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「――朝音さん、BL小説のモデルになって下さい!」
「……ううん?」
何て言われた?
俺の思考はフリーズする。今、ゆず君に何て言われたか、必死に思い出そうと、頭を回す。でも、理解できなかった。
(BLしょう……せつ?)
聞き慣れない単語だ。いや、聞いたことある。
「お願いします! 今ちょーど息詰まってて! あー、朝音さんに出会えてよかった」
「ちょ、ちょっと待って、モデル? 小説? 何のこと?」
俺は、ようやく我が返ってきて、ゆず君の両肩に手を置く。
そんなことゆず君にはどうでも良いようで、まるで、俺が視界に入っていないように、話を進めてしまう。自己中心過ぎる! と、叫びたいくらいだった。
「あ、僕実は小説家で。一回大きな賞を取ったんですけどそれ以降伸び悩んでて……書いても書いても思うようなもの書けなくて。何度も担当編集者にボツ喰らってたんですよ」
かと思えば、しゅん、と耳を垂れさせて、落ち込んでしまうゆず君。全くどうなっているんだ情緒は、と思いつつも、俺は慰めてあげなければと言う思いに駆られ、ゆず君に大丈夫だよ、と声をかける。それを待っていたかと言わんばかりに、ゆず君はクスリと笑った。演技だったと、見抜けず、俺はへ? と声を出すことしか出来なかった。
「朝音さんしかいないんですよ。僕BL小説書いたことなくて……」
いやいや、書いたことが無いのに、書こうとしている!? いや、悪いことじゃないし、挑戦することは良いことなんだけど。それで、賞を狙う、みたいなニュアンスに聞えて、俺はなんて返せば良いか分からなくなってしまった。
それでも、ゆず君はお構いなしと、続ける。本当に、可愛いだけで、頭が空っぽなのではないかと……少し、口は悪くなるが思ってしまうわけで。
「BL小説って女性に人気じゃないですか。これなら一発逆転狙えるだろうなって!」
「うーんそう、簡単なことじゃないと思うけどな……BL小説って世の中に一杯あるし、言ってしまえばライバルが多い分野でもあるし」
「だから、よりリアルなものを書いて共感を集めたいんです!」
「リアル?」
「はい。僕の理想の男性像とかそういうものを。あ、もちろん朝音さんのご迷惑にならないよう配慮しますし、ちゃんとお礼だってさせていただきます。それに、もし朝音さんが嫌じゃなければ、今後ともずっと付き合っていきたいなと思っていて……あ、そうだ。今度僕の家に遊びに来てください。いいアイディアが浮かぶかもしれないですし」
「いや、あのね、ゆず君……」
「本当に困っているんです。このままだと、いつまで経っても納得できるものが出来ないままで……一度でも経験すればまた違うと思いますし。どうか、お願いできませんか?」
と、捨てられた子犬のような目でみるゆず君。
そんな風に頼み込まれたら、断ることなんて出来なかった。でも、まだ、あの呪いの言葉を言われていないから、俺は断れる。断れるんだ……と、自分に言い聞かせる。でも、ゆず君の顔を見てしまうと、無理だ、とは言えなくなってしまった。自分の意志の弱しさに肩を落とすしかなかった。
「…………分かったよ」
俺が、そういえば、次の瞬間には顔を太陽のようにパッと明るくさせて、ゆず君は俺の手をとった。人助けと思えば、これくらい……と思ったが、ゆず君は俺が断れ無いだろうと知っていたのか、マシンガントークを始める。
「ありがとうございます。それでは早速打ち合わせをしましょう。時間はありますか?」
「えっと、今日は特に予定はないかな」
「それは良かった。まずはプロットからですね。朝音さんはどんな男性が好みですか? 僕は、年上で優しく包容力のある人が好きです。でもたまには強引に攻められるのもいいかもしれません」
「そう、なんだ……」
「朝音さんはどういった方がお好きですか? 例えばこうやって迫られてみたいなーとか」
「ちょっと待ってゆず君。本当に、落ち着いて」
俺は、一旦ゆず君を引き剥がして、落ち着いて貰おうと思った。分かった、って了承したし、すぐに行動に出るのは、まあ間違ってはいないんだろうけど、まわりのことを考えないんだなあ、って少し思ってしまった。俺でももう少し配慮は出来る。でも、それほどまでに追い詰められているのなら……とかも思うけど、ゆず君はそんな風に見えないし。
ただもうちょっと、考えて欲しいな、とは思った。一応、俺はバイトを抜け出して、忘れ物を届けに来ただけだし。
「『お願い』します。朝音さん。俺には、朝音さんしかいないんです!」
「おね……がい?」
「はい、『お願い』です」
ゆず君に迫られて、俺の目はぐるんと回ってしまった。あの、呪いの言葉が、俺の頭の中を埋め尽くしていく。
(そうか、『お願い』か……『お願い』……)
「うん、分かった。協力はするよ」
「やった! じゃあ、早速で悪いんですけど、頼んで良いですか?」
「それも、お願い?」
「はい『お願い』です」
ゆず君は気づかないだろうけど、俺は『お願い』が断れ無い。だから、ゆず君が、悪意や邪な思いで、『お願い』してきているわけではないって分かっている。でも――
俺が、ゆず君を少し虚ろな目で見ていれば、そんなことに気付くはずもないゆず君が声を上げた。
「朝音さん、明日僕の指定する電車に乗って『痴漢』されてきて欲しいんですよね」
「へ?」