静岡県しそね町に建設中の複合施設『ビスタ』は、兄の吾妻勇太が最後に姿を見せた場所だった。
しそね町は勇信の父・吾妻和志会長の生まれ故郷だ。
息子勇太と勇信は東京で育ったが、祖母は故郷にいるため学校の休みにはよく訪れた。
しそね町の豊かな自然とともに遊んだ思い出は、今でも記憶に残っている。
吾妻和志は3年前、しそね町を活性化するための事業計画を発表した。
持病である糖尿病が悪化するにつれ、まるで残された使命に取り憑かれるように、彼は施設の建設を主導した。
しかし健康上の問題があったためか、計画は精度を欠いたものとなった。
どこをとっても黒字経営になる可能性は見いだせなかった。ほとんどボランティア事業のような計画であり、書類上には矛盾点も多かったという。
会長は故郷への恩返しがしたかっただけなのだろうか。
おそらく追加の事業計画があるのではないか。
いよいよ会長の神通力がその力を失いつつあるのか。
様々な憶測が流れる中で、結局ビスタの建設は決定された。
しかしその直後、吾妻会長は病に倒れ植物状態に陥った。真意を誰にも告げないまま。
そうしてビスタは司令官のいない軍隊となり、最終目的地も知らされないまま建設がはじまった。
ビスタに関する全業務を担当するのは子会社の吾妻建設であり、彼らの公的な立場は明確だった。
「会長の指示を遵守する。たとえ利益が出なくても」
吾妻建設社長が方針を通達したことで、ビスタはボランティア事業として定着した。
「数年後には誰も寄りつかない廃墟になるだろう」
「ただ会長から割り当てられたタスクを実行するだけ」
「給料だけ受け取って、終わったらさっさと東京に戻ろう」
ボランティア事業が定着したことで、社員たちは一刻もはやくしそね町からの撤退を望んだ。利益を生み出す気がないどころか、地域還元事業という名目ですら誰も口にしなくなっていった。
そうした中で、ただひとり。ビスタ建設に異論を唱える者がいた。
企画部課長、堀口ミノルだった。
彼は数年後にビスタを廃墟にするつもりなどなかった。会長の遺言に似た建設業務を、必ず成功させようと考えていた。
偶然にも堀口ミノルの出身地はしそね町だ。
「自分が育った故郷の再生プロジェクトを赤字に追い込むわけにはいかない」
彼の情熱の基盤がそこにあった。
彼は毎日の業務を終えると、ひとり地方都市再生に関する猛勉強を行った。図書館を訪ねて資料を集め、また他の都市を訪れることで成功事例を頭に叩き込んでいく。そうしてようやく、隣国である韓国に理想とするビジネスモデルがあることを知った。
地方都市の再生において、雇用の創出は大前提である。
観光施設や商業施設は一時的な顧客を呼ぶだけであり、根本的な再生を行うには不十分である。
そのためには新たな職場が必要だった。
新たな労働者こそが、購買力をもつ住民になるためだ。
しそね町に根づいた労働者が金を生み、ビスタを訪れ、地域経済が活性化されるのだ。
『スポーツ振興プロジェクト』
そのビジネスモデルにたどり着いた瞬間、堀口ミノルの頭にしそね町の未来が輝いた。
隣国である韓国にひとつのモデルケースが存在する。韓国東部カンウォンドの地方都市にバレーボール専用体育館を建設し、地域再生に成功した事例だ。
韓国では珍しいバレーボール専用のコートを設置することで、全国からプロやアマチュアの強豪チームを呼び寄せる。同時に周辺施設の充実を図り、やがてバレーボールの聖地とするプロジェクトだった。
最初はみなが机上の空論だといって取り合わなかったという。総合運動場を建設すべきであり、ひとつのスポーツを対象にしていては誰もここへは訪れてくれないとの意見が大多数を占めた。
しかし担当者は粘り強く関係者たちを説得した。やがて彼の熱意に打たれた民間団体が徐々に手を挙げはじめた。そうしてバレーボール専用体育館は完工され、情報を聞きつけた全国のバレーチームが続々と集まったという。
周辺施設のインフラ整備が急務であり、町が全面的にバックアップを開始した。現在は町全体が力を合わせて、宿泊施設やレクリエーション施設、学習施設を運営している。
町を訪れたチームの監督や選手たちはみな口を揃えた。
彼らがここを訪れる理由はただひとつだった。
「公式戦と同じ素材のコート」
コートの素材が奇跡を起こしたのだ。
現在はアマチュアだけでなくプロリーグの選手も多く訪れる場所となった。また国際大会が開催される際には外国人選手も施設を利用するという。
稼働率は平日を含めて70%を超えた。
事実上の韓国バレーボールの聖地となったのだ。
堀口ミノルはこれをロールモデルとして活用し、しそね町をスポーツ振興都市として活性化させる計画を立てた。無論プロジェクトの中核には、複合商業施設『ビスタ』がかまえている。
ビスタを囲む多くの土地にスポーツ施設が建ち並ぶ。そこで働くスタッフたちがビスタの顧客となり、地方経済が回っていくのだ。
堀口ミノルは三ヶ月もの時間を投資して、ついに企画書を完成させた。バレーボールだけでなく様々なマイナースポーツの専門施設を建設する計画だった。
韓国のモデルケースとの決定的な違い。
我々は建設会社であり、自分は企画部の責任者である。そして自分はこの地に特別な愛情を持っている。
会社の規模が大きければ、夢は広がる。
吾妻財閥という大きな看板であれば、きっと実現が可能だろう。
『しそね町スポーツ専門都市化プロジェクト』
堀口ミノルの夢は、しそね町をスポーツ特化都市として全国に名を轟かせることだった。
「……それで? 堀口課長。誰がこんな無駄なことをしろと言ったんだ」
しそね町プロジェクトの責任者・谷川真也は、小指で耳をかっぽじった。