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フィデロは、弟ラウルからの報告を静かに聞いていた。
「……ということです」
「うむ」
短く答える。
だが、ラウルの表情は晴れなかった。
「本当に、エルネストでよろしいのでしょうか」
フィデロは葉巻を指で回しながら、ちらりと弟を見る。
「“よろしい”とは?」
「ほかに適任者はいないのかと」
その問いに、フィデルは即座に答えた。
「いない」
低く、断言する声だった。
「彼がすべてだ」
部屋に沈黙が落ちる。
壁に掛けられた地図には、ケルパ王国中央部――セントクララ周辺が赤い印で囲まれていた。
「このセントクララを落とせば、王国軍は東西に裂ける」
フィデルは地図を指でなぞった。
「補給は止まる。
各地の守備隊は孤立する」
そして、静かに言う。
「連中は、自壊し」
フィデロはゆっくりと言葉を続けた。
「革命は達成される」
ラウルはなおも口を開く。
「でしたら、せめてカミロを補佐につけては」
「くどい」
ぴしゃりと言い放たれ、ラウルは黙り込んだ。
フィデロは椅子にもたれたまま、静かに目を閉じる。
「私は、彼に賭けたのだ」
その声には、不思議な確信があった。
ラウルは小さく息を吐く。
革命軍は常に人員不足だった。
武器も足りない。薬もない。食糧すら十分ではない。
その中で、エルネスト以上に大胆な作戦を任せられる男がいないことも、ラウル自身よく理解していた。
「……もう一つ、報告があります」
「なんだ」
「セントクララに外国人が潜入しました」
フィデロの眉がわずかに動く。
「従者を連れた、片腕の男です」
「それがどうした」
「アメリアの工作員五人を返り討ちにしたうえ、こちらの追跡にも気付いたようです」
「現在は行方をくらませています」
フィデルは黙り込んだ。
部屋の空気が、わずかに重くなる。
「……大事の前です」
「いかがいたしましょうか」
ラウルの問いに、フィデロはすぐには答えなかった。
葉巻の煙が、ゆっくりと天井へ昇っていく。
やがて彼は目を閉じ、小さく唸る。
「ふむ……」
「……妙だな」
フィデロは静かに呟いた。
「ただの商人や旅行者ではあるまい」
ラウルが地図を広げる。
セントクララ周辺には、王国軍、革命軍、民兵、密輸商人――あらゆる勢力が入り乱れている。
「片腕、という特徴からすれば目立ちます」
「しかし、アメリアの工作員を返り討ちにしたという点が引っかかります」
「王国側の人間か?」
「わかりません。
ですが、少なくとも素人ではないかと」
フィデロは椅子にもたれたまま、ゆっくり指を組む。
「……王国の犬なら、革命軍を探る」
「アメリアの犬なら、革命も王国も利用する」
「だが、アメリアの工作員と衝突した、か」
わずかに口元が歪む。
「面白い」
ラウルは慎重に問いかけた。
「捕らえますか」
「いや」
即答だった。
「今の我々に余計な敵を増やす余裕はない」
「監視だけでいい」
「もし王国軍に接触した場合は?」
「放っておけ」
「……よろしいので?」
フィデロは窓の外を見た。
遠く、湿った風がヤシを揺らしている。
「革命とはな、ラウル。すべてを読んで進むものではない。
読めぬ者、裏切る者、偶然現れる者――それらを飲み込んで進むものだ」
静かに目を開く。
「重要なのは一つだ」
「最後に誰が立っているかだ」
ラウルは黙ってうなずいた。
だがフィデロの脳裏には、
別の懸念が浮かんでいた。
(アメリアの工作員を五人……)
偶然ではない。
それも、“巻いた”という報告。
追跡を察知し、逆に潰して逃げ切った。
軍人か。
あるいは――。
「ラウル」
「はい」
「その男、殺すな」
「?」
「場合によっては、使える」
革命軍は、慢性的に人が足りない。
理想を語る者は多い。
だが、泥の中を進める者は少ない。
フィデロは薄く笑った。
「嵐の前には、妙な連中が集まるものだ」
王都から離れた湖畔の館で、
サイラスは静かな日々を送っていた。
表向きは、隠居した軍師。
実際には――王とともに表舞台から姿を消した男である。
朝は釣りをし、昼は畑をいじり、夜は王と酒を飲む。
それは、戦場を忘れるための暮らしではなかった。
戦場が、彼を忘れてくれたかどうかを確かめる暮らしだった。
だが、その平穏は突然終わった。
夜更け。
寝室へ忍び込んできた黒装束たちに、
サイラスは布袋へ押し込まれたのである。
「待て待て待て!
