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「俺の言葉が、呪いか……なら、良いんじゃね? お前の中に刻み込まれてるんなら、お前の記憶に深く残ってんなら。お前が俺事忘れねえってことだろ」
「えっと、それはどういう意味?」
「そのままの意味だよ。お前が悪いように考えてんなら、俺は良いように考える」
「何か酷いね」
と、神津は俺の言葉に対し、そんなコメントを返した。
俺の記憶は曖昧だが、物心つく頃には神津はピアノを習い始めていたし、今日はここまでで来たーって、俺に聞いてとお願いしてくるほどだった。俺はそれを毎回聞かされて、一日1ページか2ページか、それとも1フレーズが、3フレーズかは分からないが毎日のように聞かされた。
でも飽きなかったのは、だんだん完成していく神津の音を聞いているのが楽しかったから。最後まで聞けたらどんな気持ちになるんだろう、どんな曲になるんだろう。そうわくわくしながら俺は神津の音を待っていた。きっと、最初から最後まで聞けるのは俺だけだって、そう思っていた。
そしてその日、神津は俺に聞かせてくれた。最高の一曲を。
今でも、あの日のことは鮮明に思い出せる。曲名は覚えていないが、よく耳にする曲だった気がする。
ピアノから流れてくる音は、とても綺麗でのびのびとしていて、自由だった。
「俺が、お前を苦しめていたのか?」
俺がそう聞けば、神津は少し黙ったあと、首を横に優しく振った。
俺の言葉を全否定するわけじゃないと、その様子から俺は察した。
「ううん、ただね……海外に引っ越して、ますます注目されるようになって僕の音が春ちゃん以外の人に聞かれるってなった時、何だかそれは違うなって思って」
と、神津は口にすると、窓の外を眺めた。今日は満月で月明かりが青ぐらい部屋に差し込んできている。
「春ちゃんが僕の音を好きって言ってくれた。だから、僕は音楽をピアノを続けた。僕の音は春ちゃんのために捧げる、春ちゃんだけのものだって、ずっとずっと思っていたから」
神津はそこで言葉を区切ると、俺の方へと視線を向けた。
俺はそんな神津に、なんて返せばいいか分からなくて、でも何か言わなきゃいけないと思って口を開いた。
しかし、俺の言葉が出る前に神津はふわりとした笑顔で言った。
まるで、諦めたような表情をして。
「春ちゃん、ごめんね」
神津はそれだけ言うと、立ち上がった。
何に対しての謝罪なのか、俺には理解が出来ず神津の腕を掴む。神津は「寝に戻ろう?」と言うが、俺は首を横に振る。
「何が、ごめんねなんだよ。自分だけ、隠しやがって。俺はお前に勝手に調べられたんだが?」
「それは、悪かったって思ってるよ。でも、もう済んだ事じゃん。そんなネチネチ引きずらないでよ」
「ネチネチだと?」
神津の言葉にカチンときた。
あっちが怒っているのも、苛立っているのも分かっていたが、どうしてもその言葉が許せなかった。いいや、神津の態度が、俺の過去だけ知って、自分は何も教えなくて。どうして、あの十年の音は空っぽだったのかとか、何を思って十年過ごしてきたのとか俺は神津の事が知りたかった。自分でもここまで感情的になっているのが不思議だったし、そんな相手の全てを知っていないと気が済まない束縛男になるつもりはないが、それでも、聞かなきゃ気が済まなかった。
「お前、たまに鬱陶しいんだよ。そうやって、いつもいつも隠しやがって。引っ越しのことだって当日にしか言わなかったし、十年間連絡もよこさずに……ッ!」
「はあ!? それは、春ちゃんだって一緒じゃん」
「途中から着信拒否にしやがったくせに!」
神津のいつもの顔が剥がれ、子供のように俺に対して怒りをぶつけた。久しぶりに聞いた大きな怒鳴り声に、俺は少しだけ身を引く。
小学生の頃に一度大きな喧嘩をして以来、神津が怒ったところを見たことが無かったからだ。いつも温厚で、優しく笑っているような奴だったから、その珍しい怖い顔に、俺は一瞬からだが固まった。だが、ここで押し切られれば、また逃げられると俺はギュッと神津の腕を掴む。
「言っただろうが、歩み寄るって! 空白の十年を埋めようって、言っただろうが! 十年間、俺はお前の事ずっと待ってた、お前の事ずっと好きだった! 会いたくて、会いたくて仕方なくて、お前の事ばかり考えてた。お前は違うのかよ!」
神津は俺のその叫びを聞いてハッと顔色を変える。
俺は、まくし立てるように神津に詰め寄り叫んだせいで息が上がってしまっていた。
でも、それが本音だった。
俺は俺の憑き物を落として、罪悪感を背負いながらも神津となら生きていけると2年前のことを話した。だからこそ、こうやって神津と向き合っていこうと踏み込めたのだ。
それに、神津が答えてくれるのか……その不安は払いきれないが。
「春、ちゃん」
「……んだよ」
「僕も、好きだったよ。ずっと会いたいと思っていた……指を切り落としても良いって思えるぐらいに」
そう言って笑った神津の顔は本気で、俺の背筋には冷たいものがゾッと走り抜けた。