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「殿下。魔法少女の一行をロガットの街の付近で見つけたよ。こそこそしている様子を見るに、あれは魔導書を盗みに入る算段を練ってるね」
澄んだ空気に星の瞬く夜、大王国の野営の一角、天幕の内でぼんやりと地図を眺めていたラーガの元にやってきて報告したのは木偶に貼られた使い魔窺う者だった。人間の姿そっくりにも変身できるはずだが、そうはしていない。罅割れた木彫りの人形はどうやら古い時代の偶像のようだが、その尊顔は削られており、神格を推し測ることはできない。
それが他者にどう見られるかなど気にしないスロロロファエの性格故だということをラーガは察していたが、理解はできなかった。立場上、外見が与える影響には細心の注意を払わなくてはならないことを大王国の王子は強く自覚していた。
「酔っているのか? 最近機構が大量に札を獲得したと報告したのはお前だろう」
「酔ってるもんですか! ってか、この体が酔えないの知ってるでしょ!? それに報告内容に嘘偽りなんてない! やりたくてもできないの!」
使い魔のふてぶてしい態度にも最初は驚いたものだが、失いうるものなど時間くらいしかない魔性の存在に何かを畏れさせるなど容易いことではないと気づいてからは慣れたものだった。
「圧倒的に魔導書の数で劣り、魔法少女の力も失ったユカリが?」
「そうね。でも、ソラマリアって人、強いんでしょ? それにベルニージュって魔法使いも、一目置いてるって言ってたじゃない。何か策があるのかもよ」どこを見ているのか分からない無貌の木偶が知った風なことを言った。
「それを調べて報告するのがお前の任務なんだがな」
「今日明日中に行動を始めてもおかしくない雰囲気だったからね。事後報告よりはいいでしょ?」
「まあ、いい。もう一度見に行け。動き始めたら直ぐに戻れ。俺たちもすぐに行く。好機ならば乗じる」
ガレインの忘れられた神の似姿は軽い相槌を打って、再び夜の闇に溶けて消えた。ラーガはもう一度地図に目を落としたが、その心は暫く重みを失って天幕の内を漂った。
ロガットの街の灯が見えてくれば闇に潜んで近づく。ラーガとその騎士たちは馬を降り、仄かに松明の揺れるロガットの城壁を目指して星々に見捨てられた影のように静かに近づく。
「お、ちょうどいい所に、殿下」闇の薄膜の向こうから話しかけてきた窺う者の姿は見えない。「ユカリたちがロガット周辺に分散して身を潜めたよ。もう動くんじゃないかな」
「策は?」足を止めることなくラーガは問う。
「完全には分からなかったけど、ベルニージュが本命、他が囮ね。ただ、一人で全ての魔導書を盗むとも思えないけど」
「聖女がいるんだったな。なら、狙いはそれくらいだ。人質交換に使う腹だろう。応じるとは思えんが」
「どうして? 殿下の妹君に人質の価値がないの?」
「いや、魔導書のためにユカリたちがリューデシアを傷つけるとは思えん。と機構も考えるだろう」
「ユカリたちはそんなことも分かっていない?」
「さあな。あるいは別の狙いがあるのかもしれんが」
「あ! あれ見て」と言っている窺う者の姿すらほとんど見えない。「ちょいと失礼をば」そう言って指で円を作り、ラーガに覗き込ませる。
その指の円の中の景色からは暗闇が取り払われ、岩の陰に身を潜めるベルニージュの姿が大きく見えた。何やら真剣な表情で岩を撫でて呪文を行使している様子だった。その軽やかでいて精確な声色は聞こえない。
「たぶんロガットの結界を解いてる。つまるところ作戦開始じゃないかな」
「しばらく様子見だ」
窺う者の予言通り、ベルニージュが作業を終えると、胸壁の合間を行き来する松明が慌ただしくなり、哨戒の厳しい視線が砦の内部へ向いた。
「うーん。中の様子が分からない。結界は解除されていないみたい」と顔の無い使い魔はぼやく。
