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44 - 3-case08 神津恭という男

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2025年02月09日

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十二年前――――



「楓さん、ご無沙汰してます」

『あら、蓮華さん。お久しぶりです。連絡がなかったので、心配していました』



明智の母親、|明智楓《あけちかえで》と神津の母親、|神津蓮華《かみづれんげ》は、明智と神津本人達とは違い頻繁に連絡を取り合う仲だった。

彼女たちもまた、青春時代を共にした幼馴染み同士であり、中学までは同じ学校に通い、高校にあがるころには蓮華は海外留学をしそのヴァイオリンの腕を上げていった。そうして、プロのヴァイオリニストになり各地を転々とし、海外に仕事できていた現夫と出会い、日本に帰ってき、神津を出産。楓は家業の花屋を継ぎ、警察官で今は亡き夫と結婚し明智を出産した。

その時期がちょうど重なったこともあり、少しの間だったが、日本に留まることを決めた蓮華とその夫は、今の明智と神津を巡り合わせたとも言える。

明智と神津は幼馴染み同士で、親も仲がよかったため毎日のように遊び、学校に通ったが、神津の夫の仕事の都合と蓮華が現役復帰することとなり、海外へと引っ越した。


それから、数ヶ月連絡が取れずにいたが、蓮華の方から楓に連絡を入れてきたのだった。



「すみません、バタバタしていまして……それで、春くんは元気ですか?」



と、蓮華は何処か後ろめたいことでもあるようにコソッと楓に言う。

蓮華の後ろでは絶えずピアノの音が流れており、それは激しく空っぽだった。



『はい、春は元気ですよ? 恭君の方は?』

「それが……」



蓮華はちらりと後ろを見る。奥の部屋では神津がひたすらにピアノを弾いており、その音色はまるで何かに取り付かれたかのように激しいものだった。

それを、楓も感じ取ったのか電話越しで息を飲む音が聞こえてくる。


神津は音楽に夢中になっていた。


ピアニストの神童と謳われる彼は、天才と呼ばれるにふさわしい才能を持ち、そして、周りからの期待も高く、寝る間も惜しんでピアノを弾き続けていた。

だがそれは、期待に応えるため、と言うよりかは気を紛らわせるためだと蓮華は思う。



『もしかして、ピアノを弾いているのは恭君?』

「え、ええ……そう」

『凄く上手いわね。前に弾きに来てくれたときよりも上手くなっているわ。よければ、また春に聞かせて欲しいぐらい』



電話の向こうで楓は興奮したように言う。

蓮華は、なんとも言えない気持ちで「そうですね」と返すと、電話を掛けたまま神津の方へ歩いて行く。神津は、母親の蓮華が近付いてきたことにも気づかないぐらい集中しており、蓮華は椅子を持ってくると神津の後ろで腰を下ろした。



『そうだわ。よければ、春に変わりましょうか? 春も恭君と話したくて仕方ないみたいなので』

「そうね、それも良いかもしれないわ」



と、蓮華は一旦電話から耳を離すと、「恭くん」と神津を呼ぶ。すると、ピタリと手を止める神津。しかし、振返ることは決してなかった。



「春くんとお話しするかって。電話がかかってきたの。どう?電話変わって……」

「いい」



神津はそう返し、再び鍵盤に指を置き、演奏を再開する。

その返答を聞いて、蓮華は困ったように眉を下げた。



『蓮華さん、蓮華?』

「あーはいはい、ごめんなさい。楓」



昔の砕けた口調で名前を呼ばれ、蓮華も咄嗟にかつてのように楓と呼び捨てにする。子供の前、威厳ある母であろうと敬語を使っていたが、不意に昔のような口調に戻ってしまう。

電話の向こうで自分の名前を心配そうに呼ぶ親友に、申し訳なさそうに蓮華は口を開いた。



「ごめんなさい。今、恭くん話したくないみたいで……」

『そう……もしかして、何かあった?』



と、察しの良い楓の言葉に蓮華は席を立ちリビングへ戻りながら話をする。



「ええ、春くんと離ればなれになってからずっとピアノを弾いていて。まるで、会えない悲しさをピアノにぶつけているようで、見ていて凄く辛いの。何とかしてあげたいけど、日本に戻ることは出来ないし」

『春も似たような感じよ。でも、恭君の方が深刻そうね』

「ええ」



蓮華は、いつの間にか皺の寄っていた眉間を伸すように手を当てながら、どうすれば良いのかと楓に問うた。

楓も、どうしようもない現実に頭を悩ませているようで、その悩み漏れた声が電話越しに聞えてきた。



「まあ、様子を見るわ。ありがとう、楓」

『ううん、こちらこそ。また連絡するわね、蓮華』



そう言って切れる電話。

蓮華は、ふぅと息を吐くと、スマホを置いて神津の元へと戻る。神津は未だピアノを弾き続けていた。



「恭くん、ちょっとお母さんとお話しない?」



蓮華は、優しく神津に語りかけるが、神津は無言のままピアノを弾く。

そんな神津を見て、蓮華は再び溜息をつく。

それから、暫く神津の演奏を聴いていたが、やはり神津は振り向かない。蓮華は、諦めたように立ち上がり、神津に背を向けるとキッチンへと向かおうとする。すると何故か、神津のピアノがピタリとやんだ。



