最近のなろっちは、どっかおかしい。
同じ家に住んでるから、嫌でも気づく。
夜、キッチンに立っててもリビングからひょこっと顔を出してくれへんし、 せっかく作った晩飯も、箸をつけてもすぐに手を止める。
「……ごめん、翔くん。なんか今日は、食欲なくて」
そう言って無理に笑おうとするけど、目がぜんぜん笑ってへん。 そのくせ、理由を聞いても
「大丈夫」
「平気だよ」
って言うだけ。
――本当は、大丈夫ちゃうのに。
俺は料理を作るのが好きやし、なろっちが喜んでくれるのがいちばん嬉しい。
そやから最近の「食べられない」は、地味に胸に刺さる。
その日の夜も、なろっちはほとんどご飯を食べずに部屋に戻った。
俺、気になってしゃあないから、食器を洗いながら耳を澄ませる。
けど、あっちの部屋は静かすぎた。
(……なんで食べてくれへんのやろ。俺の料理、飽きたんか? それとも……俺といるのが、しんどいんか?)
気づいたら、考えが変な方向に転がっていく。
翌朝、キッチンで用意した朝食にも、なろっちはほとんど手をつけなかった。
俺が
「なろっち、これ好きやったよな?」
って言っても――
「……ごめんね。翔くん、本当においしいんだけど……食べられなくて」
“おいしい”って言ってるのに、顔は苦しそうで、目は伏せたまま。
その矛盾に、胸がギュッと締めつけられた。 気ぃついたら声が荒くなってた。
「無理して“おいしい”なんて言わんでええよ。 嫌やったら、嫌って言えばいいやろ」
なろっちはビクッとして、まるで叱られた子どもみたいに肩を震わせた。
「ち、違うんだよ……翔くんのご飯は嫌じゃないの。ほんとに……」
「ほんまに? なら食えるはずやろ」
言ったあとで、胸の中で後悔が広がった。 けど取り消すタイミングを失ったまま、なろっちは小さく息を吸った。
「……僕、少し……距離置いたほうがいいと思う」
その言葉は、冷水を浴びせられるより痛かった。
「……なんでや。俺、なんかしたか?」
聞いても、なろっちは首を横に振るだけ。
「僕の問題だから。翔くんのせいじゃないよ。 だから……ちょっとだけ、離れていたいの」
(なんで理由を言ってくれへんのや…… 俺、嫌われたんか?)
胸の奥がズキッとした。
なろっちの顔を見ても、そこには“秘密”と“罪悪感”だけが滲んでて、
俺にはもう手が届かん場所に行こうとしてるように見えた。
――ついこの前まで、笑って隣で
「おいしいよ」
って言うてくれてたのにな。
なろっちが部屋に戻ったあと、 キッチンに残された皿の前で、俺は動けなくなった。 俺が作った料理。
ほとんど手つかずのまま冷えている。
視界がじんわり滲んで、 ぽた、ぽた、と涙が落ちた。
(なんで言ってくれへんの。 なんで俺だけ、置いていかれんねん……)
ただ一緒に飯食って笑いたかっただけやのに。 それさえ叶わんくなっとる。 俺は拳を握りしめながら呟く。
「……なろっち。どうしてや……」
――このときの俺はまだ知らんかった。 なろっちがずっと、
“味がしない”
地獄の中に一人で耐えてたことなんて。
ーーーーーーーーーー
なろっちが「距離を置きたい」と言ってから、家の中の空気が一変した。
前みたいにリビングにいる時間も短くなって、
俺と目が合いそうになると、そっと視線をそらす。
(……ほんまに、俺のこと嫌になったんか?)
考えたくないのに、頭の中でその可能性だけが膨らんでいく。
そんなある日の夕方。
俺は早めに帰ってきて、静まり返った家のドアをそっと開けた。
――リビングから、小さな声が聞こえた。
なろっちの声や。
誰かと電話してるんかと思って、思わず柱の影から覗いてしまった。
いやらしい意味やなくて、ただ心配で。
「……僕、もう食べられなくて。
翔くんに悪いし……迷惑かけたくないの」
その言葉で、胸の奥がズキンと痛んだ
(一人で、誰かには相談できるんや……。
なら俺には、打ち明けられへんのはなんでや?)
なろっちは、細い声で続ける。
「翔くんの料理……本当は辛いんだ。
味がないのに“おいしい”って言うのが……僕、無理で……」
その瞬間、脳内が真っ白になった。
(辛い……?
俺の料理が……“辛い”?
無理って……俺と一緒にいるのが無理ってことなんか……?)
勝手に心臓がヒュッと縮む。
“味がない” という言葉も、深読みのしすぎで頭から抜け落ちた。
ただ、 “辛い” “無理” だけが刺さる。
なろっちの声はどんどん沈んでいった。
「僕がそばにいると、翔くんに嘘ついちゃうし……
本当は……距離を置いたほうが、お互いのためで……」
“お互いのため”
それは普通なら優しさの言葉なんかもしれへん。
けど今の俺には、ただの“別れ話”みたいに聞こえた。
(……ほんまに終わるんか。
俺らの関係……ここで終わるんか?)
