうです、『お嬢様の妹だから』です!そうに決まっています!」
両の手をぎゅっと握って、うんうんと何度も頷き、侍女が激しく同意する。私が機嫌を損ねずに済んだから嬉しそうでもあった。
「そうだ。お嬢様、もう一つお知らせが」
「何かしら?」
「セレネ公爵様にも、お嬢様がお目覚めになったとお知らせしました所、『すぐにこちらへ向かう』とのお返事がありましたよ。ここ一週間の間毎日お見舞いにも来て下さってもいましたし、良かったですね!」
「……メ、メンシス様が、此処に?すぐに?」
動揺した声の問いに対し、「はい!」と元気に返事をしてくれる。
「……えっと。じゃ、じゃあ、準備をしておかないとね」
「そうですね!でも無理は良くないですから、お嬢様はこのままお部屋でお休みになっていて下さい。寝衣のままは気恥ずかしいでしょうが、ショールを羽織って隠せば問題ないかと。私はすぐに戻って、お茶やお菓子の用意をしておきますね」
「ありがとう、助かるわ」と笑顔で返しはしたが、内心はだらだらと流れ出る冷や汗で溺れてしまいそうだ。
(……い、今すぐにでも、この家から逃げよう。もう私にはそれしかないわ!)
自分から選んだくせに、あの人程 “ティアン”を嫌っている人は他にはいないから——