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リフェアリー
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権田は、一人で、峠の小屋に来た。
百人は、峠の上に残した。トラックも、米も。黒い作業着の男を二人だけ連れて、雪の山道を、二時間、歩いて下りてきた。小屋の前で、二人を外に待たせ、戸を開けた。
要は、机の向こうにいた。隣に、大畑。
「兄ちゃん」権田は、戸口で言った。「久しぶりだな」
「一年ぶりです」
「一年か」権田は、小屋の中を見回した。壁の板。四つの印。相場。為替。十二条の掟。「……大きくなったな、帳面が」
「権田さんの御殿も」
「ああ。東京、甲府、塩尻、松本。四つだ。お前の市も、四つだと聞いた」
「四つです」
権田は、椅子に座った。大畑を見た。
「村長か」
「大畑だ」
「権田だ。お前の村の帳面つけが、俺の東京の商店街で、帳面を始めた。一年前だ。それが、ここまで来た。俺も、ここまで来た。同じ道を、同じ速さで、歩いてきたわけだ」
「同じ道か」大畑が言った。
「同じ道だ」権田は、言い切った。「俺は、人を食わせる。お前らも、人を食わせる。やり方が、違うだけだ」
*
権田の話は、長かった。
東京の御殿は、三千人になっていた。甲府は、八百人。塩尻は、三百人。松本は、五百人。合わせて、四千六百人。四千六百人が、御殿の米を食い、御殿の仕事をし、御殿の現金を受け取り、御殿の台帳に名前を書いている。
「一年前、兄ちゃんは言った。『あなたが倒れたら、誰が決めるんですか』と。俺は、そのときは、答えられなかった。今は、答えられる」
「誰が」
「三冊だ」権田は言った。「お前の仕組みだ。俺が倒れても、三冊の帳面が残る。三人の部下が、別々に書いてる。俺が死んでも、帳面は、誰が働いて、誰が食ったかを、覚えてる。御殿は、俺の後も、回る」
要は、権田を見た。
「三人は、権田さんの命令で、同時に書き換える」
権田の目が、少し、動いた。
「……誰に聞いた」
「甲府の会長に。評判台帳を、三冊とも、同時に書き換えたと」
「書き換えた」権田は、認めた。「御殿に逆らったやつを、バツにした。当たり前だ。御殿の米を食いながら、御殿に逆らうやつは、御殿にはいられない」
「三冊を、同時に書き換えたら、三冊の意味がなくなります」
「意味は、ある。俺が死んだ後に、ある。俺が生きてる間は、俺が決める。俺が死んだら、三冊が決める。それで、いい」
要は、何も言えなかった。
権田は、間違っていなかった。権田が生きている間、御殿は権田の判断で回る。権田が死んだら、三冊が残る。それは、一年前の御殿より、確かに、良くなっていた。
要の仕組みが、御殿を、良くした。
「権田さん」要は言った。「何をしに、来たんですか」
権田は、机に、手を置いた。
「市を、御殿に入れないか」
「入れる」
「四つの村を、御殿の五つ目にする。証は、そのまま使え。台帳も、そのまま。水車も、組合も、為替も、好きにしろ。俺は、口を出さん。ただし、御殿の米と、御殿の現金と、御殿の百人が、四つの村を守る。代わりに、四つの村の米の、二割を、御殿に出せ」
大畑が、動いた。
「二割」
「二割だ。安いだろう。甲府は、三割出してる。塩尻は、四割。お前らは、自分で米を作ってる。だから、二割でいい」
「守る、とは、何から守る」大畑が聞いた。
「他の御殿から」権田は言った。「俺の御殿だけじゃない。名古屋に、別の御殿がある。新潟にも。俺より、荒い。俺は、三冊の帳面を作った。あいつらは、作らない。食わせて、働かせて、逆らったら、殺す。それだけだ。あいつらが、来年、長野に来る。来たら、四つの村の、鍬と鎌では、持たない」
小屋の中が、静かになった。
「俺は、お前らを、守れる」権田は言った。「百人いる。トラックがある。来年には、二百人になる。名古屋の御殿が来ても、追い返せる。お前らの証を、お前らの台帳を、お前らの市を、守れる。二割で」
要は、権田を見た。
権田は、嘘をついていなかった。名古屋の御殿は、たぶん、本当にある。要の市は、鍬と鎌しか持っていない。権田は、本当に、守れる。
そして、守った代わりに、市は、御殿の五つ目になる。
「……権田さんは、一年前、言いました」要は、ゆっくり言った。「遅い仕組みより、速い棒だ、と」
「言った」
「今は、棒で、仕組みを守ると言ってる」
「そうだ。棒がなきゃ、仕組みは、名古屋の棒に、潰される。兄ちゃんは、それを、わかってない」
「わかってます」要は言った。「わかってて、棒を持ちません」
「なぜだ」
「棒を持ったら、市が、御殿になるからです。御殿は、棒を持つ人間の長さまでしか、届かない。権田さんは、二百人まで届く。でも、二百人の向こうには、届かない。市は、棒がないから、届く。諏訪に届いた。塩尻の商人に届いた。甲府の会長に届いた。棒を持ったら、届かなくなる」
権田は、長い間、要を見ていた。
「……届いても、潰されたら、同じだ」
「潰されても、残ります。甲府の台帳は、御殿に取られました。でも、二冊が、諏訪と木曽に残ってる。甲府の人間が、いつか、取りに来られる。潰されても、残る形にしてある。棒で守る形より、遅い。でも、残る」
権田は、立ち上がった。
「……一年前と、同じだな、兄ちゃん。遅い」
「遅いです」
「三日、待つ。三日で、答えを出せ。入るか、入らないか。入らなければ」
「入らなければ」
「道を、塞ぐ。塩尻も、諏訪も、下流も。四つの村は、四つの村に戻る。市は、終わる。それでも、お前らの米は、お前らのものだ。俺は、取らん。ただ、四つの村を、つながせない」
権田は、戸口で、振り返った。
「俺は、悪人じゃない。食わせてる。守ってる。お前らも、同じことをしてる。やり方が、違うだけだ。それを、忘れるな」
戸が、閉まった。
要は、権田の手が、机に置かれていた場所を、見ていた。
握手は、しなかった。権田も、求めなかった。
コメント
1件
読了しました。権田が「俺は悪人じゃない」と言い切る場面、すごく重かったです。彼は確かに自分の正義で人を食わせ守っている。でも要の「棒を持ったら届かなくなる」という言葉が、その正義の限界を静かに暴いている。握手しなかったラストが象徴的で、お互いの正義は交わらなかった。でも、甲府の会長が情報を漏らした時点で、権田の組織も一枚岩じゃないのかな……続きが気になります。