足が動かん。
喉もひゅうっと細くなる。
なろっちが電話を切ったあと、
俺は気づかれんよう静かに自分の部屋に戻った。
ドアを閉めた瞬間、息が止まるみたいやった。
「……そういうことか」
ぽつりと呟いた声が、自分のものとは思えんほど低かった。
(なろっち……俺と一緒にいたら辛いんや。
料理だけやなくて、俺の存在そのもんが……)
胸がぐしゃぐしゃになって、椅子に座り込む。
ついこの前まで、
笑って 「おいしいよ」 って言うてくれた相手のはずなのに。
何がどう歪んで、こんなとこまで来てしまったんやろ。
「……もう、話さんほうがええんかな」
諦めが喉元までせり上がる。
けど、なろっちの顔が浮かぶと、
その“答え”も胸の奥でひしゃげた。
ほんまは離れたくない。
でも、なろっちが辛いなら……俺がいないほうがええんやろか。
自分でもどうすればいいか分からんまま、俺は部屋の中でただ、深く沈んでいった。
――この誤解は、まだ序章にすぎへんことも知らんまま。
ーーーーーーーーーー
なろっちの体調は日ごとに悪くなっていた。
けど俺は、“近づかんほうがええ”と信じてしまっていた。
二人が同じ家にいながら、
言葉の壁どころやない、見えない壁がどんどん高くなる。
――そんなある日のことや。
俺が夜の買い物から帰ってくると、
玄関の前で、なろっちが誰かと話していた。
相手は近所に住む、なろっちの知り合いの年上男性だった。
やさしそうな人やけど、俺はその人をほとんど知らん。
玄関を少し開けたまま、なろっちは弱い声で言っていた。
「ほんと……翔くんにはもう、迷惑かけたくないんだ」
その声は涙を堪えてるようで、
全身が折れそうな細さやった。
男性は心配そうに肩に手を置いていた。
「でも倒れたって聞いたよ? 一人で我慢してたら余計つらいよ」
「……大丈夫だよ。
僕、翔くんから離れたほうが……あの人のためなんだ」
その瞬間、胸がズキンと痛んだ。
(……“あの人のため”って……
俺のそばにいるのがそんなに嫌なんか……?)
男性がぽつりと言った。
「翔さんって、やさしいけど……少し、重いところがある、のかな…?」
なろっちは否定しようとして――できなかった。
数秒の沈黙。
その沈黙が、
俺には“肯定”にしか聞こえへんかった。
(……そうか。
俺は迷惑で、重くて……
なろっちはもう、俺から離れたいんやな)
呼吸が乱れた。
なろっちが続けた。
「僕が、翔くんのご飯を食べられないから……
翔くん、きっと傷ついて……
僕といる意味、ないよね……」
“僕といる意味、ないよね”
その言葉だけが、頭の中で何度も響いた。
俺が玄関の影にいることに、なろっちは気づいてない。
気づかんでええ。
こんな惨めな姿、見られたくない。
(……終わったんや)
すべてが崩れ落ちる感覚がした。
家に戻ったなろっちは、
ソファにもたれながら小さく息をしていた。
俺は少し離れたキッチンから、
その弱い背中を見ていた。
「……なろっち」
声をかけると、振り向いた顔は驚くほど弱った顔で……
俺の姿を見た瞬間、なろっちは
「……ごめん」
と小さく呟いた。
その“ごめん”の意味も、本当は違うのに。
俺は誤解したまま、決定的な一言を口にした。
「……もうええよ。無理して笑わんでええ。
俺とは……距離、置こう」
なろっちの目が大きく揺れた。
「え……? やだよ、そんな……!」
「大丈夫や。
なろっちが楽になるなら……俺は、もうええから」
それ以上、言葉が出んかった。
これ以上いたら泣き崩れる。
だから背を向けた。
後ろから、か細い呼吸と泣きそうな声が聞こえた。
「翔くん……いかないで……」
その声を聞いた瞬間、
足が止まりそうになった。
でも。
(……嘘や。俺を止めるためだけの言葉や。
本音は“離れたい”。)
そう思い込んでしまっていた。
だから振り返らず、
部屋を後にした。
その晩、なろっちは高熱で意識を失った。
俺は気づかず、
自分の部屋でただ布団にうずくまり、
“嫌われた”という結論だけ抱きしめて震えていた。
朝になってリビングに行くと、
なろっちが倒れていた。
前よりずっと、冷たく。
「……なろっち?」
呼びかけても返事はなかった。
俺は震える手で彼の肩を揺らし、
ようやく自分が間違っていたことに気づいた。
味がしない。
言えなかった。
苦しくて、泣きたくて。
俺に言いたかったのに、言えなかっただけで……
なのに俺は。
「……うそや、なろっち。
なんで……なんで言ってくれへんかったんや……」
掠れた声で呼んでも、
返事は来ない。
ふれた指先に伝わる体温は、生きているのにどこか遠くて――
あのとき玄関で耳にした言葉も、
全部、誤解やったのに。
「ごめん……俺が壊したんやな……」
涙がぽたぽたと落ちて、
なろっちの頬に小さな跡を作った。
翔の胸には、
“もう二度と戻らんすれ違い”
だけが残された。
コメント
1件
ええ😭もう え 天才すぎる 涙腺きました、、やばすぎる、、(ᐡ ̥_ ̫ _ ̥ᐡ)