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国内で最も有名な公爵家の現当主であるメンシス・ラン・セレネ様は、此処ソレイユ王国において最古参の一族の生まれであり、王家と並び立つ程の歴史を持つ。『王家の剣』とも『盾』とも言われ、財力は王家よりも上でありながら決して驕る事なく、その財力とずば抜けた武力を持って王国を支え、王家への忠誠心の高さは『貴族の鑑だ』と称えられてもいる。
そんな一族の彼と初めて会ったのは、私が四歳の頃だった。
二年おきに開催される王家主催のお茶会の席での事だ。家内では冷遇され、爪弾き者にされている私は、普段そのような席に呼ばれる事は決して無い。だがこのお茶会は貴族の子供達の交流を目的としたものである為、特別な理由がない限りは絶対に参加しなければならないものである。そのせいで私も参加する事になってしまった。
二歳の時は、茶会の直前に庭にある池に突き落とされ、そのまま放置されたせいで高熱を出して欠席した。前回と同じく、この時も直前に何の捻りもなしに池に突き落とされたのだが、二年前よりも体力があったのか、その後の対応が良かったのか。残念ながら風邪をひく事なく参加する羽目になったせいで|突き落とした犯人《ティアン》が物凄く拗ねていた。
本心としては、私だって出席なんかしたくなかった。
私なんかが行ったって、どうせ碌な目に遭わないって行く前から幼児ながらにわかっていたからだ。なのに私みたいに家庭内で不遇な立場にあり、このままではまた不参加になりそうな子供のところには、ご丁寧に数週間も前からわざわざ王家が侍女が派遣し、体調管理の補助をしてくれるという何ともありがた迷惑な対応をして下さった為、残念ながら無事に当日を迎えてしまったのだ。
『お前はティアンの後ろで黙って立っていろ』
当時はまだ健在だった父にそう言われ、姉がより一層引き立つようにと、変なデザインのドレスを着させられた。王家から派遣された侍女が、『流石にこれは……』と言って別の衣装を用意してくれたのだが、私は『気に入っている。どうしてもこれが着たいの』と言わされ、安っぽいのに無駄に派手な、時代遅れで成金趣味丸出しのドレスを着て参加する事になった。
恥ずかしかった、惨めだった、とにかくすぐにでも帰りたかった。
“聖女候補”として褒め称えられ、賛美を浴びる姉の後ろに立って彼女を補助し、侍女と変わらぬ仕事をさせられる。『センスが無い』と周囲から笑われる私を、『衣装を選んであげると言ったのに、これが気に入ったからと聞いてくれなかったの。それでもワタシがちゃんとしてあげるべきだったわ』と言って、妹に優しくしたのに邪険にされたフリをする姉に、『私が悪かった、ごめんなさい』とひたすら謝罪するとか。もはや陳腐な寸劇を通り越して、苦行でしかない。
私達姉妹の歪さを不審に思う王宮関係者達の目がある中、『自ら進んで聖女候補である姉の為に尽くす妹』を演じ続けるのは当時四歳だった自分にはまだ荷が重く、ただただ苦痛と不満を味わうだけだった。
(帰りたい、帰りたい、帰りたい——)
アドバイスを聞かなかった事への反省の意を示す為にと座る事も許されず、椅子で優雅にくつろいでお茶を嗜むティアンの背後にじっと立つ。無慈悲な視線を見ないように俯き、呪文みたいに心の中で『帰りたい』と何度も唱えていると、急に場内がわぁと沸いた。何事だろうかと、周囲の人達と一緒に周りを見渡すと、一人の少年が一身に数多くの視線を引いている事に気が付いた。
セレネ公爵家の令息が会場に到着したのだ。
絹糸にも似た金髪と宝石の様に美しい碧眼を持つ彼は、当時はまだ六歳だったにも関わらず、既にもう他の追随を一切許さぬ程の美しさを誇っていた。崇高な彫刻家の最高傑作か、もしくは高名な画家の描いた絵画から飛び出してきた存在だと言われた方が納得がいくくらいだ。所作の一つ一つに品があり、着こなしも完璧な彼は、まさに群鶏の一鶴と言うに相応しいと皆が思った事だろう。
当然、姉のティアンも目を奪われていた。開口したままじっと彼を見る眼差しは完全に恋する乙女のものだった。初恋に堕ちる瞬間を見たと言ってもいい程の囚われようだ。
彼もこちらの存在に気が付いた瞬間、今までは完璧だった令息の表情が、何故か酷く動揺したものになった。迷いのなかった歩みも辿々しくなり、従者と何やら言葉を交わしながら手を口元に当てて視線を彷徨わせている。
(……どうしたんだろう?)