「どういうことだ? もうベルニージュは壁の中に入っていったぞ」
しかし窺う者は答えを見出せず、不滅公に応えられなかった。
城壁の閉ざされた門の直ぐそばまでラーガと精鋭の騎士たちは慎重に近づく。ベルニージュが焼き溶かした壁の穴から漏れ聞こえる音で中の騒動の様子を窺う。
判別のつかない多様な異音と叫び声が聞こえてくる。それらが徐々に砦の中心に集まっていることも分かる。
「報告。いつの間にか魔法少女狩猟団が砦に戻ってきたよ。あ、結界も解除された。今になだれ込んできてユカリたちを囲むね」
何度目かの報告を受け取る時には、取り立てて意外でもない趨勢が決まっていた。
「よし。行くか」ラーガは闇夜に潜む騎士たちを振り返り、抜刀して高く掲げる。「大義に飢えた獣どもよ! 我が妹たち、最も古く貴い血を引くライゼンの王女が二人、そしてその友人たる娘たちが、この砦で貴君らの勇猛なる戦いと敵の血に塗れる勇姿を待ち侘びている! 逃げず隠れず、父祖の名に恥じぬ戦いを見せよ!」
「闇討ちの不意打ちの横取りなのに」と窺う者が呟くのも気にせず、ラーガは呪文を唱える。暗雲の内に鍛えられた眩い精髄、古きガレインに巣食った巨人を一人残らず焼き尽くした雷の美称とその力の底無きを賛美する言葉を。
「見るがいい! 二本足の獣どもを焼き払い、血に濡れた半島から一掃した輝く一撃を!」
ラーガの剣は青い稲光を纏い、一突きとともにロガットの城壁の門を打ち破った。
同時に誉れ高き騎士たちが誇りを高らかに宣言するような鯨波と共になだれ込み、救済機構の僧兵を斬り捨てて行く。
窺う者の報告通り、僧兵たちのほとんどは街の側の広場に集まっていた。囲まれているのはユカリとベルニージュと使い魔たちだ。それも騎士たちが攻め入るまでの話で、機に乗じたのはベルニージュたちも同じだった。使い魔たちの魔術が交差し、ベルニージュの赤い炎と機構の魔法使いの青い炎が相食む。
その争いの渦の中心へ、まるで道を切り拓くように、騎士たちが左右へ僧兵を押し出し、切り崩す。ラーガは悠然と、大王国の王城の朝露に輝く中庭を行くようにベルニージュたちのもとへ一直線に進む。
「横取りですか!?」とベルニージュが紅蓮の炎を使役しながらもラーガに問いかける。
「まあ、そんなところだ。だが、魔法少女に恩を売るのも悪くない」
ラーガはちらとユカリに視線を向けるが見えない何かと喋るのに忙しいようだった。
「ワタシたちは大丈夫なので、聖女を、リューデシア殿下を奪還してください」
ラーガは上の妹の姿を探し、魔法使いの背後に身を隠している姿を見つける。
「随分見ない間に……、雰囲気が変わったな」ラーガは堂々と聖女アルメノンの方へと足を進める。「見よ! 我が妹の無残にやつれた姿を! 救済機構の最も高い地位に着いたなどと生臭坊主どもは嘯いていたが真相は単なる虜囚よ! だが神の何と慈悲深いことか! 大王ではなく、この不滅公ラーガに邪教徒どもを裁く使命をお与えになった!」
ラーガの進む先に立ちはだかる僧兵を騎士たちが打ち倒してゆく。魔法使いの青い炎をベルニージュが打ち消してゆく。
その時、ラーガは魔法使いの刺すような眼差しに気づく。こちらの方こそ虜囚のような痩せこけた女だ。青白い鬼火の落とす深い影が女を悪霊の如く見せる。癖のついた栗色の髪は色褪せ、濃く深い青の瞳は血走って、薄い唇は血色を失っている。
「どうした、女よ。まるで仇敵に出会ったかのような顔だ」
「メゴット市のことはご存じですか?」と魔法使いの女は尋ねた。
「マシチナ群島国から得た植民市の一つだな。青の名を冠する美しい街だ。マナセロに任せたんだったか。すると街の生き残りだな。やはり仇討ちか?」
「ええ、今すぐにでも、ですが」飛び掛かって来た赤い炎を青い炎が捩じり消す。「より確実な機会を待つこととしましょう」
「殊勝なことだ。そして同感だ。悪い芽は早く摘むに限る」
