コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
第1話:歌えないハネラ
都市は、朝の歌で目を覚ます。
高く、澄んだ旋律が、枝と葉のあいだから響き、空に向かって風を導く。
それに呼応するように、巨大な樹機械がゆっくりと脈動をはじめ、
光を蓄えた葉脈が淡く点滅した。
そのなかに、ただ一羽、歌わないハネラがいた。
彼女の名はシエナ。
羽はミントグリーンの中でも特に淡く、尾羽の先は透けていて、光を受けると虹色に揺れる。
しかしその美しい羽根とは裏腹に、彼女の喉は命令歌を組めない。
音は出る。ただ、それは“命令”として意味を持たない。
シエナの仕事は、都市外縁の光整流区での巡回だ。
彼女は光を反射し、樹機械のセンサーと通信することで、施設のエネルギー配分を管理している。
歌うことができない彼女が社会に存在できるのは、
**光使(ひかりつかい)**という数少ない“非歌職”が認められているからにすぎない。
「……反応良好」
羽を軽く広げ、翼をひねって反射角を調整すると、足元の樹機械から“草の匂い”が立ち上がった。
それは「機能正常」という返答。
言葉ではない。けれど、確かに通じている。
ハネラたちの社会は、命令の精度=信用とされる。
歌が正確であればあるほど、より多くの都市機能を動かせる。
そのため、学校教育は命令歌の基礎から始まり、子どもたちは“初鳴きの式”で社会へ入る。
街には**詠唱士(えいしょうし)**と呼ばれる者たちがいて、複雑な歌で都市全体の設計や運用を担っている。
だが同時に、ハネラたちは「命令しない関係」を尊ぶ文化も持っていた。
一緒に過ごす。
反射光で羽を照らし合う。
棲歌を使わず、隣の枝で眠る。
命令ではなく、共鳴でつながる関係。
シエナは、それだけが、今の自分にできる生き方だと信じていた。
「おーい、シエナーっ!」
遠くから、明るい声が響く。
翼に柔らかな金色の羽を持つハネラ――ルフォだった。
彼は操作士見習いで、命令歌の精度は群を抜いている。
が、誰に対しても距離が近く、歌えないシエナとも気さくに接する、数少ない存在だった。
「今日、コードが一部更新されるって。中心樹、軽く再起動するらしいよ。見にいかない?」
シエナは返事のかわりに、羽を2回小さく広げて光を反射させた。
それはハネラたちのあいだで「行く」の合図。
言葉がなくても、通じている。
そう信じて、彼女は今日も、声のない羽で、世界と向き合っていた。