テラーノベル
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「さて、除く者さんに何があったか、他に心当たりはありますか?」とレモニカは廃城を見上げながらソラマリアに尋ねる。
シグス城へと侵入するユカリたちを見送った直ぐ後のことだ。
「奴の目的は、その言葉が真実ならばですが、魔法少女ユカリに恭順することでしかありません。ユカリがどのような決断をしようと、たとえ封印されるのだとしても従う、と。そのように言っていました。そして我々は除く者と同じように考えているユカリ派と合流しようとしている途上なわけです。ユカリから自ら離れうる理由はありませんね」
「つまり何か非常事態があったか、これまでの話が嘘だったか。ともかく一度宿に戻りましょう。あるいは何か行き違いがあっただけかもしれないもの」
「よりによってレモニカ王女とソラマリア、ですよ」
その声に呼ばれたレモニカとソラマリアが振り返ると、城下町へと伸びる坂に青白い炎の塊、鬼火が一つ空中に浮いて妖しげな光を放っていた。
その鬼火の主モディーハンナもすぐそばにいた。救済機構の尼僧にして、その魔法研究の一手を担う恩寵審査会の総長だ。晴れた空とはまた趣の違う幽怪な青い光を抜きにしてもいつも以上に不健康そうに見える。あいかわらず暗い隈に縁取られた落ちくぼんだ瞳が、重そうな瞼を瞬かせて坂の上のレモニカたちを見上げていた。
その後ろには少なくない僧兵たちが控え、モディーハンナの隣には当たり前のように聖女アルメノンが佇んでいた。幽霊の類ではなく、しっかりとこの地上に立っている。
レモニカと同じ黄金の髪に蒼い瞳。ラーガと比べてもよく似ている方だ。しかし二十程は年上であるはずなのに、見た目には同じくらいに見える。
「ね? 猊下?」とモディーハンナが聖女に尋ねる。
「ん? ああ、そうだな。作戦は見事に失敗だ」と聖女アルメノン、レモニカにとっての姉リューデシアは答えた。「護女エーミも魔法少女ユカリも無し。どうやらシャナリスの話は本当のようだな」
「そのようですね」とモディーハンナはざらついた声色で呟く。「ユカリさんは魔導書の気配を感じ取れなくなっている、と」
「だからそう言ったでしょう」と言ったのは除く者もといシャナリスだ。モディーハンナとアルメノンの背後に控えていた。「除く者にも私にも肝心な話は聞こえないように徹底していたんですよ、彼女ら。除く者の指示で、ですがね」
その口ぶりでレモニカは察する。どうやら除く者は貼り直され、その肉体の本来の主、魔法少女狩猟団団長シャナリスに主導権を奪い返されたようだ。
「何でそんな封印を使ってるんですか?」とモディーハンナが責めるように問う。
シャナリスは黒髪を撫でつけるように掻き上げながら呆れた風に答える。除く者の時には見なかった仕草だ。
「救済機構に忠誠を誓った使い魔がいくつもいると思っているのですか? 自由を希求する連中に比べれば、ユカリの判断待ちのユカリ派は大人しいものですよ。それに、だからこそ、でもありますね。ユカリ派筆頭の除く者は要するに、かわる者に次ぐ反乱分子ですから、私自ら管理していたのです」
「……管理? ……まあ、別にいいですけど」とモディーハンナは不満顔で返す。「とにかく作戦は失敗。撤収です」
モディーハンナの号令で僧兵たちが坂を下っていく。
「待て」とソラマリアが剣を抜いて静かに発する。「リューデシア、聖女を行かせる訳にはいかない。レモニカ様の呪いを解いてもらう」
「舐めないでもらいたいですね。私たちも魔導書を持っているんですよ」挑みかかるようなモディーハンナの言葉に反応するようにして鬼火が明滅する。
「いいのか?」とモディーハンナに問うたのは聖女アルメノンだ。「レモニカとソラマリアが揃っているが」
モディーハンナは聖女の言葉を少し吟味してから言う。
「ああ、それもそうですね。そういえばライゼンの王女に、ソラマリアさんも一応ライゼンの戦士でしたね。目障りには違いないし、仇敵は殺せるときに殺しておくべきでしょうか」
鬼火が威嚇でもするように激しく燃え上がり、モディーハンナの頭上を旋回する。
「いや、そうではなく、分断するならどっちに使っても同じじゃないかと思ったんだが」とアルメノンは付け加える。
モディーハンナは悩ましげに腕を組む。「そうですね。でもソラマリアさんの身体能力についてはご存じでしょう?」
「時間稼ぎくらいはできるさ」とアルメノンが自信を覗かせる。
