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救済機構がロガットの街に貸し与えられた城壁の一部と増築物の中でもとりわけ広い部屋に四人の男女がいた。跪き、首を垂れる焚書機関第四局首席アンソルーペ。その背後に立つ焚書機関総長ケイヴェルノ。正面横に相対する恩寵審査会総長モディーハンナ。そして真正面で、高い背凭れの仰々しい椅子に座ってアンソルーペを見下ろす救済機構の歴史上唯一大聖君を兼ねる稀代の聖女アルメノン。
南側に並ぶ窓と天窓からは囁くような陽光が降り注ぎ、日々薄暗い城壁の陰にある救済機構の拠点に温かな恩寵をもたらしている。しかしガレイン様式ではないせいか、冷気が遠慮なく忍び込んでおり、暖炉の放つ温もりと拮抗していた。
「私は怒ってる。いや、そんなに怒ってない。どちらかというとがっかりしている。ものすごくがっかりしているわけでもないが」
よく分からないことを言う聖女の言葉にアンソルーペは真摯に耳を傾ける。
「本題に入ってください」とモディーハンナが急かす。
「本題はモディーハンナに任せる」とアルメノンは言い、肘をついて寛ぐ体勢になった。「私はいるだけで十分だろ」
溜息一つ分の間を置いてモディーハンナが口を開く。「白紙文書を魔法少女に奪われたことは、まあ、いいでしょう。あれはシャナリスの管轄ですし。ただかわる者回収も白紙文書奪還も一切進展がないことに我々は失望しているのです」
「そうだそうだ」とアルメノンが付け加える。
「依然想定内に作戦は推移していますが、貴女がもう少し優秀ならば他の者の苦労も減じるというものです」
「副官の、何だったか」アルメノンは首を傾げて唸る。「そう、ドロラの方が優秀なんじゃないか? あっちを首席にすべきじゃないのか、ケイヴェルノ君」
「ドロラ次席が優秀であることは否定しませんが」とケイヴェルノは答える。「それでもなおアンソルーペ首席の方がその席に相応しい能力であると考えます」
「まあ、実は私もそう思ってるんだが」そう言ってアルメノンは立ち上がり、まるで繊細な花々を踏みつけるのを恐れるようにそっとアンソルーペに近づく。「私は、アンソルーペが手を抜いているんじゃないかと疑っているのだよ」
「ま、ま、まさか! そそそんなことは! け、決して!」いつも以上に言葉を詰まらせてアンソルーペは否定する。
「私の見込みではチェスタ? に、匹敵する優秀な焚書官だと思ってたんだがな」
唐突に無貌の元焚書官の名前が出て、アンソルーペは困惑する。魔法少女に出し抜かれただとか、聖女に破門にされただとか、様々な噂を聞いていたが今なお救済機構内部で活動しているのは間違いなかった。元々仕事上もほとんど関りはなく、個人的な親交も無い。局が違えば接点もあまりないものだ。聖女が妙にチェスタを重用していることはアンソルーペも知っていたが、それほどに自身が期待をかけられていたことは知らなかった。
「きた期待にこた応えられるよう、こ、こ、これまで以上に奮励努力する所存です」
アンソルーペの答えをアルメノンは聞こえていないかのように話を続ける。
「どこか似ているというか、兄妹じゃないよな?」
「か、か、彼の顔はみた見たことがないので!」
予想外の答えだったかのようにアルメノンは大口を開けて笑い、椅子へと戻る
「そうだったな。私もあいつの顔は見たことがない。まあ、いい。良くないが。それで、何か処分を下すべきだと思うのか?」という問いはモディーハンナに向けられていた。
「処分というよりは――」
「お待ちください」とケイヴェルノが勢い込んで訴える。「アンソルーペ首席は聖典無しによく魔導書に立ち向かっています。成果も決して――」
「口を慎むべきです、ケイヴェルノ総長」とモディーハンナが舵を奪う。「聖女にして大聖君でもある猊下はお忙しいのです。一つの聖典を作成するには複雑で精密な儀式を要し、おいそれと下賜できるものではありません。そもそもアンソルーペ首席は一騎打ちで聖典を魔法少女に破壊されたそうではありませんか。一人の僧兵として、その結果を受け入れず、ましてや聖女様に責任を転嫁するなどあってはならないことです。それに、聖典の代わりに人工魔導書を優先的に供与していることをお忘れなく。ケイヴェルノ総長がその職に相応しく、強く魔導書を憎んでいることは知っていますが、よもや人工魔導書を忌避している訳ではありませんよね?」
「もちろん、そのようなことはありえない。だが――」
ケイヴェルノが言いかけたその時、天窓と南側の三つの窓が同時に割れ、高く澄みながらも不協和な破裂音と共に、陽光を反射する破片が降り注ぎ、廊下に通ずる扉と隣室を隔てる扉が叩きつけられるように押し開けられ、騒々しい足音が持ち込まれる。
