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なに?……
この気持ち……。
慌てて彼から目を逸らし、喉元に手を当てて大きく息を吸い込んだ。
彼を意識する度に、胸がトクトクと小さな音を奏でる。
パーティーでの卑猥な光景を目にした時の、衝撃的な興奮から引き起こされた拍動とも違う。
悠聖さんにキスされた時の、生々しい唇の感触と屈辱感から引き起こされた動悸とも違う。
そっと両手で包み込む様な……
トク……トク……トク……トク……
穏やかで……
静かな甘い胸の鼓動……。
コンビニの明かりを背にして戻って来た男性は、
「お待たせしました。では行きましょうか」
そう言って、私に微笑みを見せた。
はにかみながら笑顔を返すと、無意識に熱を帯びていく耳たぶを隠す様に、耳に掛けていた髪を急いで撫で下ろした。
偶然に出逢った、名前も知らない二人。
今から互いに別れを告げ、二度と会う事などない二人……。
……名残惜しい。
彼の言った言葉を、心の中でそっと繰り返した。
「……はい、そうですね」
認めざるを得ない、自分の中で沸き起こる不埒な心情。
今日の私……どうかしてる……。
私は彼の言葉に小さく頷き、どうにも出来ない複雑な思いに唇をキュッと噛んだ。
交差点までの数メートルの距離を並んで歩く。
ネオンの中を過ぎ行く車のエンジン音と、夜風に揺れる街路樹の葉のざわめき。
流れる雲に覆われた夜空を見つめ、男性に聞こえないよう深いため息をついた。
先ほどまで一瞬忘れてしまっていた膝の痛みは、一歩一歩アスファルトを踏みしめる度に強くなるように感じてしまう。
「本当に一人で大丈夫ですか?」
たどり着いた横断歩道の手前で、男性が立ち止まった。
「はい、大丈夫です。こんなに親切にしてくださり、本当にありがとうございました。携帯電話……本当にごめんなさい」
私は一歩遅れて立ち止まり、男性に向かってペコリと頭を下げる。
「本当に携帯の事は気にしないで。帰り、くれぐれも気をつけてくださいね」
男性は目尻を下げて微笑むと、ゆっくりと私に会釈を返した。
「あの……それでは、失礼します」
「はい、おやすみなさい」
「……あのっ……」
「……はい?」
「あ……いえ、……おやすみなさい」
私は言葉をもごつかせた後、今度はおやすみなさいの意を込めて一礼した。
「はい、おやすみなさい」
男性は軽く手を上げ、くすっと微かに笑った。
「……それじゃ……」
私は口元に笑みを浮かべ、男性に背を向けて歩き出す。
「……今泉です」
突然、背にしたはずの男性の声が耳に届く。
「えっ?……」
横断歩道に踏み入れた足を止め、振り返る。
「僕の名前、今泉と言います。貴女のお名前は? ……あ。ご迷惑でなければ、下の名前が聞きたいな」
男性は少し照れ臭そうに笑った。
「今泉さん……。あ、私は……私の名前は亜紀です」
彼を見つめ、自然と笑みがこぼれる。
「亜紀さんか……素敵な名前だ。亜紀さん、お会いできて良かった。いつかまた、貴女にお会いできる事を願っています。……では、お元気で」
「はい、……今泉さんもお元気で」
笑顔で手を振る彼に見送られ、私は横断歩道を渡って行く。
反対側の歩道にたどり着いた頃、振り返ると、向こう側でゆっくり歩きながら手を振る男性の姿が見えた。
「今泉さん……」
次に会える保証など何もない。
次に会う約束など出来る理由もない。
この広い街で、偶然の「いつか」なんて来るはずもない……。
私は立ち止まったまま、儚い夢を見るような目で、彼が消えた暗闇をしばらく見つめていた。
コメント
1件
もうっ……この回、切なすぎて胸がぎゅーってなったよ…!!😭💕 名前も知らない二人が、交差点で名前を伝え合うシーン、ドキドキが止まらなかった…!「今泉です」「亜紀です」のやり取り、めっちゃエモい…!! 「次に会える保証なんてない」って分かってるのに、目で追っちゃう主人公の心情がリアルで刺さる…。さくら先生、この静かな甘さと切なさのバランス、神ってる…!!続きが気になりすぎて今夜眠れない…🥺💖