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月曜日。
朝から髙田は調子が悪そう。
目は充血しているし、肌もかさついていて、傍目にも疲れているように見える。
おかしいなあ、昨日の午後本屋で会ったときには普通だったのに。
「おはようございます。課長」
朝から元気よく小熊くんが寄って行った。
先週1週間は髙田の外回りにドクターストップがかかっていたから、今日から本格的に通常運転。勉強中の小熊くんとしては、今日のスケジュールを確認しておきたいんだろう。
「今日の外回りですが、」
「ああ、午前は打ち合わせと会議が入っているから、午後から回ろう」
「じゃあ新規の訪問は午後に回して、午前中に定期のを2社ほど回ってきます」
「そうしてくれ」
「昼前には戻りますので、昼を済ませて午後一の出発でいいですか?」
「ああ」
小熊くんは手早く準備をすると、「行ってきます」と駆け出していった。
うーん、小熊くんもちょっとずつ使えるようになってきたじゃない。
「ああ、鈴木」
高田と小熊くんのやりとりをボーッと見ていた私は、急に呼ばれて驚いた。
「はい」
高田のデスクまで行き、
「何でしょう、課長」
オフィスらしく声を掛けてみた。
「先週、鈴木に回ってもらった分の報告書だが、何件か詳細がわからなくて記載できないものがあった。悪いがお前の方で書いてくれるか?」
「ええーと、はい」
まあね、やっぱりその場にいた本人でなければ細かいニュアンスはわからないものね。
「それと、お前があげた見積もりのうちこれとこれはもう少し交渉できないか、検討してくれ」
「え、今までずっとこの価格でやって来てますが・・・」
何で、今さら?
「三和物産の件があるから、営業としても収益アップの策を練りたい」
「はあぁ」
そう言われれば、元凶の私としては何も言えないじゃない。
***
「それと、」
「まだあるんですか?」
「先週末期限の書類が残っているようだが、今日中に出してくれ」
「はあ?」
声が大きくなり、思わず睨んでしまった。
「何だ、文句か?」
「ええ。先週は課長の代わりにずっと外回りをしていたんです。どこに書類の整理をする時間があったって言うんですか?」
そんなこと、髙田が一番よくわかっていることじゃない。
「それはそれだ。やることはやってくれないと困る。外回りはサブに任せて、事務処理を片付けてくれ」
「はあ?」
冗談でしょう。
何でいきなりそんなことを言うのよ。
もう話は終わったとばかり、パソコンを叩きだした髙田。
私の方は納得なんてできない。
「私、何かしましたか?」
声を小さくして尋ねてみた。
「何かした覚えがあるのか?」
「いいえ」
でも、絶対おかしい。
「いいから、仕事をしろ」
不機嫌そうに言われ、渋々席に戻った。
一体何なのよ。これは嫌がらせ以外の何物でもない。
私、そんなに怒らせるようなことをしたっけ?
うーん、週末まで髙田は普通だった。
土曜日も楽しく過ごしたし、付き合うことはできないけれど好きだって言ってもらってうれしかった。
昨日も、偶然本屋で会って・・・ああ、白川さん?まさか、私のお見合いが気に入らないとか?
んな、バカな。
私に誰か特定の人ができても邪魔はしないって言ってくれたじゃない。
でも、他に思い当たらない。それとも、体調が悪くて八つ当たり?
