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竜斗と共に地上へ降り、生みの親の育った土地を、世界を、守るべき自然を存分に見せてやった数日後。玄関口となっている神社からは遠く離れた山の奥深くで、私は竜斗と共に、普段は敵対している鬼母神の引き合わせで鬼の子供と出会った。
栄養失調なのか肩まである黒い髪はボサボサで痩せ細り、餓鬼かと思うくらいに脆弱な見た目をしている。着物の端から見える肌は真っ白で、額から生える一本の角は鬼のわりのは小さめなせいか被衣を着たら人間の子供と間違えてしまうかもしれない程だ。目元には呪の書かれた札が一枚貼ってあり、瞳や鼻が隠れて見えない。
一見するだけで、事情持ちの子供である事がわかった。
『この子をそちらで引き取ってはもらえまいか』
気位の高い鬼母神が私に向かって深々と頭を下げる。 超多産であるにも関わらず、全ての子が万遍なく宝である彼女がここまでしてでも手放さねばならないとはよっぽどの事情なのだろう。
『……この子は、魔瞳を持って産まれてしまった。今はまだ不定期にしか発動していないが、いずれはこの力が我々には扱いきれぬものになるだろう。使い方を誤ればいくらでも悪用出来てしまう。現状の均衡を破りかねない。いずれ時の流れにより我等の力が弱体し、人間共の手に渡らぬとも言い切れぬ。ならばもういっそ……悪用だけはせぬであろう、神々に託したいのだが、引き受けてはもらえぬだろうか?』
ギュッと、鬼母神と子の繋いだ手の力が強くなった。彼女の眼からは血の涙が流れ出て、食いしばった口元からも血が滴り落ちている。腹を痛めて産んだ子を手放さねばならない事が悔しくて、悲しくて、自らの唇を噛んでしまっているのだろう。
『……母上、大丈夫ですか?』
心配そうな声で鬼の子が鬼母神を見上げた。
『えぇ、えぇ。大丈夫よ平気、何でもないわ』
そう言う彼女の声色は子供を安心させようと優しく、慌てて着物の裾で血の涙を拭った後に見せた笑顔はとても美しいものだった。
『この子は、何故こんなに痩せているのですか?人間達を喰らってでも、子供らに乳を与える貴女らしくない』
『成長する事で力を強めない為にだ。私だって、この子にも腹一杯やりたいのだが……』
『成る程。虐待ではないのでしたら文句はありません』
『——じゃあ』
『いいですよ、願いを聞き届けましょう。元々、今日はそのつもりで来ましたしね。……条件は、言わずともわかりますよね?』
無償で鬼の願いなど聞くつもりは無い。こんな好機はそうそう無いのだから、有効に活用せねば。
『あぁ、わかっている。お前の守る土地に我等は二度と立ち入らない。今後一切の害を及ぼす真似もしないと約束しよう』
『ありがとうございます。話のわかる者で助かります』
にっこりと微笑むと、口惜しそうな顔で睨まれた。
『我が子可愛しからくるものだ……普段はこうはいかぬぞ』
『……は、母上?』
母親の怖い顔を見慣れていないのか鬼の子は怯えた声をしている。その様子を見て、この子もちゃんと愛されているなと思えた。
『——じゃあ、母は此処でお別れだ。いいね、お前にとっては理不尽だと感じる事であっても、この狐の言う事をちゃんと聞くのだ。そうすれば悪いようにはならないでしょう。少なくとも……命は助かるから』
『母上……』
肩を落とし、悲しげな空気を鬼の子が纏うが、離れたく無いとは口にしない。きっと此処へ来るまでの間に説得されていたのだろう。
状況を察した竜斗がてくてくと二人の方へ近づき、鬼の子へ手を差し出した。
我が子が鬼母神に対して恐怖する気配も無いのは、まだこの子が幼過ぎて、彼女の力量を測れないからだろう。読み解ければ、恐ろし過ぎて近づきすら出来ない所だ。
『初めまして。これからよろしくね』
白い三本の尻尾を竜斗が不規則に揺らし、ニコッと懐っこい笑顔を鬼の子に向ける。
するとその様子を見ていた鬼母神が『ほら、彼が新しくお前の兄になる者よ』と言って、我が子の背中を軽く押した。その手の温かさに勇気を持てたのか、一歩前に出て、彼は竜斗の手をそっと取った。
『よろしく……お、お兄ちゃん?』
『……あはは。お兄ちゃん、お兄ちゃん、か。ちょっとくすぐったいや』
歳の近い者はみんな竜斗よりも年上の者ばかりだったので、弟分というのが新鮮な様だ。
よっぽどこの対面が嬉しかったのか、竜斗は『行こう!あっちにね川があって魚がとっても綺麗に光っているんだ』と、手を引っ張りながら鬼の子に話しかける。そして、彼の返事も待たずに揃って走り出してしまった。
そんな二人の間に、赤い糸がすっと現れる。
小指同士がしっかりと繋がっていて、それは間違い無く運命の赤い糸だった。
『……運命の、子?』
『あの子らの間に、何か見えたのか?狐』
『あぁ……どうやらあの子らは、出逢うべくして出逢った二人だった様ですよ』
森に駆けて行く二人の後ろ姿を見送りながら、そっと微笑む。 すると、鬼母神もまた私の隣に並び立ち、この先もう二度と逢えぬ子の背中を優しい眼差しでじっと見詰めた。決して忘れない様に、目蓋と記憶へ焼き付ける様に、一筋の涙を流しながら『そうか、そうか……』と何度も呟く。
