コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
私が2歳の時に両親が離婚した。祖母から聞いた話だけど、母親は水商売をしていたらしい。
離婚の理由は誰も話してくれないけど、なんとなく察しはつく。
すぐに札幌の祖母の家に預けられた。 祖母と曾祖父と曾祖母と私の4人。
ちなみに私は4つ上の兄がいる。
兄は祖父と父と3人で別の家。生まれて直ぐに私たち兄妹は離れ離れになった。
祖母は厳しい人だった。というのも私の両親はかなり甘い人だったらしい。
そのせいで兄はわがままな子に育ったと祖母は言う。「子どもは3歳までに教育しないとわがままに育つ。わたしちゃんは間に合った」と何度も聞かされた。
それが立証されてるのか知らないけど、当時はその教育方針が本当に辛かった。小さながらも感情を必死に抑えていたのか、怒られると思いっきり歯を食いしばる子だった。それが祖母は気に食わなかった。
何をしたか覚えてないけれど、「悪いことした手はこの手かっ!!」って言って線香を手に焼き付けるの。
あとすごい長い物差しでおしりを叩かれたり。
でも祖母には感謝してる。それは後に書くけど。
感謝してるけどね、その教育のせいで自分が思うことを発せなくなったよ。
すごい言い方悪くするけど、急に両親も兄もいなくなって現れたのは老人3人。
そして教育のためにと今までないことをされる。
でも思う人もいるよね。家族いるだけいいじゃん!私は虐待を受けてた。放置教育だった。ネグレクトだった。そんな意見。
わかる、わかるよ。でもねお願いだから自分の方が辛かったっていう辛いマウント取らないで。
そんなのね、上には上がいるんだよ。
幸せの定義が定まってないように、苦しい定義もないんです。