アンソルーペは鎚矛を、ケイヴェルノは聖典たる剣と盾を構え、モディーハンナは青白い炎、鬼火を灯し、三人は聖女アルメノンを護る堅固な盾として周囲に集う。
闖入者にアンソルーペは驚愕する。鉄仮面を被った焚書官、炎の刺繍の黒衣を纏った加護官、それにロガットの拠点に常駐する僧兵たちだ。
裏切りなどより先に想定されるのは人を操る魔術の類だ。魔性の封印札自体がそうであるし、使い魔にもその類の魔法を持つ者がいたはずだ。そのような魔術に支配される心配のない魔法少女狩猟団の主力は出払っており、この拠点にいる使い魔たちは戦闘向きの魔術を持ち合わせていない。
襲い掛かってくる僧兵たちを、アンソルーペは躊躇うことなく叩きのめす。ケイヴェルノもモディーハンナも同様だ。僧兵たちは木の葉のように宙を舞い、赤熱した剣に切り伏せられ、鬼火に焼却される。が、僧兵たちも一切の恐怖を心の底に封じられたかのように、強者たちに躍りかかってくる。
「これは使い魔か?」とアルメノンは暢気に呟く。「この事態を収拾したならアンソルーペのことを不問にしてもいいんじゃないか?」
「いいから、そこでじっとしていてください!」とモディーハンナは怒鳴り返す。
いじける聖女に僧兵たちは尽きることなく攻めてくる。倒れても起き上がるばかりではなく、まだまだ新たに部屋の外から飛び込んできていた。
これほど多数の人間を操れるのに、肝心のこの広間にいた四人を直接操作しなかったのは何故だろう、とアンソルーペは戦いの最中頭を巡らせる。
「うおお! まずいぞ、私!」
アルメノンの声にアンソルーペが振り返ると、モディーハンナが青白い炎を振りかざし、ケイヴェルノが剣を振り上げ、アルメノンを狙っていた。つまるところ、この隙を確実に狙うために、あえて操っていなかったのだ。
アンソルーペは聖女を庇うように飛び掛かり、モディーハンナを蹴り飛ばし、鎚矛をケイヴェルノに打ち付ける。モディーハンナの方は壁に転がって気を失ったが、ケイヴェルノには盾で防がれてしまった。
「言っておくが、俺のお陰で操られないんだぜ?」と頭の中で声が響く。
「わ、わ分かってます。操られずにすす済んだのはこれでにど二度目ですね」
「秘策がある。俺に体を貸してみな」
「い、良いですけど、きょ極力人を殺さないように」
「てめえは手加減してなかったじゃねえか!?」
「あなあなたは言わなきゃわざわざと殺すでしょ!」
「分かったからさっさとしろ!」
アンソルーペは炎の巻き角を持つ羊の鉄仮面を被り、虚無に体を明け渡す。
嘘だった。秘策など無かった。ただ単純に全員を叩きのめしただけだ。襲ってきた者も襲って来なかった者も、拠点の中で目にした者全員を。そうして拠点の敷地内に隠れていた使い魔を見つけ、叩きのめし、封印を回収したのだった。
それから使い魔や虚無がたまたま見逃した者たち総出で、アンソルーペに打ち据えられた者たちの救護をする。
「あばば暴れたかっただけってことですね」
「最近、体が鈍ってたからな」
「なな鈍ってないです。適当なことをいわ言わないで」
待機命令が出た。鉄仮面も鎚矛も取り上げられた。結果だけ見ると、今回最も暴れたのはアンソルーペで、拠点内の医務室だけでなく、ロガットの街の治療院までもを満員にさせてしまった。
襲撃の翌日、アンソルーペは、寝台で安静にしているモディーハンナのそばに立っていた。
「もう少し、手加減できなかったのですか?」とモディーハンナに毒づかれる。
「きぜ気絶はするけど、死なななない塩梅にしてしておきました」とアンソルーペは正直に答える。
モディーハンナに睨まれ、アンソルーペは眼を反らす。
「ところで聖女様のお言葉は覚えておいでですか?」
「どどどの件でしょう? いくつかおお仰っていましたが」アンソルーペはどれもほとんど覚えていなかった。
「この事態を収拾したならアンちゃんのことを不問にしてもいいんじゃない? の件です」
「ああ、そのけん件ですね。ありがとうございます」
「いいえ、勘違いなさらないように。その件は無効です」
「どどど、どうしてですか? た確かに事態をしゅう収拾したはずですが」
「こういう訳です」とモディーハンナが言った瞬間、アンソルーペは預けていた鉄仮面を背後から何者かに被せられる。
そしてモディーハンナの縫い付けるような杭を打つような呪文がアンソルーペの鉄仮面と首の境目に編み込まれた。
「どういうつもりだ?」と虚無が問いを繰り返す。
「事態を収拾したのはアンソルーペ首席ではなく、あなただからですよ」