「フィールドアスレチックとかも楽しそうだね。俺、ああいうの好きなんだ」
「あ、私も興味あります」
返事をしながら、私は涼さんと過ごしているというのに、通勤路の途中で紫陽花を見た事を思いだしていた。
あと少しで梅雨入りだ。
朱里は紫陽花や梅雨、てるてる坊主の時期になると酷く落ち込む。
私がぼんやりしていたからか、涼さんは「恵ちゃん?」と顔を覗き込んできた。
「……あぁ、いえ、すみません。話の途中なのに」
「何か気がかりな事がある?」
尋ねられ、楽しく話していたはずだったのに、気がつけば親友の心配をしていた自分の態度は宜しくないな、と反省した。
「……すみません。……そろそろ朱里がトラウマを思い出して落ち込む時期なので、ついそっちに考えが引っ張られていました」
正直に言っても涼さんは怒らず、小さく頷いた。
「それは心配だね。深く心に刻まれた傷って、なかなか癒えないものだから。尊も十一月末が近づくにつれ、毎年落ち込んでいるよ。……今年はあの|女性《ひと》がいないだけ、まだマシだと思うけど」
彼が言ったのは、たぶん元・経理部部長の事だ。
「……二人とも、幸せになってほしいな」
祈るように呟くと、涼さんも同意してくれた。
「俺も心からそう思うよ」
こう言ったら怒られるかな? と思いつつ、私は正直な気持ちを打ち明けた。
「一年同棲期間を設けるって言ったじゃないですか。その間に、あの二人は先にゴールインすると思うんです。……それを見届けられたら、私も覚悟が決まるかな。……いまだに朱里にこだわり続けるのは良くないかもしれないけど、私はまずあの子に幸せになってほしい。結婚すればオールOKじゃないのは分かっていますが、ひとまずの安心を確認したいんです」
「うん、気持ちは分かる。俺も恵ちゃんという運命の相手を見つけた以上、もう結婚について悩む必要はないし、うちの家族含め、両家の家族と親交を深めながらじっくり進めていけたらと思っている。……その間に二人で尊と朱里ちゃんを見送ってあげよう」
「……はい」
事あるごとに、照れて反発しがちだけど、私としても涼さん以上の人が見つかると思っていない。
まず彼は私のトラウマごと受け入れ、優しく包み込んでくれる。
こんなに大人で余裕のある人って、なかなか出会えない。
今まで私がチラッとだけ付き合った相手は、すぐに体の関係になりたがったり、ちょっとした言葉が心に引っ掛かってイライラしたりで、長く付き合える人とは思えなかった。
その点、涼さんは考え方が大人びて達観している部分もあり、まず人を不快にさせない。
だから一緒にいて楽だし、私も素でいられる。
第一にそれがあって、彼の容姿や財力や社会的立場とかは、二の次になるけれど、大は小を兼ねるというし、色々持っているのは悪い事ではないと思う。
あまりにお金がありすぎても困るけど、彼なら多分、私よりずっとお金について勉強していて、友好的な使い方が分かっているんだろう。
私は〝自分のもの、お金〟をあまり持っていなくて、涼さんと結婚したらすべてにおいてオマケみたいな存在になってしまうけど、なるべく堂々としていたい。
彼を狙うセレブの女性たちを前にしたら気が引けるだろうし、嫌みを言われる事もあるかもしれない。
けど、涼さんはこんな私を好きだと言ってくれて、結婚したいと望んでくれている。
(その気持ちを信じないと)
自分に言い聞かせた私は努めて微笑み、提案した。
「話は戻りますけど、じゃあ、次の週末とか、お天気が良かったらどこか行きましょうか」
「そうだね!」
涼さんは嬉しそうに笑い、スマホを開いてスケジュールを確認していく。
私は彼と予定を擦り合わせつつ、今この瞬間も、朱里が笑顔でいる事を願っていた。
**
六月下旬になり、ニュースではキャスターが梅雨入りを宣言した。
土曜日の朝、シトシトと雨が降る様子を窓から見下ろした私は、マンションの敷地内にある庭に植えられた紫陽花を見て溜め息をつく。
「大丈夫か? アンニュイな朱里もいとをかしだけど」
淹れ立てのコーヒーをテーブルの上に置いた尊さんが、後ろから私を抱き締めてきた。
「ん……」
私は胸の前に回った腕を抱き、窓ガラスを伝う雫、その向こうに映っている自分の顔を見た。
いつものようにポンポンと何か言いたかったけれど、なぜか言葉が出てこない。
まるで喉の奥に何かをギュッと押し込まれ、言葉を封じられたかのようだ。
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