髙田はそんなことする人じゃないと思うし、当たるなら私よりも小熊くん辺りにきそう。
やっぱりおかしいよ。
ブツブツと独り言を呟きながら、それでも私はデスク仕事を片付けるしかなかった。
***
お昼時。
相変わらず、髙田の機嫌は良くない。
それは私だけにではないらしく、時々書類を持って訪れる営業部員達にまでだめ出しをして書類を突き返している。
らしくない。本当に、髙田らしくない。
本来なら、先週迷惑を掛けたと低姿勢でいてもおかしくないのに。何なのよ、一体。
「一華さん、顔が怖いです」
可憐ちゃんに突っ込まれた。
「ああ、ごめん」
私までイライラしていたら、フロアの空気が悪くなるだけだものね。
気をつけないと。
「でも、課長どうしたんでしょうね?機嫌がすごく悪いし、体調も、顔色も良くないですよね」
「うん。そうね」
こんな髙田は初めて。
「何かあったんでしょうか?」
意味ありげに私を見る可憐ちゃん。
「知らないわよ」
私が教えて欲しいくらい。
「ああ、チーフ」
ちょうど外回りから戻った小熊くんが、駆けよってきた。
「お帰り」
「チーフお昼まだですよね?」
「うん」
「よかったー、間に合った」
息を切らし、肩で息をする小熊くん。
よほど急いで帰ってきたらしい。
「どうしたの?」
「通りの向こうにできた定食屋が半額クーポンを配っていて、今日限定だったんで一緒に行きませんか?」
はあ?お昼のお誘い?
「それなら私じゃなくても、友達とか。そうだ、可憐ちゃんとか、誘う人は他にもいるでしょう?」
何で、私なの。
「だって、萩本とか誘っても、『ご飯は小盛にして』とか、『こんなに食べられない』とか、文句しか言わないんです」
はあ、なるほど。
確かにあの定食屋さんは女の子には量が多いし、ガッツリしていて、かわいくもおしゃれでもないものね。
「喜んでくれるのはチーフくらいです」
うーん、それ褒められた気がしない。
「ねえ行きましょうよ、何なら、おごりますから」
「バカね。それじゃあ半額クーポンの意味がないでしょうが」
「じゃあ、行きましょう。早く行かないと、席がなくなりますよ」
しつこく誘ってくれる小熊くん。
ここまでなつかれると、悪い気はしない。
「わかったわ、行きましょう」
小熊くんの後に続き、私はオフィスを後にした。
***
2ヶ月ほど前にできた定食屋さん。
魚と手作りの和食が人気で、いつもビジネスマンで賑わっている。
「はあー、なんとか座れましたね」
「そうね」
今日は月に1度の半額クーポンの日だそうで、いつにも増して混雑していた。
「何にしますか?」
「あじフライ定食」
「ああ、俺もそれ」
「あじフライ定食を2つお願いします」
お水を持ってきてくれた店員さんに注文をした。
「そういえば、課長と何かあったんですか?」
「何で?」
「だって、あそこまで機嫌の悪い課長ってレアですし、チーフがらみかなって」
「だから、何で私なのよ」
お水を一口口に運び、私は小熊くんの視線を避けるように携帯を手にした。
小熊くんって、本当にいい子なんだけれど、少し空気が読めない。
わざとなのか、鈍感なのか、平気で人の痛いところを突いてくるようなところがあるから。時々困ってしまう。
「お待たせしました」
混んでいる分回転も速いようで、あじフライ定食はすぐに運ばれてきた。
「うわーうまそう」
「本当だね」
衣が立っていて見るからにサクサク。
ウスターソースを掛けて、パクリとかぶりついた。
う、ううーん。幸せ。
「チーフ、その顔やばいです」
ジーっと私を見ている小熊くん。
「え?私、何かした?」
「違います、かわいすぎます」
はあああ?
