テラーノベル
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いつものバー。
今夜はボックス席に向かい合って座り、俺は無言で、数枚のプリントをシズちゃんの前に滑らせた。
それは、組の伝手で無理やり用意させた、都心の一等地に建つ高級マンションの間取り図だった。
シズカ「……天利さん。
これ、何かしら」
天利「……君の家だよ。
名義はシズちゃんにする。
……どうかな、何か他に欲しい設備とか、条件とかあるか?」
俺はタバコを指に挟んだまま、少しだけ落ち着かない様子で彼女の反応を待った
提示された図面には、広大なリビング、三畳を超えるウォークインクローゼット、そして本格的な水屋を備えた独立した和室が描かれている
図面を一通り眺めた彼女の顔が、次第に険しくなっていく。
シズカ「……お部屋が多すぎますわ。
それに広すぎる……。
……天利さん、このウォークインクローゼットって何?
私、お店を開くつもりはないんですけれど」
天利「……いや、女の子は服や小物が多いだろうし……ほら、君が言っていた、あの……『ブリキのアンティーク』とか、『ビクトリアの腰掛』とかいう家具も、これくらい広くなきゃ置けないだろう?」
俺が真剣な顔で絞り出した言葉に、彼女は一瞬きょとんとして、それから堪えきれないと言わんばかりに吹き出した。
シズカ「……ふふ、あはは!
天利さん、それは『ブリティッシュアンティーク』と『ヴィクトリアン様式』のことかしら?
『ブリキ』だなんて、まるでおもちゃの兵隊さんでも並べるみたい……!」
天利「……あ、ああ、 そんな名前だったか。
……おじさんには呪文にしか聞こえなかったから」
俺は、なまっ白い顔を少しだけ赤らめ、気まずそうに目を逸らした。
彼女は笑いすぎて滲んだ涙を指先で拭い、優しく首を振った。
シズカ「……嬉しいわ。
私のたわ言を、そんなに一生懸命覚えていてくださったなんて。
でも、あれはあくまで私の『理想』をお話ししただけ。
半分は冗談ですのよ。
そんな贅沢な『檻』に閉じ込めてほしいなんて、思っていませんわ」
彼女はペンを手に取ると、図面の余白にさらさらと条件を書き込み始めた。
シズカ「私の条件はこれだけですわ。
バストイレ別であること、 ユニットバスは絶対に嫌。
……それから、寝室は独立させて、そこには布団かベッド以外は何も置かないこと」
天利「……何も置かない?」
シズカ「ええ。地震が起きた時に、家具の下敷きにならないために……。
実家では何度か危ない目にあったことがあるし
何かのテレビ番組で寝室にベッドか布団のみを置いてパニックルームにするといいって聞いたことがあって、いつかお部屋がいくつかある広いお家にお引越ししたら……って思っていたの。
……それ以外は最低限でいいわ。
私には、私のための自室が1つあるだけで十分なんですもの」
シズカは天利の目を見つめ、少しだけトーンを落とした。
シズカ「……それと、寝室は一緒にしましょう?
ベッドを分ければ、天利さんの寝相も気にならないわ。
夜、隣にあなたがいないのは嫌」
その提案に、俺は目に見えて動揺した。
喉の奥が熱くなり、思わず咥えていたタバコを灰皿へ押し付けた。
だが、そこだけは首を縦に振らなかった。
天利「……いや、そこだけは譲れない。
……俺の部屋は、シズちゃんの部屋と絶対に分ける」
シズカ「どうして?
私を避けているの?」
天利「違うよ。
……俺は、寝相が悪いだけじゃない。
いつ仕事の電話がかがかかってくるか分からないし、
君の寝顔の隣で、血の匂いがするような仕事はしたくない。
それらを君の目や耳に触れさせるわけにはいかないんだ」
俺は、自分の手をギュッと握りしめた。
天利「君には、綺麗なままでいてほしい。
……俺の闇を飲み込むと言ってくれたのは嬉しいが、俺がそれを君の寝室にまで持ち込むのは、俺のプライドが許さない」
俺は、話題を逸らすようにウォークインクローゼットの図面を指差した。
天利「……クローゼットの広さも、このままにしておくよ。
君は今、服も靴も持っていないと言うけれど……多分、増えるから」
シズカ「え?」
天利「君に似合いそうなものを、俺が見つけるたびにね。
……だから、それくらい広くなきゃ困るんだ」
さらりと「今後プレゼントするつもりだ」と告げると、彼女は言葉を失った。
シズカ「(……天利さんの頭の中にある「女性像」
それはきっと、彼が今まで接してきた……夜の街の華やかな女性たちのイメージなのね。
私という「素材」を、彼の好みの色に染め上げたいのかしら。
……ふふ、いいわ、乗ってあげましょう)」
彼女は、わざと意地悪く微笑んで見せた。
シズカ「……困った人。
そんなに増やされたら、私の自室がクローゼットに飲み込まれてしまうわ。
……でも、いいわ。その代わり、あなたが選んだもの以外は、1着も入れないことにする」
天利「……はは、手厳しいね。
でも、君が自分で選んだものも入れてやってくれよ。
クローゼットだけじゃない、俺の部屋以外ならどこをどう変えても君の自由だ。
……俺という男を、君の好きな色で塗りつぶして構わない。
今度、実際に物件を見に行こう。
その方が、よりイメージしやすいだろうから」
2人の新しい「城」の設計図は、不器用な歩み寄りと譲れない境界線によって、歪な形を成し始めた。