せめて説明ぐらい――」
抗議する間もなく馬車へ放り込まれ、
数時間後。
袋を外された時、
彼は豪奢な謁見の間に転がされていた。
赤い絨毯。
巨大な柱。
壁に掲げられた王家の紋章。
そして玉座には、
ひとりの女が座っていた。
「よく来た、久しいのう」
レイナ女王は優雅に微笑む。
サイラスは床に転がったまま、しばらく沈黙した。
「……いや」
ゆっくり上体を起こす。
「なんか袋に詰められてここに来たのですが」
周囲の近衛兵たちが気まずそうに目を逸らした。
レイナは咳払いをひとつ。
「普通に呼べば逃げるであろう」
「当たり前でしょう」
「なので確保した」
「誘拐って言うんですよ、それ」
だがレイナは意に介した様子もない。
玉座に頬杖をつき、
まっすぐサイラスを見下ろす。
「頼みがある」
その声音が、少しだけ低くなった。
「聞いてもらえぬか」
サイラスは眉をひそめる。
王が頭を下げる時。
それは大抵、
ろくでもない話である。
「……というわけじゃ」
ひと通り説明を終えると、
レイナ女王は深々とため息をついた。
「まったく、人の話を聞かぬ女にも困ったものよのう」
玉座に頬杖をつきながら、
いかにも疲れ果てたように首を振る。
サイラスと、
後ろに控えていたサクラは、
ほぼ同時に同じことを考えていた。
(あんたがそれを言うか)
もちろん、口には出さない。
出せば命が危ない。
レイナは気づいた様子もなく、
机上の地図へ視線を落とした。
「フィデロがケルパへ上陸して二年……」
「革命軍と王国軍の決戦は近い」
地図には、各地の戦線が赤と青で書き込まれていた。
中央部――セントクララ周辺には、
幾重にも印が重なっている。
「しかも、ご丁寧にアメリアは妾へ言いがかりをつけ、
こちらを牽制したうえで何か企んでおる」
レイナは露骨に不機嫌そうな顔をした。
「どうせ武器商人どもが裏で糸を引いておるのじゃろう」
「で、我が国の医療団を無事撤収させてほしい、と」
サイラスが確認すると、
レイナは静かにうなずいた。
「うちのフローレンスが…
戦場のど真ん中に居座っておるらしい」
「……難儀な人ですね」
「そなたほどではない」
即座に返され、
サイラスは黙った。
レイナは少しだけ真顔になる。
「もともと今回の騒乱、
カイル戦争の余波とも言える」
「グラツィア人であるそなたも、
心苦しかろう」
(いや、別に苦しくはないのだが)
サイラスは内心だけでそう呟いた。
そもそも彼は、
国家や民族への帰属意識が薄い。
あるのは、
“生き延びる”
という極めて現実的な感覚だけだった。
だが口には出さず、
軽く肩をすくめる。
「……わかりました」
ふと、
二年前に届いた一通の手紙を思い出す。
――エルネスト。
革命に身を投じた、かつての友人。
(あいつ、まだ生きているのか)
わずかな興味と、
嫌な予感が胸をよぎった。
「いつ発てば?」
サイラスが尋ねると、
レイナは当然のように答えた。
「無論、今じゃ」
「今?」
「馬車は用意してある」
「いや準備というものが――」
「袋もあるぞ」
「なんでなんですかその袋万能説」
#異世界