『あの子の運命が此処に居るのなら、私も安心して任せて行けるな……』
母性の強い彼女では、我が子を手放した悲しい気持ちは永遠に消えはしないだろう。だが少なくとも、捨て置いてしまったと罪悪感を抱かなくて済みそうである事を、私は喜ばしく思う。
森向こうにある川辺まで走って行ってしまった二人の元にのんびりとした足取りで向かう。 鬼母神はもう立ち去っており、二度とこの領地へは来ないだろう。子供と永劫に離れる悲しさから咽び泣いてはいたが、それと同時に、我が子がいずれは“最愛の者”になる者と逢えた必然を喜んでもいた。
竜斗の運命の相手が鬼であった事に関して私的には複雑な心境ではあるが、あの子が鬼母神の息子であるならば、力量的には認めざるを得ない。他の神々がどう思うかはまた別の話だが、運命の赤い糸で繋がれている以上、反対しても無駄な事だ。
後は……鬼の子の『魔眼』がどの様に開花し、それが吉と出るか凶と出るか——
『魔眼』は神通力を使わずとも視線をやるだけで様々な事柄が発動してしまう。多種多様な能力が発生する為、あの子の能力が何なのかを早く見定め、上手く扱えるように導いてやらねば、己や鬼の子だけでは無く、竜斗までもが不幸になる。
そう思うと少しだけ先行きが不安になったが、川辺で瞳を輝かせながら魚を探す子供らの姿を見つけた途端、すっと心が軽くなった。
『そっちにいるかな』
『どう、だろう……サカナ、サカナ……サカナ?』
今更首を傾げて鬼の子が、「そういや、サカナってなんだ?」みたいな顔をする。そんな彼の姿が目に入った竜斗が、堪えきれずに腹を抱えて笑い出した。
『お前、面白いな!今まで何を探していたのかも分からずに、探し物をしていたのか』
『わ、笑うなよ……』
カッと顔を真っ赤にさせて、着物をぎゅっと掴む。 無知である事が恥ずかしくって、悔しくって、でもどうその感情を表に出していいかもわからないといった感じだ。
『ごめんな、お前が可愛くってさ』
そう言って、竜斗が鬼の子の頭をガシガシと無遠慮に撫でまくる。猫や犬を扱うみたいな手つきなせいで、ボサボサの見苦しい髪がより一層ぐちゃぐちゃになってしまった。
『やめ、ちょ、わっ!』と言いながらも、彼も竜斗の可愛がりから逃げない。止めろと言う割に、こういった空気感が彼も嬉しいのかもしれないな。
『あ、ところでお前、名前は?』
『名前?なま、え……』
しゅんっと俯き、鬼の子が黙ってしまう。その姿を見て全てを察した竜斗は、じっと彼の顔を見詰め、何かを考え始めた。
大方何を考えているか検討がつくが、運命が好転するきっかけにでもなればと思い、私は離れたまま成り行きを見守る事にした。
竜斗が『ちょっとごめん』と言って、ぺろんと額に貼ってある札を捲って顔を下から覗き込む。
『りゅ、竜斗!』
慌てて二人の元に駆け寄るが、幸いにして何も起きる気配が無い。まだ時々しか力が発動しないと言っていた鬼母神の言葉を思い出し、ひとまずはほっと安堵の息を吐いた。
『綺麗な瞳だな!赤か……まるで太陽みたいだ』
危険性を微塵も感じていない竜斗は、やっと鬼の子の顔をまともに見る事が出来た事実だけを喜んでいる。今まで札で見えていなかったが、目元は周囲がガッツリと窪んでいて顔色は青白い。頰も痩せているせいで今にも死にやしないかと心配になる程だ。だが、三白眼の真っ赤な瞳の輝きには力があり、竜斗が気に入ったのも頷けた。
『なぁ、僕が君に名前を贈ってもいいかな』
『……お前が、名前を?』
『うん。嫌じゃないならだけど』
『嫌じゃないよ』
(名付け親になるというのか。……将来彼を娶る事になるだろうに、いいのかなぁ)
『瞳が赤いから……そうだなぁ』
うーんと唸り、竜斗が言葉を探す。 悩みながら地面にゴロンッと転がると、青空を見上げて『あぁ!』と叫んだ。そのせいで鬼の子の体がビクッと跳ねる。大きな音が怖いとは鬼らしくない。意図的な栄養失調で体力が無い分、過保護に育ったのだろうか?
『紅焔は、どうかな?』
『コウエン?』
『うん!燃え盛る炎みたいに綺麗な色をした瞳だからさ。文字はねぇ……これでどうかな』
その辺に落ちていた木の枝を拾って砂の多い場所まで彼の腕を引いて行き、“紅”と“焔”の二文字を書いて見せた。
『紅焔……』
『どうかな?気に入らないなら、他のを考えるけど』
『いいと思う。……よく、わからないけど、なんか好き』
『じゃあ決まりだね!よろしく、紅焔』
『よろしく。……あ、えっと……』
竜斗は自己紹介をしていなかったせいで、ウチの子の名前が分からず、紅焔がオロオロとし出す。そんな鬼らしくない姿が可愛いと思ったのか、竜斗が破顔しながらとうとう彼の小さな体を抱き締めてしまった。ギュッと強く、頭に何度も頬擦りまでしているし、まるで恋人を抱くみたいな密着具合だ。
『竜斗だよ!』
『リュウト……』
『うん!もっと僕の名前を呼んで?竜斗って』
何で?と言いたげな口元をしつつも、『……リュウト』と紅焔が口にする。
『もっと、もっと呼んで欲しいな』
『リュウト』
『紅焔っ。ねぇねぇ、もっと呼んで呼んで』
『リュウト』
——と、二人が何度も名前を呼び合う。 当時は何と表現していいのか分からなかったのだが、今考えると『アレがバカップルってやつか』と思ったのだった。