ラーガが剣を掲げた途端、稲光が咆哮し、天から落ちた雷が剣に宿った。と、同時に、出し抜けに、聖女アルメノンことリューデシア王女があらぬ方向へと駆け出した。立ちはだかる騎士はいないが、助けになる僧兵もいない。増築と改築を重ねた砦の暗がりへと逃げていく。
気を取られた瞬間、今度は背後で鐘のなるような嘶きが聞こえる。魔法少女たちの巨大な馬、毛長馬だ。その騒動に乗じて魔法使いの女が身を隠し、ラーガは再び逃げ行くリューデシアの方に目を向けると、妹は二人のソラマリアに抱えられていた。立て続けに起こる予想外の出来事にラーガが混乱しているとユカリがよく通る声で発する。
「撤退!」
途端に稲光と変わらない速度で砦が霧に包まれ、あらゆる音を打ち消すような豪雨が降り出した。
長らく敵国に囚われていた王女の奪還。その快報に比すれば軽微なのかもしれないが、騎士を何人か失う想定外の打撃にラーガは苛立っていた。それも討ち死にではなく、使い魔の発した霧によってはぐれてしまうという笑えない結果だ。二十枚近くの封印を取得したことがせめてもの救いだ。
「お兄さま、よろしいですか?」とシャリューレことソラマリアの声が天幕の向こうから呼びかける。
座布団にもたれかかっていたラーガは特に姿勢を正すこともなく応じる。「ああ、入れ」
天幕に入って来たのはその声の通りソラマリアの姿のレモニカとベルニージュだった。その呪いは使い魔にも反応するらしく、レモニカに貼られた使い魔は心底ソラマリアを嫌っているということだ。二人は揃って膝を折る。
「そういえば、母の娘、俺の妹が増えたのだったな」とラーガは感慨もなく呟く。
「ええ。……あ! わたくしはレモニカですわ!」
「分かっている。それで、何の用だ?」
「まずはご助力に感謝を」とレモニカは頭を下げる。「お陰様でお姉さまを奪還できましたわ」
「良いのか? お前たちは一つも魔導書を得られなかったのだろう?」
「だから感謝することなんてないんだよ」とベルニージュが少し顔を背けて呟く。「そもそも魔導書を横取りに来ただけなんだから。それにリューデシアさんを捕らえたのはレモニカとソラマリアさんでしょ?」
「だからご助力にだけ感謝するのですわ」とレモニカもまた不躾なことを言う。
「俺も感謝などいらんが、残りの魔導書を寄越すならば感謝されても良い」
「それともう一つお尋ねしたいことが。ヘルヌスの探していたヒューグという方について」とレモニカは構わず話を進める。随分ふてぶてしい態度を取るようになった。「ヘルヌスが探していたのです。それはつまりお兄さまが探しているということですわよね?」
「ヒューグ? ヘルヌスはヒューグを探していたのか?」
「お兄さまがお命じになったのでは?」
「いや、そうか。そうだな。それで? それを知ってどうする。お前に何か関係があるのか?」
「わたくしの友人が、その、……ヒューグ様を深く愛しておられるのです」
ラーガは唐突に噴き出し、大口を開けて笑う。二人の婦人が目を丸くして見つめているが、王子という体裁も気にせず大笑いする。
「なにゆえそのような振る舞いをなさるのです?」とレモニカが怒りを込めて問いかける。
「いや、まあ、気にするな。その内分かることだ。悪いが俺もヒューグが今どこにいるのかなど知らん。それを聞き出そうにもヘルヌスは重傷、気を失ったまま本国に移送された。むしろ俺が教えて欲しいところだ」
レモニカが口を開きかけて、ベルニージュに制止される。
「それだけしか知らないんですね?」と言って、ベルニージュは不敵な笑みを浮かべ、ラーガを見つめる。
「なるほど? そちらの方が多くを知っているようだ、と。昔から変わらんな、お前は」とラーガが答えるとベルニージュの表情が見る見る変化する。それを見てラーガは得意そうに微笑む。「いや、やはりこちらの方が多くを知っているようだ」