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廊下をふさぐ勢いで広がっている、芳子のドレスの裾を皆で持ち上げ、どうにかこうにか、月子達は撮影が行われる客間にたどり着いた。


先頭の吉田がドアをノックして、芳子と月子、お咲の到着を伝えた。


が、返事の代わりに、バイオリンの音が流れてくる。


岩崎が演奏会を再現しているのかと月子は思ったが、隣のお咲が、おもむろに顔をしかめきった。


つまり、気に入らない音、ということなのだろうが、月子も、なんとなく、岩崎が奏でる物とは異なるような気がした。


「あら!まあっ!」


芳子だけは、少し驚き、呆れながら笑っている。


ドアの向こう側から、ぎこちなくも、軽快な音は流れて続けていた。


それが何を意味するのか月子には分からなかったが、芳子は、少し胸を張り、姿勢を正すと吉田へドアを開けるように言いつける。


ドレスの裾を持っていた女中達も慌てて下がった。


部屋へ入るのだと見当は付いたが、芳子の、バイオリンの音色に合わすような態度に月子は違和感を覚える。


「さあ、月子さん。出番よ」


芳子の言葉を合図に、吉田がドアを開けた。


両開きのドアでよかったと、芳子は呟き、颯爽と客間へ足を踏み入れる。


その動きと共に、わっさわっさと衣擦れの音がした。


部屋は、月子が初めて通され焼き菓子とお茶を頂いた部屋だった。


マントルピースと、庭に面したテラスに見覚えがある。


そんなことをふと、考えながら月子は、芳子の後に続いたのだが……。


「義姉上!月子は!月子はどうしました?!まだ支度中なのですか?!」


岩崎の月子の姿を探す大声が飛んで来る。


「あら、月子さんならいるじゃない?」


「いるじゃないって!義姉上!いないでしょ!!月子一人では、屋敷の中で迷ってしまう!」


「あらまあまあ、京介さんったらずいぶんと過保護だこと!」


「うん、芳子、月子さんは一緒じゃないのか?張り切って、入場用に結婚行進曲を演奏してみたのだがなぁ」


男爵が、寂しそうに言いつつ、構えていたバイオリンを下ろした。


「だ、男爵様が、バイオリンを!」


流れていたのは、岩崎の演奏ではなく男爵のものだったと分かった月子は、思わず叫んでしまった。


「ん?!月子?!」


「おや?月子さんの声がする」


声はするのに姿が見えないと、男爵と岩崎は兄弟で顔を見合わせている。


「月子さんならいるじゃないですか?!」


訳がわからないと、芳子は、なお苛立つ。


「いや、確かに姿が見えないと。こりゃー、どこかに隠し部屋があるのですか?さすが、男爵家だ!」


カメラマンを引き連れ、撮影をやる気満々の野口が口を挟んで来た。


「隠し部屋なんか有るわけないでしゃうが!まったく、読者に夢を売るだなんだと、世迷い言を述べてくださるだけはあるよなぁ。雑誌記者というものは」


側で沼田が手帳を手にし取材体裁を取りつつ、野口に負けてはならんと悪態をつくが、すぐに、


「夫人のその裾の広がりで見えないだけでしょう?」


皆を見ながら、気がつかないのかと飽きれ返った。


「ええ?!」


「なんとっ?!」


岩崎と男爵が、すっとんきょうな驚きの声を発する。


「まあ!私のドレスのせい?!」


芳子も呆然としている。


どうやら沼田が言うように、ドレスが余りにも広がりすぎて、芳子の背後にいる月子、お咲の姿を隠しているらしい。


騒然とする客間に吉田の執事らしい凛とした声が響き渡る。


「それでは、新婦のご入場でございます!」


一種、宣言のような声に、男爵が、慌ててバイオリンを構え、再び音を奏で始めた。


芳子に促され、月子は恐る恐る前へ踏み出した。


広がるドレスの後ろから現れた、ヴェールを合わせた着物姿という、和洋折衷のモダンな月子の姿に、岩崎は大きく目を見開き、有無を言わさず近寄って行く。


そして、静かに手を差し出した。


「さあ……月子……」


岩崎に誘われ、月子は緊張した。いよいよ仮祝言が始まるのだ。


流れるバイオリンの音が、高らかに鳴り響いている。


