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……
『チュッ』
彼を待つ唇が触れられることはなく。
額で、小さなリップ音が聞こえた。
彼の唇の感触が残る額。
……えっ?
おでこにキス……?
私は目を開き、肩透かしを食らったような思いで、きょとんと彼を見つめた。
今泉さんは私の髪を優しく撫で下ろすと、その手を頬へ滑らせた。
「今のキスは、亜紀さんが求めてるお父さんからのキス。俺と重なったんだよね、お父さんの面影が。だから――お仕置き!」
今泉さんは、わざと悪戯っぽい口調でにっこりと笑う。
「お仕置き……!?」
……意地悪。
口をへの字に曲げ、心の声を飲み込んだ。
今泉さんは私の反応を楽しむように、くくっと喉を鳴らし、
「ごめん、亜紀さんが可愛いから、つい……ね」
目尻を下げて微笑んだ。
「つい、意地悪したくなったんですか?」
期待して目を閉じてしまった自分が……
恥ずかしい。
眉を寄せ、拗ねた口調で言葉を返した。
「うん。実は少し悪戯心が入ってた。だって、俺にいきなり『お父さん』って言うから。
でも……本当に亜紀さんが可愛く思えたから。だから、おでこのキス。
俺にお父さんの面影を重ねてくれたこと、誇りに思うよ」
今泉さんは頬に触れていた手を肩へ下ろし、穏やかに微笑んだ。
「誇りに?……迷惑じゃなくて?」
遠慮がちに声を漏らす。
「迷惑?……どうして?」
「……変な女だって思われたかと思って。……昨日会ったばかりの人なのに」
「変だなんて思わない。俺に心を開いてくれたなら、それは光栄に思う。
それに、人が惹かれ合うのに時間なんて関係ないよ」
「……今泉さん」
惹かれ合う……
私と今泉さんが……。
彼の言葉で再び胸がとくとくと鼓動を打つ。
この気持ちは――恋?
熱を帯びた瞳で、真っ直ぐに彼を見つめ返す。
「……亜紀さん、さっき店ではぐらかした答えを話そうか」
今泉さんは、私を見つめたまま突然話を切り出した。
「え……?」
「手に入れた女から、どんな刺激を受ければ男は『逃したくない』という衝動に駆られるのか」
あぁ……『違う刺激』の話……
応用編って言ってた答えか……。
「はい……」
彼に見つめられ、胸のくすぐったさを感じながら小さく頷く。
「それは『秘密』だよ」
今泉さんはそう言い放つと、ふっと小さく微笑んだ。
「……秘密?」
「そう。既に手に入れた、知り尽くしたはずの女から『自分の知らない匂い』を感じ取った時、男は再び刺激される。
『自分の妻に何か秘密があるんじゃないか』
そう思った時、男は初めて焦る。逃がしたくないと、再び狩りへの本能が目を覚ます」
「女の秘密……違う匂い……」
私は彼を見つめながら、ゆっくりと言葉を繰り返した。
「亜紀さん自身が変わりたいと願うなら、俺は君の望みを叶えたい……」
今泉さんのしなやかな指が、火照った首筋へ触れる。
彼の言葉が、呪文のように耳をくすぐる。
「……」
私自身が変わりたいと願うなら……
私が……変われるの?
夫から相手にもされない私を……
女として自信のない駄目な私を……
今の自分から、抜け出せるの……?
「私を……変えてください。私自身もまだ知らない花を……今泉さんの手で咲かせてください……」
彼を求める唇が、小さく震える。
首筋を撫でた彼の指が耳朶をなぞり、そっと私の唇へ触れた。
感覚が一点へ集まり、彼の指先の熱が唇から伝わる。
「そう、この目だよ……亜紀さん。初めて君を見た時、一瞬で俺を虜にした、この目……」
「どこか儚げで消えてしまいそうなのに、それとは相反する艶やかさで男を魅了する、この目……。
駄目だよ。簡単に見せたら……男は、欲しくてたまらなくなる」
彼は私の瞳を見つめ、ふっと静かな笑みを浮かべた。
「今泉さん……」
「今度は、お父さんのキスじゃないよ」
今泉さんは私の耳元で悪戯っぽくそう囁くと、私を力強く引き寄せ、そっと唇を重ねた。
互いの唇の感触を確かめるように、柔らかな口づけを重ねる。
今泉さん……
今泉さん……
頭の中で彼の名を何度も呼び続ける。
唇が離れた瞬間、私の唇から熱を帯びた吐息が漏れた。
私の背中へ回していた彼の右手が、優しく頬を撫でる。
私を捉えて離さない、彼の美しい瞳。
見つめられるたびに、
体の芯へ熱が宿る。
感じたことのない欲情……
感じたことのない快感……
こんなにも、唇を重ねることが心地いいなんて……。
もっと……
もっと……
キスしたい……。
唇に残る彼の甘い感触を求め、自ら小さく震える唇をゆっくりと寄せる。
彼はふっと柔らかな笑みを浮かべると、頬を撫でていた手を首筋へ滑らせ、再び私を引き寄せた。
初めとは違う、互いを求め合う深い口づけ。
私の中へ滑り込んだ彼の舌が、私の舌を求める。
静寂の中で抱き合い、慈しむように舌を絡ませる二人。
「……んっ……はぁ……」
息もつけず、夢中で唇を重ねる隙間から、喘ぎにも似た吐息が漏れた。
体が蕩けそうに熱い。
体の芯が痺れ、頭の中が真っ白になる。
何も考えられない。
――私は、どうなってしまうのだろう……。
確かなものは、
胸を熱くするこの想いと、火照る体の疼き。
あなたを知りたい……
私自身を知りたい……
本当に私が蕾であるのなら。
あなたが言う、鮮やかな色づきを待つ小さな蕾なら……
咲かせてみたい。
あなたのこの腕の中で咲かせて……
あなた色に染まった、大輪の花を。
……
まどろむように溺れていく……
変わりたいと願った先に、何があるのか。
この時の私は、まだ考えもしなかった――。
コメント
1件
ああもう……お父さんからのキスって言われたあとの「お仕置き」、めちゃくちゃ効きましたね(笑) 亜紀さんの肩透かし食らった表情がありありと浮かんできました。でもそのあとちゃんと「誇りに思う」って言ってくれる今泉さん、大人だなあ……。 そして「秘密」の答え! 「自分の知らない匂いを感じたとき男は焦る」——なるほどな、と膝を打ちました。最後の口づけの描写も甘くて、胸がきゅっとなりました。変わりたいと願う亜紀さんの決意が、とても眩しく感じられる回でした🌷