思わず、箸を落としそうになった。
ゴホッ。ゴホゴホ。
「もー、小熊くんふざけないで。気管に入りそうになったじゃない」
「ふざけてません」
真顔で私を見ている。
だから、それが困るんだよ。
***
「いい加減にしなさい。私はあなたの元上司だし、小熊くんのことを真面目ないい子だと思っているわ。でもね、相手が対応に困るようなことを平気で言ってくるところは、好きになれない。直しなさい」
このままじゃ、きっと小熊くん自身が困るときが来るから。
「それ、課長にも言われます」
悪びれもせず、ご飯を口にしている。
全然反省してないじゃない。
「じゃあ、なおす努力をしなさいよ」
「してますって。課長の前では余計なことは言わないようにして、話をするときも一拍おいてもう一度考えてから口にするようにしています」
「ふーん」
のわりには、『かわいい』なんて台詞を平気で言ってしまうわけだ。
「課長とチーフは違うんですよ」
「何がよ」
つい、口を尖らせてしまった。
「課長は俺のあこがれなんです。最初は仕事ができてかっこいい人だなってくらいにしか思ってませんでしたけれど、一緒の働いていくうちの本当にすごいって実感したんです」
「たとえば?」
なかなか、こうして髙田の評価を聞く事なんてないから興味がわいた。
「まず、仕事に手を抜きません。楽をしようとしません。俺から見るとわざと面倒くさい方を選択しているようにさえ見えます」
「うんうん」
私も時々そう思う。
「人の悪口を言いません。誰にでも平等に接して、自分が見たものしか信じません」
「そうね」
どんなに誤魔化しても、髙田には見抜かれる気がするもの。
「課長の真っ直ぐで、妥協をしない生き方をかっこいいと思います」
そう言った小熊くんの目はキラキラしていた。
すごいなあ、部下からこんなに慕われる髙田って本当にいい男なのね。
***
「でも、チーフは違います」
「はあ?」
なに、私の悪口を言うつもり?
「いつも一生懸命で手を抜かないのは一緒ですが、不器用すぎます。危ないなと思ったらもう転んでるし、自分が困るってわかってるのに、仲間を助けようとしたり。とにかく危なっかしいんです」
「悪かったわね。落ち着きがなくて」
小熊くんにここまで言われる覚えはないんだけれど。
「でも、俺は好きですよ」
「す、す、すす・・・」
「何動揺しているんですか?人としてって意味です」
ク、クソ。小熊の奴。
ゴク、ゴク。
私はテーブルに置いていた水を一気に飲み込んだ。
「課長は俺のあこがれで、目標です。チーフは、」
「もういい」
聞きたくない。
「これ以上言ったら、髙田に言いつけるわよ」
「それは、やめてください。ただでさえ今日は機嫌が悪いのに」
小熊くんが慌てている。
フフフ。
まだ私の方が強いんだから。お姉さんをなめるんじゃない。
その時、
ブブブ。私の携帯が鳴った。
「はい、鈴木です」
『髙田だ』
「どうしたの?」
こんなタイミングで電話なんて珍しい。
『小熊と一緒か?』
「うん」
『すぐに帰ってこい』
「今、お昼を食べてる所なんだけれど、何かあったの?」
『いいから、今すぐに帰ってこい』
プツン。
電話は切れてしまった。
「課長ですか?」
「うん、すごく急ぐみたい。戻ろうか?」
「はい」
かき込むようにお昼を食べ、私と小熊くんは会社に戻った。
***
「戻りました」
オフィスに戻ると、数人の社員しか残っていなかった。
今はお昼時だから、みんなそれぞれ食事に出ているんだろう。
私は自分の席に戻ることなく、髙田の元に近づいた。
「課長?」
声を掛けてみたが、不機嫌そうに顔を上げた視線は私に向かっていない。
「小熊、お前携帯はどうした?」
ん?