「やってみろ」ソラマリアが一足跳びに距離を縮め、神速の抜刀と共にモディーハンナに躍りかかる。が、その刃はアルメノンによって防がれた。ソラマリアの剛剣を剣で受け止めていた。その衝撃は地響きのように唸りをあげるが、聖女はびくともしていない。
「剣なんて使えたのか、リューデシア」とソラマリアも次の一手を忘れて問いかける。
「そうみたいだ、ね」聖女アルメノンは他人事のように答える。
それはまぐれでも幸運でもない。次なる一撃も、その次も受け止め、弾き、更には返す刀でソラマリアの命を取らんと急所を狙う。どの剣筋も、命を奪わねば命を奪われる戦場における殺気が込められていた。ソラマリアに相手を殺すつもりがないせいか、聖女アルメノンの力量で十分に拮抗できている。
その時、異国からもたらされた疫病のように何の予兆も切欠もなく、レモニカの呪いがその身を変じさせた。体は縮み、節くれだち、無数の手足が並ぶ。その姿は百足だ。
最もそばにいるのはソラマリアのはずだった。剣で切り結びながらもそうするだけの余裕がまだある。
「おや? その呪い、使い魔にも反応するんですねえ」とモディーハンナが感想を呟く。
レモニカのそばに封印があるということだ。しかし周りにそれらしいものは見当たらない。土、石、草。色づいた落ち葉。
「掘る者。目標変更です。レモニカとソラマリアは任せました」
モディーハンナがどこかにいる使い魔に命令を発すると、突如獣の唸り声の如き低く響く音が地面を這い伝ってきた。と思うと、次の瞬間、坂道の砂が流れ出し、路傍の岩が砕ける。大地のひび割れが一瞬で辺りを駆け巡り、そして草土が吸い込まれるように真下へと落ちていった。坂は削られるのではなく、穿たれる。死者の赴く世界のような暗い穴が広がりゆく。
何の兆しもない陥没に不意を打たれ、レモニカは成すすべなく悲鳴をあげる暇もなく大地の底へと吸い込まれた。暗闇に呑み込まれゆく前にレモニカが見たのは、ソラマリアが振り返り、躊躇うことなく百足のレモニカの方へ飛びつく姿だった。
「あの間抜け……」とモディーハンナが何かを言ったが、その声は青い空と共に遥か上方へと離れていった。
どれほど落ちたのかレモニカにはまるで分からないが、垂直だった壁は徐々に弧を描き、擂り鉢に転げ落ちるようにして穴の底へと達した。しかしレモニカの百足の体は少しも動かなかった。何かに掴まれている。
「ソラマリア。もう大丈夫。離して……」と言い、レモニカは間違いに気づく。
ソラマリアが触れているならば、最も近い距離にいるのならば、既に百足の体を脱ぎ捨てて本来の姿を取り戻しているはずなのだ。
しかしソラマリアは少し離れたところで何者かを取り押さえていた。モディーハンナの言う間抜けだ。ソラマリアは片足で踏みつけるように抑え込んでいたシャナリスに再び除く者を貼り付け、「端でじっとしていろ。何もするな」と【命じる】。シャナリスはすごすごと縦穴の端、土の壁までいって縮こまる。
「最悪ですわ」と呟いたのは見知らぬ声だった。レモニカのちっぽけな節の多い体を鷲掴みにしている者の声だ。
穴はとても深いが巨大で、日光が十分に穴の底を照らしている。
レモニカの体を掴んでいるのは蟻のような姿の魔性だ。扁平な嘴に毛むくじゃらの体。先が丸みを帯びた長い爪。顎鬚を手のように動かして百足の体を戒めていた。モディーハンナがその名を呼んだ使い魔掘る者だ。
「除く者を再び失ったことは計算外でしたか?」と言ってレモニカは身じろぎするが、僅かに頭の尻尾をくねらせられるだけだった。
掘る者はテロクスの霧の奥に潜む怪鳥のような甲高い悲鳴をあげる。
「やめてくださいまし! 気持ち悪い! 最悪とは貴女のことです!」
「ならば離せばいいだろう」とソラマリアが忠告すると掘る者は飛蝗のように飛び退く。
「近づかないでくださいまし! 大切なお姫様を引き千切りますわよ!」
ソラマリアは剣を構えながらも距離を保つ。
「それが目的ではないのですね」とレモニカは一安心する。
「ええ」蟻の魔性が人間のようにこくりと頷く。「落とし穴に落として捕まえるのが作戦ですので。目標は貴女方に変更されましたが」
「その後は?」とソラマリアが問う。
「聞かされていませんわ。誰かに新たな命令を与えられるまで待機、時間稼ぎですわね」
「協力的ですわね」とレモニカが抗うのを止めて言った。
「まあ、救済機構に忠誠を誓っている訳ではありませんから」
「ではこの状況を打破する方法を教えてくれ」とソラマリアが大胆に尋ねる。
