「翔太、ご飯もう食べないの?」
「ん。ご馳走様…」
キィ。
食卓の椅子を引き、のろのろと立ち上がる。翔太は、そのまま、自室へと入って行った。
後に残された母と妹は首を傾げた。
「お兄の残した唐揚げ、食べてもいい?」
「だーめ。あとで食べるって言うかもしれないから」
「そう?最近あんま食べないじゃん」
「え?そう?」
「え?ママ、気づいてなかったの?ダイエットでもしてるんじゃない?最近食べないよ、あの人」
「えー、そうなのかな」
「どこか体の調子でも悪いのかもしれない。ママ、気にかけてやりなさい」
「そうね…」
翔太の家族が、口々にそんなことを話し合っている間、翔太は、ベッドに寝転がり、天井を見上げていた。
頭の中に、先日こっそり行った病院で、言われた言葉が蘇る。そして、その後のことも。
『渡辺さん、妊娠されてます』
翔太が若いせいか、医師の目は何となく伏せられていた。そして、次に言われたのは。
『堕胎するかどうか、2ヶ月以内に決められることをお薦めいたします』
堕胎…?
おろす、ってこと??
パニックになりかけている自分を、突き放すように、医師は言う。
『あんまり遅くなると、処置も大変になりますし、母体への影響も大きくなるので。次にいらっしゃる時には、親御さんと来られるようにしてください。そして、お相手の方も』
そう言うと、医師は、お大事に、と事務的に言った。
現実味を失い、ふわふわとした地面を頼りに、何とか立ち上がる。
両親には言えない。
照にも………もちろん言えない。
一人で、何とかしなきゃ……。
翔太の顔は青ざめ、白い肌は、ますます透けるように彼を弱々しく、儚く見せていた。
病院のロビーで、会計が済んだ後も気力なく立ち上がれないでいると、頭上から声が降って来た。
「翔太?どうしたの?」
見上げると、そこにいたのは、旧知の幼馴染、宮舘涼太だった。
「涼太……」
そう答えるのがやっとで、翔太は黙り込んでしまう。
「俺は、お祖母ちゃんのお見舞いに来たんだけど…」
「そっか。涼太のお祖母ちゃん、ここに入院してたな」
「うん」
翔太の心がようやく、ここへと戻って来た。
小さな頃からお世話になっていた涼太の祖母。優しい笑顔がどこか涼太に似ていると、翔太はずっと思っていた。身体を悪くして入院していることは、少し前に聞いていた。
皮肉なもんだ。
俺は、望まない命を授かったというのに、涼太のお祖母ちゃんは、そのか細い命を終えようとしている。
「悪いの?お祖母ちゃん?」
「うん…。もう年だからね、お医者さんにももう長くないって言われてる。だから俺も、なるべくお見舞いに来るようにしてるんだ」
「そっか…」
「良かったら、会ってやってくれない?翔太に会ったら、お祖母ちゃん、喜ぶと思うんだ」
翔太は、こくり、と頷いた。
病室は、個室だった。
わずかな薬品の匂いと、清潔な部屋。
涼太は、枕元にあった花瓶を取ると、少し待ってて、と翔太に小声で言う。持って来た花と取り替えるのだろう、静かに病室を出て行く。
涼太の祖母は、眠っているようだった。
翔太は、所在なく、窓の外を眺めた。
窓外は、等間隔に緑の木々が見える。病院を取り囲むように植えられた木も、そのほとんどが冬の間に葉を落としていたが、若芽が生え、生命力を取り戻し、ところどころを明るく彩り始めている。駐車場には数台の車が停められ、人の姿はほとんどなかった。そんな中、病院へ向かう人も、去る人も、どことなく背中を丸めているように見えるのは、翔太の心の中がそう見せているのかもしれなかった。
「翔ちゃん……?」
少ししわがれた声に視線を戻すと、すっかり痩せてしまった涼太の祖母が、翔太を見ていた。目に力がなく、衰弱しているのか、少しぼんやりとして見える。
「あの、ご無沙汰しています、俺…」
「ああ、いい、いい。気にしないで」
恐縮している翔太を、お祖母さんは、にっこりと笑って制する。翔太は、その柔らかさに思わず涙を溢してしまった。
お祖母さんは、柔和な表情で、窓からの夕陽を受け、そのせいで顔の皺が浮き立っていたけれど、とても優しく、美しく見えた。目のあたりが涼太にとてもよく似ている。翔太はお祖母さんの近くへと寄り、膝をついた。お祖母さんは、皺くちゃの手を伸ばして、翔太の頭を撫でる。
そして一言。
「大丈夫、心配ないよ」
と、言った。
廊下で涼太とすれ違い、翔太は病院を出て行く。涼太は翔太の涙を見て、彼を引き止めなかった。
それから数ヶ月の後、宮舘涼太の祖母の葬式に出席した後で、渡辺翔太は忽然と姿を消した。
コメント
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しょっぴー頑張れ(T-T) やっぱ幼なじみいいよね
❤️のおばあちゃんすごい🥹 1人で頑張る💙に涙🥺🥺
