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完璧に設えた「城」の書斎から、シズちゃんが幽霊のような足取りで這い出してきた。
魂をどこかに置き忘れてきたような、焦点の合わない瞳。
やはり、あの「紋章入りの箱」は、彼女にとって前世の記憶か、あるいは一族の命運を分かつ聖遺物のようなものだったに違いない。
天利「シズちゃん、大丈夫かい?
顔色が……」
シズカ「……ええ。
なんとか、一命は取り留めましたわ……。
……いいえ、取り留めてないかもしれませんわ……」
シズカ「(開封された様子はなかったし、中身も無事だった……。
でも、あれの荷解きは最後にしよ……)」
彼女がフラフラとソファに沈み込んだ、その時。
静寂を切り裂くように、シズちゃんのスマホが震えた。
シズカ「……っ! ママから!?」
表示された名前を見た瞬間、彼女の背筋が、まるで見えない電流が走ったかのように真っ直ぐに伸びた。
天利「(……ママ?)」
意外だった。
「お母様」ではなく「ママ」。
会社では『鉄の女』、俺の前では『可憐なお嬢様』である彼女が、電話越しに見せるその響きは、驚くほど年相応の、甘えと焦りが混じった響きだった。
シズカ「もしもし!
……えっ、ちょっと待って!なんで今言うのよ!
……ええっ!?パパにバレた!?
……だから、タイミングは私が考えるって言ったじゃない!」
天利「(……。……!?)」
俺は耳を疑った。
敬語が、消えている。
「……ですわ」という優雅な結びも、「……ではありませんこと?」という淑やかな問いかけもない。
そこにあるのは、実家でリラックスしている……いや、実家の無茶振りに全力で抵抗している、等身大の『女の子』の口調だ。
シズカ「パパが暴れてる!? やけ酒?
……当たり前でしょ、あの性格なんだから!
……はぁ!?同棲相手が『タワーの主』だって言ったの!?
余計な情報を……!
……っ、ちょ、ちょっと! 日取り!?
何の!?挨拶の!?まだ決めてない、決めてないってば!!」
天利「(……。……。……あ、挨拶……?)」
俺の心臓が、抗争の開始を告げるサイレンのように跳ね上がった。
シズカ「……ちょっと、ママ!
勝手に今週末に設定しないでよ!
相手の都合も……!
……あ、切った……。信じらんない……」
シズちゃんは絶望したようにスマホをテーブルに置くと、両手で顔を覆った。
シズカ「(ママ……パパをなだめるフリをして、最初から私を逃がさないつもりね。
……さすが、あのパパを掌で転がしているだけあるわ)」
しばらくの間、彼女は「……どうしましょう」「……刺されるわ」「……どっちが?」と不穏な独り言を繰り返していた。
シズカ「(……天利さんがパパにハジかれるのが先か、パパが天利さんを見てショック死するのが先か……あるいは私が、自分のオタク部屋の惨状をパパに知られて社会的に死ぬのが先か……!
……あるいは、私が両方の板挟みで精神的に刺されるわ)」
やがて覚悟を決めたように、俺の方を向いた。
そこには、再び「お嬢様」の仮面を被り直そうとして、半分崩れかけている彼女がいた。
シズカ「……天利さん。……至急、作戦会議が必要ですわ」
天利「ああ。……今、漏れ聞こえた感じだと、俺の『クビ』がかかってるような気がするんだけど」
シズカ「……母が、父に全てをバラしてしまいましたの。
……私がひとり暮らしではなく、殿方と……その、天利さんと共に暮らしているということを」
天利「(……。……。……よし、落ち着け。
……まず、防弾チョッキの予備を確認して……)」
シズカ「救いがあるとすれば、母には天利さんのことを『父と同業者』の『和製ジョ〇デ』としか説明していないことと、父が『同業者』であることを知らないことですが……」
天利「ジョ〇デって、あの海賊の……?」
シズカ「はい、そのジョ〇デです……。
それで、父は今、酔っているのもあり上野の山を更地にする勢いで怒り狂っておりますわ。
……母がそれをなだめる代わりに、『今週末、相手を実家に連れてこい』と約束を取り付けてしまいましたの」
彼女は、申し訳なさそうに、けれどどこか縋るような瞳で俺を見つめた。
シズカ「……天利さん。……その、恐ろしいのは百も承知ですが……。
私の両親に、ご挨拶をお願いしてもよろしいでしょうか……?」
天利「(……断る選択肢なんて、最初からねぇよ)」
俺は、左腕の蜘蛛が熱を持って疼くのを感じた。
あの、ゴリゴリのいかつい金具がついた桐箪笥。
あんなものを作って、娘の門出に「ハリボテ」だと自嘲しながら持たせるような父親だ。
俺みたいな「泥の中に住む蜘蛛」が、宝石のような娘を連れ去ったと知れば、チャカの1発や2発は覚悟しなければならないだろう。
天利「……わかった。……行こう。
……むしろ、こちらからお願いしたいくらいだ」
シズカ「……天利さん……!」
天利「その代わり、シズちゃん。
……1つだけ教えてくれ。
……ご両親は、何がお好きだ?
……高級な酒か? それとも、やはり『アメジスト』のような珍しいものか?」
シズカ「……。……多分、由幸さんの『誠意』と、『死んでも私を離さないという覚悟』、それだけだと思いますわ」
シズカ「(パパが喧嘩腰にならないような『穏やかな手土産』にしておかないと……)」
俺は、ダイニングテーブルの上に祀られていた「紋章入りの箱」と、クローゼットの桐箪笥を交互に思い出す。
この「城」に持ち込まれた彼女の重み。
その正体が何であれ、俺はこの週末、その全ての根源である『蓼原家』という戦場に、身ひとつで突撃することを誓った。
天利「(……待ってろ、お義父さん。
……俺の誠意、骨が折れるまで見せてやるよ)」
赤坂の夜空には、嵐の予兆のような、妙に明るい月が浮かんでいた。
天利「でも、手ぶらで挨拶に行くのはダメだね……。
……やっぱり虎屋の羊羹か。
いや、それともここは『不壊の絆』を象徴して、特注のチタン製文鎮でも……」
シズカ「……重すぎますわよ、物理的に!」
天利「……いや、ここは『一生、娘さんを離さない』という意味を込めて、特注の超強力万力にするべきか?」
シズカ 「締め上げすぎですわ!
挨拶に行くのか拷問に行くのか分かりませんことよ!」