テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
7話目もよろしくお願いします!
スタートヽ(*^ω^*)ノ
レトルトは、不思議な夢を見ていた。
見渡す限りに広がるのは、淡い紫の花畑。
優しい風に揺れる、スターチスの花畑。
その花畑の中心に、長身の男がひとり立っていた。
こちらに背を向け、静かに風を受けている。
懐かしさと切なさが入り混じった感情が、理由もなく溢れてくる。
ゆっくりと振り返った男の顔は 光を受けて輪郭が滲み、それでもその笑顔だけははっきりと見えた。
『レトさん、おいで』
両腕を広げて、優しく、当たり前のようにそう言う。
まるで――ずっと昔から、そうしてきたかのように。
その声を聞いた瞬間、
胸の奥に眠っていた何かが、確かに目を覚ました。
思い出せなかった愛の記憶。
失くしたはずの愛おしい温もり。
レトルトは、花を踏みしめながら一歩踏み出す。
レトルトは、男の腕の中へ向かって駆け出していた。
花をかき分け、風を切って。
胸の奥が熱くて、息が詰まりそうで、それでも足は止まらなかった。
――愛する人。
――忘れていた、最愛の人。
「キヨくん!」
その名前を叫んだ瞬間、世界が白く弾けた。
はっと、目を開けると 天井が見えた。
見慣れないホテルの白い天井。
カーテンの隙間から、朝の光が静かに差し込んでいる。
夢だった――そう思うのに、胸の鼓動だけが異様に速い。
喉の奥がひりついて、瞳がじんわりと熱を帯びる。
(…..キヨくん。)
声に出さなくても、名前が胸に落ちてきた。
まるでずっとそこにあったみたいに、自然に。
夢の中で感じた温もり。
心地よく胸に響く確かな声音。
スターチスの花畑と、あの笑顔。
忘れていたはずの愛が、
思い出せないはずの記憶が、
ゆっくりと心の奥で息をし始めていた。
レトルトは、そっと自分の胸元に手を置く。
――どうして、忘れていたのだろう。
答えは出ない。
けれど、ひとつだけはっきりしている。
昨夜出会った男と、
夢の中で腕を広げていた人は、
きっと、同じ存在なのだと。
そしてその名前は、
ずっと忘れていたはずなのに、
どうしようもなく愛おしい名前だった。
「……キヨくん」
レトルトはゆっくりと上体を起こし、部屋を見渡した。
昨夜、確かにそこにいたはずの男の姿はどこにもない。
隣のベッドはすでに冷えていて、シーツに残る体温も、ぬくもりも、夢だったかのように薄れていた。
――いない。
胸の奥が、きゅっと音を立てて縮む。
そのとき、ふと視界の端に淡い色が映った。
枕元。
白いシーツの上に、そっと置かれた花束がひとつ。
薄紫の、小さな花たちが穂のように寄り添い、静かに咲いている。
派手さはないのに、なぜか目を離せない――レトルトが昔から、理由も分からず心を奪われてきた花。
震える指で花束に触れると、かすかに紙の音がして、小さなカードが落ちる。
そこに書かれた文字は、見覚えのある、どこか懐かしい筆跡だった。
――誕生日おめでとう。
それだけ。
名前も、説明も、何もない。
なのに、胸の奥に一気に熱が込み上げた。
忘れていたはずの感情が、
思い出せないはずの時間が、
スターチスの香りと一緒に、静かに蘇っていく。
花束を抱えたまま、レトルトは息を呑んだ。
次の瞬間――
脳裏に、ばらばらだったはずの記憶が、一気に流れ込んでくる。
走馬灯のように、
否応なく、容赦なく。
血。
血、血、血。
赤。
赤、赤、赤。
世界が、音を失いながら赤に染まっていく。
――思い出した。
最愛の人と、歩いていた。
はしゃぐ自分を後ろから笑いながら見ている。
他愛もない話をして、夕暮れの街を歩いていた、あの日。
次の瞬間。
耳を裂くようなエンジン音。
振り向いた視界の端で、制御を失った車が迫ってくる。
――逃げなきゃ。
そう思った瞬間、
『レトさん!』
叫び声と同時に、強い衝撃。
キヨが、レトルトを勢いよく突き飛ばした。
地面に転がる視界の中で、
レトルトは見た。
自分の代わりに、
キヨの身体が宙を舞うのを。
信じられないほど、ゆっくりとした時間。
伸ばした手は、空を掴むだけで。
「キヨくん――!」
声は、悲鳴になって、喉で潰れた。
鈍い音。
地面に叩きつけられる身体。
赤く染まっていく、アスファルト。
動かない、キヨ。
世界が、音を失った。
ただ、心臓の鼓動だけが、
壊れそうなほど大きく鳴っていた。
――嘘だ。
――さっきまで、隣にいたのに。
目の前で、キヨが倒れている。
血まみれで、動かずに。
「……キヨ、くん……」
呼びかけても、声が震えて、音にならない。
今すぐ駆け寄りたいのに、身体が言うことをきかない。
足に力が入らない。
指先が、思うように動かない。
突き飛ばされた衝撃で、背後の柱に頭を強く打っていた。
鈍い痛みが遅れて押し寄せ、視界が歪む。
それでも、目だけは離せなかった。
アスファルトに広がる血。
キヨの髪に、服に、赤が滲んでいく。
「お願い……」
レトルトは必死に手を伸ばす。
届かない。
世界が、にじむ。
音が遠のき、時間の感覚が溶けていく。
最後に残ったのは――
鮮明すぎるほどの、赤。
赤、赤、赤。
愛する人の色。
失う瞬間の色。
その色に包まれるようにして、
レトルトの意識は、静かに、深く沈んでいった。
そこで、すべてが途切れた。
【ニュース速報】
今日夕方、○○市の大通りにある交差点で、暴走した乗用車が横断歩道に突っ込み、歩行者2名をはねる事故がありました。
警察によりますと、被害者のうち1名はその場で死亡が確認されました。
もう1名は頭部を強く打つ重傷を負いましたが、救急搬送され、現在は一命を取り留めているということです。
現場は帰宅時間帯で人通りが多く、事故当時は騒然となりました。
警察は、車を運転していた人物の詳しい状況や事故の原因について調べを進めています。
続く