「ああ、えっと、すみません。切ったままでした。ちょうどお昼休みだったものですから」
悪びれもせずに言う小熊くん。
「営業なんて、いつ連絡が来るかわからないんだ。電話は切るな。捕まらない担当なんて、誰も信用しないぞ」
説教口調の髙田。
「すみません」
不満そうに、でも小熊くんは頭を下げた。
「何かあったの?」
こんなに怒るのは何かあったからに違いない。
チラッと小熊くんを見て、身に覚えはないの?と尋ねてみるが、小熊くんは首を振った。
「お前、山通の高山課長に電話する約束してなかったか?」
「あ、ああ、そうでした」
慌てた小熊くんが携帯を操作する。
「待て」
「「へ?」」
私と小熊くんの声が重なった。
「電話ではなく行ってこい。先方が知りたがっている商品のサンプルも資料もすべてそろえて今すぐ行け」
「そんな、電話で聞かれたことに答えればいいじゃないですか」
「ダメだ」
「それじゃあ、時間の無駄ですよ」
ああー、小熊くんの悪いところが出てしまった。
こんな言い方をすれば相手は引けなくなるのに。
***
「いい加減にしろ。お前が鈴木と仲良く飯を食ってる間、高山さんは待っていたんだぞ。そのことを反省しろ」
「でも・・・」
「お前が行かないなら、俺が行こうか?」
気がつけば2人はにらみ合っている。
はあぁ、もう。
「髙田課長、落ち着いてください」
私は2人の仲裁に入るつもりだった。
髙田の言うことは社会人としてもっともだと思うし、小熊くんの態度も良くないと思う。
でも、わざわざ行けって言うのも、非効率的な気がするから。
「2人とももう少し冷静に、」
話し合いましょうと言いかけた私を、
「お前は黙っていろ」
髙田が遮った。
は?
びっくりして顔を上げると、
「大体、鈴木は急ぎの書類を抱えているんじゃないのか?それに、今日は早退届が出ていたはずだが?」
「そうですけれど」
今は昼休みだし。
その早退届だって、残業や休出が多すぎたための時間調整なのに。
「さっさと仕事をしろ。いつまでも小熊の後ろをくっついて歩いているな」
な、なぜ私が怒られるの?
「課長、チーフは関係ないじゃありませんか」
小熊くんも声を上げた。
「うるさい、お前はさっさと行け」
こんな髙田は見たことがない。
きっと誰も止められない。
「わかりました」
これ以上言っても無駄だと思ったのか、手早く荷物をまとめ小熊くんは出て行った。
***
フツフツと怒りがこみ上げる中、私は必死にこらえて仕事をこなした。
本来午後から外回りのはずだった髙田もオフィスに残っていた。
午後の勤務が始まって少し経った頃。
髙田が席を立ったのを見て、私は後を追った。
どうしても一言文句を言いたかった。
「髙田課長」
「何だ?」
振り返った表情は、朝よりも疲れて見える。
見た瞬間、怒りよりも不安の方が大きくなった。
「どうしたの?大丈夫?」
周りに誰もいないことを確認して、いつもの口調に戻った。
「ああ」
自販機で買った缶コーヒーに口をつける髙田。
「らしくないよ」
あんな風に怒りにまかせてものを言う人じゃないのに。
「お前はいつも通りだな」
嫌みな言い方。
「どういう意味?」
「その通りの意味だよ」
棘のある口調は変らない。
「何を怒っているの?私何かした?」
「自覚がないって、恐ろしいな」
「やっぱり、昨日白川さんといたことを怒っているの?」
「はあ?」
呆れたように私を見ている。
だって、他には思い当たらない。
「ねえ、髙田。私に怒っているからって、小熊くんに厳しくするのはやめて。彼も一生懸命なのよ。今日のお昼にもね、」
髙田のことを『俺のあこがれです』って話してくれたの。って言おうとしたのに、
「聞きたくない」
髙田が遮った。
「髙田・・・」
私の心にもう少し余裕があれば、この状況を冷静に受け止められたと思う。
いつも優しい髙田がこんなに怒るにはそれなりの原因があると、想像するべきだったと思う。
でも、できなかった。
ただ怒りしか、湧いてこなかった。
「そんなこと言う髙田とは、もう話さない」
「好きにしろ」
「髙田なんか・・大っ嫌い」
「俺も、お前が嫌いだ」
売り言葉に買い言葉なのはわかっている。
でも、聞いた瞬間涙が溢れて、私は背を向けた。
振り返ってはダメ。
顔を見てしまったら、もっと酷い事を言ってしまいそうだから。
このまま席に戻るわけにもいかず、私は1人屋上に逃出した。