「お母さん。僕、指切り落としたらもう、ピアノ弾かなくて良いかな?」



そう12歳の神津は初めてその言葉を口にし、空っぽな若竹色の瞳を蓮華に向けた。



「恭くん、どうしてそう思ったの?」



息子の発言に驚きと恐怖を感じつつも、それを悟られまいと蓮華は質問を質問で返した。

神津は少し考えるような素振りを見せたあと、か細く笑うとまたピアノと向き合う。



「何でもないよ。お母さん、忘れて」

「恭くん……」



ピアノを弾き始める息子を見ながら、蓮華はただ名前を呼ぶことしか出来なかった。

12歳の息子に対して、何を言えば良いのか分からない。自分が、もっとしっかりした母親であれば、こんなことにはならなかったのだろうか。


理由は分かっている。でも、それはどうしようも出来ない。


自分も現役復帰し、夫の仕事も多忙期に入った。そのため日本に帰省することも、あちらに戻って親戚に預ける手続きもそう簡単にはできない状況だった。

だから、神津には申し訳ないがこのままでいてもらおうと思っている。楓の話に寄れば、明智は落ち込みつつも受け入れていく姿勢を取っているらしく、毎日しっかり学校に行っているようだった。中学校という新たな環境にも馴染んで、新たに友達を作ろうと頑張っているとか。警察官の父親を見習って、将来は警察官になるんだって勉強にも励んでいるのだとか。


だが、神津は違う。


神津にとって、明智の存在は何よりも大きかった。


神津は以前蓮華に「自分の音は春ちゃんのものなんだ」と話たことがあり、蓮華もその時と比べて今の音が空っぽなことに薄々気がついていた。誰も思っていない、ただ期待を背負って感情をぶつけているだけの作業のような音に。

その後、神津は指を切り落とす何てことは二度と口にはしなかったが、日に日に神津の音楽は人を魅了するものに変わっていき、神津自身はすり減りさらに空っぽになっていった。綺麗なだけのビスクドール。



その数年後、事件は起った。



「恭くん何してるの――――!?」



キッチンで包丁を構え自分の腕に振りおろさんとする神津を、蓮華は発見した。間一髪のところで止め、包丁は流しへと落ちる。



「お母、さん……」

「何で、何でそんな馬鹿な事を……何で、そこまで」



蓮華はその場で泣き崩れた。

神津は、母親に握られた手を見ながら唖然としていた。自分が母親を傷つけた自覚はあったが、それを上回る虚しさが彼の中を支配していた。



「ピアノが辛いなら辞めてしまえば良いのよ。だから、そんな馬鹿なまねしないで」

「……それができたら、僕はここまで追い詰められていないよ」

「何で辞めないの。分かってるでしょ?貴方の音楽は空っぽなの」

「そでも、僕の音を楽しみにしてくれている人がいる」



と、神津は蓮華には理解できない言葉を発した。


この子は自分とは違うのだと、蓮華は理解する。自分がヴァイオリンの音を愛しているのとはまた違うように音楽にとりつかれた子なのと。

人には抱えきれないものがある。それは孤独と、飢餓、そして矛盾。

神津は矛盾を抱えている。弊害して孤独も抱えている。そんな彼に蓮華はどう声をかけてあげるべきか分からなかった。



「お母さん、僕どうしたら良い? 分からないんだ。僕は、春ちゃんに会えない悲しみを紛らわすためにピアノを利用した、音にぶつけた。春ちゃんが大好きだっていった音を、自分を慰めるために使った。それを皆が凄いと絶賛する。だんだん、だんだんそれが激しくなって、皆が僕に期待をする。僕の音が欲しいって強請る。ねえ、僕はどうすればいい?僕の音は何処に行ったの?春ちゃんにあげる分の音は残ってる?」



神津は、自分では気づいていないのだろうがぽろぽろとその目から涙を流していた。

蓮華は、このままではいけないと立ち上がり神津をギュッと抱きしめる。自分の背などすぐにこしてしまいそうな息子を抱きしめる。

ぷらん……と、神津の手は力なく下ろされた。



「恭くん。恭くんの願いは何?」

「……たい、春ちゃんに会うこと。春ちゃんに会いたい」

「そう。春くんに会いたいことなんだよね」

「でも、僕は帰れない。皆が僕の音を諦めてくれない限り、僕は音楽を捨てれない」



と、神津は行き場のない拳をギュッと握る。


蓮華は、大丈夫だから。と彼の頭を撫でた。



「捨てる必要はない。それに、その時がきたら自然と捨てれるようになるわ。だから、指を切り落とすなんてまねしないで。そんなことしても良いことないわ」

「……音を捨てるには、こうする方法しか思いつかなかった」



ああ、何て可愛そうな子だと、蓮華は強く強く神津を抱きしめる。

本当は、大好きな幼馴染みと一緒に過ごしたかっただろうに、親の都合で引き離して。送るはずだった青春を日本に諦め捨てさせてきてしまったのだと。



「恭くんのその手はね、何も音楽を奏でるためだけにあるわけじゃないの。指を切り落としちゃったら、春くんを満足に抱きしめられないでしょ?」



そういうと、神津はゆっくりと顔を上げる。

そうして、何かに気がついたように若竹色の瞳の瞳に涙を一杯に浮べて蓮華を見た。蓮華には、そう言うしかなかった。神津を止めるためには。



「春ちゃんを……」

「そう。恭くんの手は、春くんをだきしめられる唯一の手なんだから。だから大事にしなきゃダメ。出来るでしょ?」

「……うん、うん。そうだね、お母さん」

「だから頑張って。恭くんが音を自然と捨てられるようになるまで、その手で春くんを抱きしめられるようになるまで」



蓮華と神津はそこで約束を交した。互いに五本満足ある指で、小指を絡めて指切りをする。


それから数年後、神津は明智が警察官になりとある事件の後辞職したことを知ると、何も言わずに日本へ帰国した。そこでようやく神津は顔も知らない誰かの為に捧げる音を捨て、愛しの人の元へと帰ったのだ。

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