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「ま、それよりさ正直驚いたよ」
柚が黙り込んだことで会話を切り替えたのだろうか。
優陽は、思いついたと言わんばかりの陽気な声で語り始めた。
「……驚いた?」
「こんなめちゃくちゃな提案、相当惚れ込んでなきゃ受けないだろうなって思って話したからね、昨日」
どうやら話題は、恋人のフリ云々へと戻されたみたい。
「そんなに好き? 航平が。顔が好みとか?」
「え!? そ、それは……顔も、好きですけど、でも」
口ごもると、次の私の言葉を待たずに「でも、何?」と、追撃を忘れない。
そりゃ言いかけてやめられちゃうと、気になるものだと思うけど。
「あの、たいしたことじゃないんですよ?」
せめてもの前置きをするけれど、意味はなかったようだ。
「うん、聞かせてよ」
緩まらない追撃に、柚は小さくひと呼吸。
誰かに、自分の話をするのは苦手だし怖いんだけれど。
出会い方も、関係も。
規格外過ぎる優陽相手には、苦手意識も形を変えてしまうのかもしれない。
「……私、色々あって会社辞めてしまって」
「辞めたんだ?」
「はい。 色々あって、引っ越すことにもなって……住む家と仕事探しながらあちこち動いてて」
一旦声が途切れると「聞かせてよ」と。
柚に向けられたその言葉がとても優しく響いてきたから。
自然と、声が出てきてしまう。まるで、誰かに聞いて欲しかったみたいで。 とても不思議な感覚だ。
「その日は面接、何件か行って。歩き疲れてきて、たまたま見つけたカフェに入って、コーヒー飲んだら、あったかくて、おいしくて」
柚は、あの日の航平を振り返り、上を向き想いを馳せる。
雨の日だった。
傘をさしても、濡れてしまうくらいに強く降っていた。
「いちばん入り口に近い席に座って、オーダーを取りに来た店長が〝雨降ってましたよね、濡れてますよ〟って乾いたタオルと、あったかいおしぼり持ってきてくれて」
「わーー、やりそうだね航平」
優陽からの気の抜けた相槌に、柚は上を向いたまま小さく笑って。
更に想い出を声にしていく。
「〝ゆっくり休んでくださいね〟って笑ってくれて。 優しい声が嬉しくて、堪らなくて。帰り際窓に貼ってあったバイト募集の紙を見て……」
また、言葉を区切る。
車内はラジオも音楽も流れていなくて、走行音だけが響いてる。
「うん、バイト募集の紙、見て?」
くだらない柚なんかの想い出話の続きを拾う声。
二人の関係に、こんな会話は必要ないだろうに。
「……そ、その場で言う勇気がなかったんで帰って電話して面接に行ったら」
「うん」
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