岩崎に比べれば、ぎこちないものではあるが、それでも素人とは思えない演奏だった。


マントルピースの前には、布張りの小さめの長椅子と小振りのテーブルがある。撮影用に準備されたのだろう。


テーブルには、グラスが二個あった。


固めの盃──。月子は、ふと思う。


グラスというのが、不思議だったが、多分、そうゆうことなのだろう。


一気に緊張感に襲われた月子だった。それでも、目の前に差し出されている岩崎の手に、自らの手を添えたが、小刻みに震えているのが自分でも分かった。


そもそも、豪華すぎるというべきか、モダンな装いが月子に似合っているのか、滑稽に写ってないのか、不安でもあるが、これからの儀式に一番困惑していて、先程から震えが止まらなかったのだ。


そんな月子の様子に気がついたのか、演奏会で見た、細身の洋装、タキシードとやらに身を包む岩崎は、月子の手を握りそっと寄り添ってくれる。


「あ、あ、あの、京介さん……私……おかしくないですか?」


月子は思わず問うていた。


一番見て欲しい人に変だと思われたくなかった。つい、気が急いて、岩崎に尋ねてしまった。うっかり、明け透けな物言いをしてしまったと、月子は俯く。


そして、岩崎は……。


ぷい、とそっぽを向いた。心なしか目が泳いでいる。


照れ隠しする仕草を取られ、月子は、内心ほっとした。同時にうれしくなった。岩崎に自分の姿を気に入ってもらえたのだと確信したからか、震えはおさまる。だが、今度は、恥ずかしさに襲われ、月子は頬を染めた。


場に、なんとも初々しい空気が流れる。


そんな中、吉田が手に小瓶を持って歩みでて来た。


「それでは、そろそろ仮祝言を……。折角ですので、果実酒《シャンパン》を御用意いたしました」


その一声に、男爵は演奏の手を止め、芳子は目を輝かせ、記者二人組は、ほぉー、と驚いている。


次の瞬間、部屋にポン!と勢い良く軽快な音が響き渡った。


小瓶の口をふさいでいた栓が抜け、シュワシュワと音を立てながら泡が流れ出ている。


その様子を、記者二人組は慌てて手帳に書き留める。


月子はとにかく驚いたが、更に驚いているのがお咲で、尻餅をついていた。


「おや、介添え役にどうかとおもいましたが、腰を抜かしているようで……では、京介様、月子様。互いのグラスへシャンパンを注ぎ合うというのはいかがでしょう?」


吉田が、実に手際よく進めてくれる。


岩崎は、依存なしとばかりに頷き、月子も、それを見て、慌てて頷いた。


岩崎の手に小瓶が渡り、テーブルに置かれてあるグラスへシャンパンを注いだ。


「月子……」


言われ、月子は注意深く小瓶を受けとると、空いてあるグラスへ注ぐ。


岩崎は、月子から小瓶をうけ取りテーブルに置くと、変わり、グラスを差し出した。


「……月子、本来は交互に口をつけるのだが、シャンパンだからね、それに、仮祝言だ。少し形は違うが、私の気持ちは、いたって真剣だ。これからも、私に……」


そこまで言って岩崎は、はっとする。


記者二人組が、様子を必死に手帳に書き留めているからだ。


「……邪魔者がいる。これは仮だからな。本当の祝言で、月子へちゃんと私の気持ちを伝えるよ」


言うと、岩崎は月子へグラスを渡し、自らも手にすると、


「二人の将来のために乾杯!」


少し頬を染めながら、ひときわ大きな声を張り上げた。


すかさず、男爵が嬉しそうにバイオリンを演奏し、芳子は、パチパチと大きく拍手する。


座り込んでいたお咲も、慌てて立ち上がり、芳子を真似て拍手する。


記者二人組が、あっさりしすぎだなんだと、文句を言っているが、誰も耳を貸さない。


岩崎は、グラスに口をつけていた。それを見た月子は、自分も口をつけねばと思うが、グラスの中でシュワシュワと音を立てて弾けている琥珀色の気泡が珍しく、そしてどこか愛らしく、見つめてしまっていた。


グラスの中で生まれ続ける小さな気泡は、岩崎との未来を祝福してくれているようで、月子の胸は自然、熱くなっていた。

麗しの君に。大正イノセント・ストーリー

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