「さすがに協力は禁止されてますわよ……」と掘る者は呆れる。「それにユカリに回収されれば封印されて消滅するのでしょう?」
つまり掘る者はユカリ派ではないということだ。
「……封印がどういうものかはまだ分かっていないそうですが」とレモニカは弁明にもならない言葉を絞り出す。
「封印はされるのですわね……」
ベルニージュによると魔導書がなくとも、強大な魔法の力が無くとも然るべき手順を踏めば魔導書の魔法は再現できるはずだ。しかしあくまでその方法を探っている段階に過ぎないこともレモニカは知っていた。
「説得は無意味のようですね」とソラマリアは呟く。
「おかしなことを考えないで」と掘る者は忠告し、呪文を唱えることなく残りの顎鬚の先に眩い光を灯す。
光は渦を巻き、円錐螺旋状に迸る。螺旋を描く速度はレモニカの見たことのないものだ。触れたものを何もかも抉り削る力の奔流を掘る者はソラマリアの方へ構える。
「地の底まで掘り抜く魔術ですわ。人間など一瞬で屑肉です。もちろん百足も」
ソラマリアは冷めた眼差しで掘る者の魔術を見つめている。
「ところで、次の命令を携えてくる者がいなかったらお前はどうなるんだ?」
「はあ? 今現在与えられている命令に従い続けるだけですわ」
「ひたすら時間稼ぎ、か。いつまで稼ぐんだ? 奴ら、中々戻って来ないが」
ソラマリアが穴を見上げて言った。
たしかにユカリたちのいるシグス城は目と鼻の先だ。どのような結果になったにせよ、そろそろ変化が起きてもおかしくない。ユカリたちか、救済機構の誰かがこの穴へやってくるだろう。
「何を言いたいんですの? アタクシが、魔導書が見捨てられるとでも?」
「正直なところ」とレモニカが言葉を返す。「救済機構はずっと封印の魔導書を捨て駒のように使っていますわ。回収に来なかったとしても不思議ではありません」
「馬鹿なことを。だとしてもユカリに回収されるだけ……」
掘る者の蟻のような顔色は読み取れないが、声色で動揺しているらしいことは分かった。
「言っておくが、私は魔導書などどうでもいい。レモニカ様が全てであり、その身の呪いの解除の方法とて魔導書以外にも何かあるはずだと思っている」とソラマリアは話す。「だからもしレモニカ様を少しでも傷つけたなら、私はお前を貼り直し、こう命じる。永遠に地の底を目指して掘り続けろ、と。ユカリには悪いがな。どうだ? まだ消滅するよりはましか?」
残酷な言葉を放ったソラマリアは剣を構え、にじり寄る。が、レモニカを締め付ける掘る者の顎鬚は決して傷つけない力加減を保たれる。
「近づかないで! 殺すなとは命じられてませんわよ!?」
掘る者は顎鬚の先の渦巻く光の奔流をかざしつつも及び腰だ。
「そうか。確かに、私がお前の立場ならばとっくに二人とも殺している。それは良心か? 罪悪感か? いや、ただの嘘だ。変更したのは目標だけ。変更前の目標には、奴らが捕獲したがっているグリュエーが含まれていた。本当は殺すな、傷つけるなと命じられているんだろう?」
掘る者は身動きせずに震えている。漏れる息が荒れる。
「どうした? なぜ逃げない? 封印を剥がすことなど容易いぞ。私が恐ろしくないのか? ……ああ、そうか。命令に従うならば、私が穴から脱出することも防がなくてはならないからか。不憫なことだ。死ぬことのない魔導書の身で冥府まで掘りぬくことは出来るのだろうか?」
僅かに掘る者の締め付ける力が強くなったかと思ったが違った。レモニカの体が急速に膨らんだのだ。百足から変身した新たな姿はソラマリアだった。
掘る者は悲鳴をあげながらも強力な魔術をレモニカに向けることはなく、そのままレモニカ自身にソラマリアの膂力で抑えつけられ、封印を剥がされた。
ソラマリアとソラマリアの姿のレモニカが見つめ合う。
「これを狙って脅したの?」とレモニカは尋ねる。
「いえ、気を逸らしていただけです。間合いに入って顎鬚を切り落とせば済む話でしたので」
何でもないことのように話すソラマリアにレモニカは冷ややかな視線を向ける。掘る者の体が剣で斬れない代物で構成されていたらどうするのだ。
「わたくしを少しも傷つけたくない人の思いつく策とは思えないわね」
そう言われて、ソラマリアはじろじろとソラマリアに変身したレモニカの姿を眺める。どこも怪我などしていないではないか、とでも言いたげに。
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