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眠狂四郎
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上野文
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こはる
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祭壇に押し倒されたあの日のように、吐息がかかるほど近くに闇が迫り来る。
「ならば貴様がポーラの呪いも解くがいい。オレは何度でも呪いをかけてやる」
「……! 姉さんをどうするつもりなの?」
「ポーラは最強の聖女の片割れだ、愛してやる。貴様次第だがな」
つまりヨルはポーラを人質に取っている。ランナとポーラを意のままに動かして、人格を殺す毒薬を調合させるために。
それ以前にランナは今、自分の身が危険である事に気付いた。ヨルならば、この場でも事に及んでしまう。
「や、やめてヨル様……こんな場所で……」
「甘い。オレはどこでもやるぞ」
(ドヤ顏で言わないで!)
場所の問題ではないが、まさか馬車の中で押し倒されるとは思わなかった。よく考えたら祭壇でも押し倒すほどの男だ。
ヨルには力でも聖力でも勝てない。非力な自分を悔やむが、どうする事もできない。
吐息が近付き重なろうとした、その瞬間。ランナを拘束しているヨルの手の力が急に緩んだ。その顏は苦痛に歪んでいるように見える。
「ヨル様……?」
「ぐ……この不快感……は……」
ヨルは手を放して起き上がり、胸に手を当てて呼吸を荒くしている。薬師のランナは冷静にヨルの症状と顔色を見るが、車酔いではないと分かる。
何かに気付いたヨルはローブのポケットに手を入れて中を探る。そこから出てきたのは小さなガラスの瓶。中には粉薬が入っている。
「あ、それは、私が調合したヒルくんの風邪薬……」
「ヒルのやつ……め……」
ヒルは、ヨルがランナに手を出す事も想定して事前に薬を飲んでいた。人格が変わると生気も変わるのでヨルの体には合わずに具合が悪くなる。
こんな時にでもヒルに守られているという愛情を感じて、ランナの心は温かく満たされていく。
レッドリアの国境を抜けて約1時間後、馬車はジョルノ国の王城に到着する。
時刻は午後6時過ぎ。日は完全に落ちて夜の暗闇に包まれている。馬車から降りた二人は歩いて城門を通るが、ヨルの足取りは鈍い。
自分の薬のせいで体調が悪いヨルを見るのは、ランナにとっても気分が良くない。ヨルに肩を貸そうとして隣に寄り添った。
ヨルの城の入り口の前にはポーラが立っていて、寄り添う二人の姿を見て駆け寄ってくる。
「ヨル様、お帰りなさいませ。お待ちしていました」
ポーラはヨルの前で立ち止まると笑顔で迎える。隣のランナは眼中にない様子で声もかけない。文字通り、今のポーラにはヨルしか見えていない。
しかしヨルの様子がおかしい事に気付くとポーラの笑顔が消える。
「ヨル様、ご体調が悪いのですか?」
「あぁ、具合が悪い。少しベッドで休む」
ポーラは、ヨルの隣のランナをようやく視界に入れた……いや、睨みつけた。そしてランナの腕を掴むと強引にヨルから引き離した。
強く乱暴に引っ張られたランナは倒れそうなほどに体勢を崩した。目の前に立つポーラは冷酷な瞳でランナを見下ろしている。
「ランナ。ヨル様に近寄らないでって言ったはずよ。具合が悪いヨル様を連れ回すなんて」
「姉さん、ちがう! 私はヒルくんと一緒に和平のためにレッドリア国に……」
「言い訳しないで! そうよ、あんたがヨル様に毒薬を盛ったんじゃないの!?」
ランナはそれを否定できなくて言葉が詰まる。自分が調合した薬が結果的にヨルにとっての『毒』となったのは事実なのだから。
ヨルは殺気立つポーラに近寄ると、その体を抱いて慣れた手つきで口付ける。
「大丈夫だ、ポーラ。行くぞ」
「はい、ヨル様……」
ポーラは恍惚とした表情でヨルに寄り添いながら歩きだす。二人の背中は闇夜に溶け込むように漆黒の城の中へと消えていく。
その場に一人で取り残されたランナの心に迫るのは、悲しみとは違う混沌とした闇。
ここまでポーラの人格を変えてしまったヨルの呪いも恐ろしい。それ以上に、ランナに口付けたその唇で平然とポーラに口付けるヨルが恐ろしい。
呪いを殺し、人格を殺す毒薬を調合する能力が覚醒したランナ。三人のヴァクトは今まで以上にランナの力を欲するに違いない。
ランナが最も恐ろしいと思うのは、癒しではなく『殺し』の力を得てしまった自分自身の能力だった。
コメント
1件
ヒルの風邪薬が、こんな形でランナを守ってくれたんですね。薬師として調合した薬が「毒」にも「守り」にもなる……その二面性にハッとさせられました。ヨルがポーラに口付ける場面、さっきまでランナに迫っていた唇と思うと背筋が寒くなります。呪いも怖いけれど、「♡♡♡」の力を持ってしまった自分自身を恐れるランナの心が切ないです。続きが気になります。