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ここなつ
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天灯共同区域の茶房を出た時だった。
「少し待ってくれ」
隣を歩いていた男が、突然立ち止まった。
「ん?」
振り返る。
彼は水域由来の霊獣だ。
人型生活にはもう十分慣れている。衣も問題なく着られるし、陸上で長時間過ごすこともできる。
そして今日は。
一応、俺たちにとって初めてのデートだった。
茶房で昼を食べて。
共同庭園を歩いて。
この後は夕映えの見える場所まで行く予定だった。
だから俺は、何か忘れ物でもしたのかと思った。
「どうした?」
「水を浴びたい」
「……今?」
「ああ」
真顔だった。
俺は空を見た。
晴れている。
暑くも寒くもない。
汗をかくほど歩いてもいない。
「さっき茶飲んだよな?」
「飲むのと浴びるのは違う」
「まあ、それはそうだけど」
男は少し眉を寄せ、自分の腕を擦った。
「乾いてきた」
それを聞いて、俺も表情を変える。
「具合悪い?」
「そこまでではない。ただ、このままだと夕方には落ち着かなくなる」
「だったら浴びよう。水場、近くにあったよな」
俺が進路を変えようとすると。
「いや」
止められた。
「なんで?」
「今日はデートだろう」
「そうだけど」
「途中で水へ入るのは、格好が悪い」
「…………」
思わず顔を見た。
本人は至って真剣だ。
「お前、そんなこと気にしてたの?」
「気にする」
「普段めちゃくちゃ普通に水入ってるじゃん」
「普段と今日は違う」
「どう違うんだ」
少し間があった。
「……お前に、普通の男だと思われたい」
俺は黙った。
それから、盛大にため息をついた。
「なるほど」
「何だ」
「それ、天灯院で一番怒られる考え方だぞ」
「なぜだ」
「由来を隠して普通っぽく振る舞う必要ないだろ」
男の目が少し泳いだ。
「だが、デート中だ」
「デート中でも水域由来は水域由来だろ」
「……情緒がないな」
「情緒のために干からびるな」
言い切る。
男は不満そうな顔をした。
「俺は別に干からびない」
「ものの例えだよ」
「なら正確に言え」
「面倒くせえな!」
初デート中とは思えない会話になってきた。
だが。
俺は少しだけ笑った。
「ほら、行くぞ」
「どこへ」
「水庭」
「だが」
「俺も行く」
男が止まる。
「お前も?」
「デートなんだろ?」
「……ああ」
「じゃあ一人で水浴びして戻ってこいって方がおかしい」
そのまま歩き出す。
数歩遅れて、足音がついてきた。
*
水庭は空いていた。
浅い水路と、由来別に深さを調整した水場が並んでいる。
男は水際へ立つと、ようやく少し安心した顔をした。
「入ってくる」
「ああ」
衣を脱ごうとして。
途中で止まる。
俺を見る。
「何?」
「見ているのか」
「お前が俺の前で脱ぎ始めたんだろ!」
「いや、そうだが」
男の耳が少し赤い。
「今日はデートだから」
「またそれか!」
「普段とは違う」
「じゃあ俺、向こう向いてるから」
背を向ける。
衣擦れの音。
少しして、水音がした。
ざぶん。
かなり豪快だった。
「……気持ちいい?」
「すごくいい」
声が明らかに生き返っている。
「そこまで我慢してたのかよ」
「だから、そこまでではない」
「声で分かるわ」
振り返ると。
男は肩まで水に浸かっていた。
さっきまでの堅い表情が嘘みたいに緩んでいる。
「お前さ」
「何だ」
「最初から入ればよかったじゃん」
「……そうだな」
「俺に格好つけるために我慢してた?」
返事がない。
「図星か」
「うるさい」
俺は笑った。
すると男が水の中から手を伸ばす。
「来い」
「は?」
「お前も」
「俺、水域由来じゃないんだけど」
「知っている」
「衣どうすんだよ」
「濡れてもいい場所だ」
「そういう問題じゃ――」
水面を叩かれた。
ぱしゃ、と水滴が飛んでくる。
頬に当たった。
「お前今、かけた?」
「少しだけだ」
「初デートで?」
「デートだから」
「便利に使うな、その言葉!」
今度はこちらが水を蹴り返した。
男の顔にまともにかかる。
一瞬。
沈黙。
「あ」
やりすぎたかと思った。
次の瞬間。
ざばっ。
全力で水を返された。
「冷てえ!!」
「少しだけだ」
「嘘つけ!」
結局。
夕映えを見る頃には、俺の衣まで半分濡れていた。
隣では水を浴びて完全復活した男が、妙に満足そうに歩いている。
「……予定とだいぶ違ったな」
俺が言うと。
「ああ」
「茶房行って、水浴びして、水かけ合って」
「ああ」
「これ、デートとして正解なのか?」
男は少し考えた。
それから、濡れた俺の袖をつまむ。
「俺は楽しかった」
「……なら、まあいいか」
「それに」
「ん?」
「次からは、我慢しない」
「そうしてくれ」
「水を浴びたくなったら言う」
「ああ」
「お前にもかける」
「それは申告しなくていい。やめろ」
男が笑った。
夕映えの中で。
さっきまで水に浸かっていたせいか、その髪からまだ一滴、水が落ちる。
俺はそれを見て思った。
たぶん。
こいつと付き合うなら。
普通のデートなんて、最初から諦めた方がいい。
そして。
それは別に。
悪いことではないらしい。
コメント
1件
うわ、めっちゃよかった……!「普通の男に見られたい」って言う霊獣くんの心情が可愛すぎるし、それに対して「干からびるな」ってバッサリいく主人公の距離感が最高。水かけ合いからの「俺は楽しかった」はズルいわ、心臓持ってかれた。普通のデートじゃなかったけど、それでいいんだって思えるラストが沁みた。続きも絶対読みたい!