血筋良し、見栄え良し、都でも一二を争うモテ男、少将、守近《もりちか》の屋敷正門では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「お黙りっ!この、田舎武者めっ!」
「うるさいぞっ!この、婆がっ!」
食ってかかっているのは白髪混じりの女。婆と、呼ばれても、一歩も引かない。
それもそのはず、この屋敷の主《ぬし》、守近の乳母まで勤めた、男顔負け、お勤め一筋の古参の女房、武蔵野その人なのだから。
一方、相手方は、三十路《みそじ》そこそこの武者か。髭面が邪魔をして、年の頃は読み取れないが、装いから見るところ、検非違使《けびいし》庁の下級職、看督長《かどのおさ》のようだ。
犯人《げしゅにん》捕縛を役目とする者だけに、血の気が多く、粗野な振る舞いが目立つ為、都らしからぬと、日頃から嫌われる存在なのだが、武蔵野の言うところの、田舎武者も、当たらずといえども遠からず。
屋敷仕えの女房と、検非違使が、言い争っていると、回りには人だかりが出来ており、武蔵野の言葉に、集まった野次馬は、よくぞ言ったと大笑いしていた。
しかし、一体何があったのだろう。ここは、かの少将の屋敷。その正門で、仕える者と、看督長《かどのおさ》が言い争うとは。
話しぶりからすると、この女房を捕まえに来た訳でも無さそうだ。かといって、屋敷の主《あるじ》を捕らえるにしては、各落ちすぎる要員だった。
仮に、少将に罪があったとして、平も平、下級職だけのお出ましで、ほいほいと、少将が姿を現すはずもない。その無礼さを、女房が、いさめているのだろうか。
とはいえ、先程から、繰り返されているのは、
「婆さん」「野蛮人」の、こればかり。とても、捕り物沙汰とは思えないものだった。
ついに、双方息切れ時が、来たようで、煮詰まったかのような、妙な間が現れだした。
それにつけても、女房の分が悪すぎる。女一人。そして、相手の男は、後ろに数名配下を控えさせているのだから。
「武蔵野様っーー!」
女房に、援軍が来たと、野次馬はどよめいた。
が、現れたのは、年端もいかない女童子《めどうじ》。一同は、肩透かしを食らい、熱が冷めてしまう。
「沙奈《さな》や、どうしました?」
「守近様のお言葉を、お伝えに参りました」
周囲のことなど、お構い無しで、武蔵野と沙奈は、ひそひそ話し合っている。
「おい、そこの餓鬼《がき》、何を婆と話しておる!邪魔だ!今すぐ、立ち去れ!」
業を煮やした看督長《かどのおさ》が、二人に向かって悪態をつく。
野次馬は、眉をしかめた。こうゆうところが、粗野で野暮ったいと嫌われる元なのだと言いたげに。
「お黙りなさいっ!この不埒《ふらち》者めがっ!これは、ただの女童子では、ございませんぞ!」
急に勢い付いた武蔵野の迫力に押されたのか、場は、しんと静まりかえった。
「よろしいか!この女童子は、北の方様の縁者にあたる者!それを、よりにもよって、餓鬼とは、何事ぞっ!」
武蔵野の怒りも、分からなくもない。
そもそも、餓鬼とは、仏教用語で亡者を指す。生前の悪行ゆえ、餓鬼道に落ちた飢えと渇きに苦しむ者の事なのだ。それが転じ、食べ物をガツガツ食する幼子を餓鬼と呼ぶようになる。
そうして、屋敷の者も、うっかり忘れているが、武蔵野の言う通り、沙奈は、正真正銘、北の方──、守近の正妻、徳子《なりこ》の縁者なのだった。地方の、とはいえ、貴族の家の出。思えば、沙奈も、れっきとした姫君なのだ。
女童子といえども、ただの女童子ではない訳で、それを餓鬼呼ばわりとは……。
まさかの展開に、野次馬は、目を皿のようにして、沙奈を見た。
それは、看督長《かどのおさ》も同じで、続く言葉が出てこない。
「どうされました?そこの荒武者殿?」
武蔵野のからかいに、看督長《かどのおさ》含め、後ろに控える配下の者は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そ、そ、そうだ!其処《そこ》な女童子《めどうじ》!先程、少将様のお言葉を伝えに参ったと言っておったな。どうゆうことだ!」
「あー!もう、其処な、髭モジャ!うるさいんですよぉ!お陰で、徳子《なりこ》様が、びっくりして、乳の出がわるくなったのです!子猫ちゃんが、ミャーミャー鳴いて、大変なんですからぁ!!どうしてくれるんですかっ!」
乳の出、子猫ミャーミャー。
野次馬含め、検非違使達も、何の事やらさっぱり分からず。
「おや?どうゆうことです?」
武蔵野も、首を傾けた。
武蔵野は、延々と、ここで、目の前の荒武者の相手をしていた為に、屋敷で起こっていた事を詳しく知らない。
「えっとですね。居なくなった徳子様は、縁の下で、子猫ちゃんを産んでいたのです」
「えええーーー!」
と、検非違使、野次馬が同時に叫ぶ。
ことの発端は、猫に、守近徳子と主《あるじ》夫婦の名をつけ、その猫が居なくなったと、屋敷の者達が、大路《とおり》にて、主夫婦、否、猫の名を呼びながら探していたことだった。
ちょうど巡邏《みまわり》していた、検非違使が、少将夫婦が失踪したと思いこみ、屋敷へ詰めかけた。
しかし、応対する武蔵野は、頑として、主は在宅と、失踪を認めない。訳のわからない言い争いになり、今の騒ぎに至っているのだ。
さて、野次馬ときたら、言葉通り、北の方が産気付き、縁の下で、子を産んだと思い込む。しかし、そこで、子猫とは、いったいどうゆうことだと、驚きを隠せない。