私には戸惑っている様にしか見えなかったのだが、周囲は違っていた。姉の近くの席に座っていた令嬢達が、『ティアン様の美しさに目を奪われたのでは?』と口々に言い始めたのだ。
『だって、ティアン様は聖女候補ですもの!』
そう言われ、『そんな……恐れ多いわ』と答えながらも、ティアンは満更でもなさそうだった。
(そうか。まぁ、皆がそう言うのなら、そうなのだろう)
私は社交界には疎いし、人の機微を読むのには慣れていないしと視線を再び下に落とす。すると、公爵令息はこちらの方へ向かって歩き始め、周囲の予想通り姉の前までやって来た。
『初めまして。私の名はメンシス・ラン・セレネと申します。突然の申し出で驚かれるでしょうが、美しき貴女様のお名前を伺ってもよろしいですか?』
丁寧に頭を下げ、メンシス様が姉に名前を訊く。姉の髪色的に、彼女が話題の聖女候補であり、既にその名は国中が周知しているものだと思っていたのだが……もしかすると礼儀として、だろうか。
『ティアン・シリウスと申します。……えっと、メンシス様と、お呼びしても?』
初対面でいきなり名前呼びはいくら何でも馴れ馴れしいのでは?と私は思ったが、『聖女候補』だからか誰も何も言わない。だけどメンシス様は少し苦笑いを浮かべた。
(……何だかイヤそうだけど、断れないのか)
彼が名高い公爵令息であろうが、聖女候補が相手では敵わないみたいだ。シリウス家が、今は彼と同じく“公爵”という地位にあるからでもあるかもしれないけど。
『そうですね、では私の頼みを聞いて下さるのなら、是非に』
胡散臭そうな笑みを浮かべ、メンシス様が姉の手を取った。
『頼み、ですか?何かしら』
高揚する気持ちをひた隠し、頬を染めながら姉が訊く。
メンシス様はそのまま姉の前に跪くと、手袋をしている彼女の指先にキスをする真似をし、ティアンを見上げて彼はこう言った。
『将来。私と結婚して頂けるのなら、許可しましょう』
口元は笑っているが、明らかに目が死んでいる。とてもじゃないがプロポーズをする者の表情ではないのに、何故か周囲は一斉に歓喜で沸いた。遠くで父が『——ま、待て!ティアン!』と大声で言っているが姉には全く届いていない。もう視線は完全にメンシス様に釘付けで、次の瞬間には『はい。喜んで!』と満面の笑みで答えてしまっていた。
貴族の結婚は家同士の利害関係で結ばれる事が多い。五大家である我が家の場合は特にそれが顕著で、尚且つ、五大家の中から結婚相手を選ぶという慣習がある。聖痕を五大家の中だけで囲い込む為の決め事であり、その流れはもう五百年近く続いている。過去には例外的に王家へ嫁いだ者も数人いたらしいが、王家には内密に、全員子供のつくれない体にされてから嫁いでいったそうだ。
ティアンは聖痕の持ち主では無いにしても、シリウス公爵家の直系であり、聖女候補だ。唯一無二である尊体に対して子供を産めないようにする訳にはいかないだろうから、この時の父は相当頭が痛かったに違いない。
『ありがとうございます。では私も、シリウス令嬢とお呼びしても?』
どう考えたって距離感のある呼び方である気がするのだが、そんな事どうでもいいのか、ティアンは元気に『はい!』と答えた。
『……そちらのご令嬢は、シリウス令嬢の妹様ですか?』
ゆっくりと立ち上がり、メンシス様がこちらに声を掛けた。視線を合わせないようにしながら黙っていたのに、周りからは『いやだ、図々しいわ』やら『姉の婚約者に色目を使って、下品ね』などと言う声が聞こえ始める。
『え、えぇ。どうもそうらしいですわ。でも、あまり似ていませんよね』
ティアンは夢見心地で何も聞こえていない為、隣席の令嬢が代わりに答えてくれた。一度も話した事もないのに蔑んだ目を私に向けてくるからきっと、彼女は聖痕を持った五大家の誰かなのだろう。
『お名前を伺っても?』
『……』
目の前に手を差し出されたが、周囲の視線が私に突き刺さり、とてもじゃないが彼の手を取れない。請われるままに名乗ったら名乗ったで文句を言われそうだし、でもこのまま無言でいても、それはそれで叱られそうだ。四面楚歌状態を体感するだなんて、本当に最悪のお茶会だ。
『まぁ。答えないわよ。失礼なお人ね』
『訊かれているのに、無視?何様なのかしら』
こそこそとそんな声が耳に届くが、メンシス様は優しく微笑んだまま、こちらの出方を伺っている。だが、流石に何分も黙ったままでいれば痺れを切らしたのか、彼は私手を強引に握って、別の空いている席へ移動し始めた。
『貴女は将来的に私の義妹になられるお人だ。交流の為にも、一緒にお茶でも飲みましょう』
軽く振り返り、嬉しそうに微笑みながらそう言われた。太陽の光を受けてキラキラと輝く髪と瞳、そして端正な顔立ちは眼福そのものではあったものの、姉ではなく私を誘った理由に関しては到底納得のいくものではなかった。